豊島区の水トラブルなら







「一現場・一担当制」 を採用しており、 同じ現場には、同じ担当者を派遣します

水の救急隊は、「一現場・一担当制」をとっております。そのため、もし再度の御依頼の際にも、大きな安心感を提供できます。

作業終了後も何かあったとき、すぐに 電話に出ます。決してお待たせしません

コールセンターは、つねにお待たせすることなく対応が可能です。

もちろんPL保険に加入しているので、万が一の事態にも保証

水道トラブル修理の際に、どのような不測の事態があっても、お客様のご自宅や設備を守ることが出来ます。

設置器具の無料保証も完備しています

新たに設置させていただいた器具・設備に関しましては、メーカーの定める保証に完全対応しております。

クーリングオフ制度にも準拠

万が一、御依頼と違う場合には、クーリングオフを適用することが可能です。





長年の安心と信頼で実績50万件

スピード対応に定評がございます!

24時間フリーダイヤル受付中です

豊島区エリアなら、

水の救急隊が高品質な修理。



経験豊かなプロが大至急で駆け付け、あらゆる水まわりのトラブルを解決いたします!


キッチン・お風呂・トイレなど、

最高のスピードでトラブル対応!


水が出ない!止まらない!漏れてきた! 豊島区



24時間365日年中無休で、営業土日祝日ももちろん、年末年始やお盆の時期のトラブルも対応が可能です。


あなたのお住まいの近隣にて待機している、技術力の高い水道局指定業者が、最短駆けつけ時間20分、最短修理時間45分で対応させていただき、その日の内に修理が終わります。


現金・クレジットカード・銀行振込をはじめ、多様な支払い方法に対応。さらに、出張費、見積り費、深夜早朝の割増費、キャンセル費は無料です。 豊島区でお困りの方は、ぜひ水の救急隊までお気軽にご連絡ください!



水の救急隊(水道修理プロ)豊島区・担当者より

お世話になっています、水の救急隊・豊島区担当スタッフです。東京23区は、これまで全て歴任してきましたが、とくに豊島区はサンシャインシティとか豊島区役所などの、ものすごい高層ビルが存在するところが特徴です。区内を巡回していても、それらランドマークが目立つため、水トラブルの出張でも土地勘が強いためスピーディーに訪問することができます。また立教大や学習院、東京音大など教育機関も多数あり、学問の街としての側面をもっています。そんな豊島区は住宅地の割合が非常に高いところですので、水道レスキューの件数も、毎日かなりのもの。トイレつまり、お風呂、パイプ水漏れなどの故障修理サービス需要が緊急で発生した時、われわれ水の救急隊・水道トラブル専門プロは、区民の皆様の生活を守ります。水回りのお困りごと全般に救急対応させていただいておりますが、フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 コールセンターが24時間対応しておりますので、水道トラブルの際はぜひ、ご利用ください。私ども水の救急隊、現場専門スタッフが熟練の技術で水道・台所、お風呂やトイレなどの生活用水のお悩みを解決して見せましょう。東京・豊島の皆様に、今後も最高の水道環境を提供し続けることをお約束いたしましょう。ところで、これまでの豊島区のみなさまの生活様式を一変させてしまった感のあるコロナ禍について、水の救急隊(水道修理プロ)豊島区・担当者の私が個人的に頭を悩ませていることがあります。それは何かというと、コロナ禍以前に比べて水トラブルが増加したことです。水トラブルが増加した理由の一つとして、コロナ禍対策で蜜を避けるためなるべく外出しないことや、テレワークに仕事方法をシフトしたことなどによって、在宅で過ごす時間が増えたことがあります。そのため水道設備を利用する頻度が増え、それに伴って水トラブルも増えたのだと考えられます。そこで豊島区のみなさまに特に気をつけていただきたいのが、「トイレの水がチョロチョロ流れる」というトラブルです。この「トイレの水が流れ続ける」というトラブルですが、蛇口などの水道器具のトラブルに比べて発見が困難なため、どちらかというと見逃されがちです。ところが、「トイレの水が流れ続ける」というトラブルは、水道料金を無駄に支払うことになりますし、限りある豊島区の水資源の浪費にもなります。つまり、トイレ設備のトラブルの方が他の水道設備のトラブルよりも、お金についても、また自然環境についてもハイリスクだといえます。ですから、「トイレのトラブルを減らすことが豊島区のみなさまの大切なライフラインである水資源の保護に繋がる」、という広い視野でお考えいただき、なるべく早く修理していただくことをお勧めします。それとまた、コロナウイルスが流行し始めた時期から、水トラブルの【修理工事費のトラブル】、特にトイレトラブルの【工事費に関するトラブル】が多発しています。この水トラブルの【工事費のトラブル】についてですが、トラブルが発生して、運悪く水道局の指定を受けていない水道工事業者にトラブルの修理を依頼してしまった場合などに、【修理工事費トラブル】に発展するケースが多いようです。ちなみに、私ども水の救急隊のような、水道局から指定を受けた水道工事業者であれば、トラブルの状況を確認してから、お客様に具体的なトラブルの修理方法と、工事費の見積金額を明示して、お客様のご了解をいただいてから修理作業を行うのが通常です。ところが、悪意ある水道工事業者(水道局の指定を受けていない)は、修理方法の説明や、工事費の見積金額を提示せずにいきなり修理作業を行い、やたらと高額な修理費を請求して、その場で支払を要求することが多いようです。また、【工事費に関するトラブル】が起きる時間帯としては昼よりも夜間の場合が多く、夜間にトラブルが発生した場合、それもアパートなどの共同住宅ですと、周りの住人の迷惑を考えてしまい、朝までそのまま放置しておく訳にもいかず、水道修理業者に言われるままに修理してしまう場合が多いようです。ちなみに、このような【修理費トラブル】に遭った人の中には、トイレの取り外し工事費が9万円、またトイレ修理費の総額が30万円などと、とんでもない金額を請求をされて、支払わされた人もいるそうです。ですので、仮に水トラブルが発生して修理依頼した場合に、「水トラブルの修理に来ました・・・」と言って修理の人が来たら、いくら深夜でせっぱ詰まった状況だとしても、工事前にその水道工事業者が行政の指定を受けている工事業者なのかどうかの確認を行う、また修理費の見積を工事の前に確実にもらうなどして、しっかりと業者の信頼性と安全性の確認を行ってから修理してもらうようにして下さい。そしてもし、それらの確認を行わずに修理してしまい、仮に30万円などといった高額な修理費を請求された場合は、たとえ支払えるお金があったとしてもその場での支払いは行わずに、日を改めて修理を行った水道工事会社に電話して修理費の値下げ交渉を行うようにして下さい。その場で請求された修理費を支払ってしまうと、後で返金してもらうのはかなり困難なようです。またこれに加えて、このような水トラブルの【修理工事費トラブル】とは別の、新型コロナウイルス絡みの新手の【水道管詐欺】が増加しています。ですので、これはもしかして悪質商法や詐欺かな、と疑われる場合は、警察の相談専用電話【#9110】に電話して下さい。全国どこからでも電話をかけた地域の警察本部などの相談窓口につながるはずです。



水の救急隊が東京・豊島区で喜ばれている理由


■予測できない「水のトラブル」に緊急対応いたします

われわれの日常生活において、水の無い暮らしは考えられません。

そのように大切な水の、重大なトラブルは急に発生することがあります。快適な生活を守るために、迅速に解決しなければなりません。
水の救急隊では、24時間年中無休のコールセンターが稼働しており、日中や夜間など時間帯に関係なく、あなたのお家の水トラブルに緊急対応いたします。

■豊島ではすべての作業対応場所を確保

いきなりの水トラブルにお困りの、あらゆるお客様にサービスをご提供するために、水の救急隊は東京・豊島区の全エリアにて作業を提供いたします。
家庭でのトイレ、キッチン、お風呂などの水漏れや詰まり、その他配管の故障などはもちろんのこと、店舗や会社の事業所など商業施設でも対応が可能です。

■お客様ごとに、丁寧なご提案

水の救急隊は、水回り関係の修理サービスにおいて、可能な限り、お客様のご希望にそった内容をご提案させていただきます。
いっぽう、緊急トラブル対応だけでなく、消耗品や部品交換のみのご依頼も承っておりますので、どのような些細なご希望・ご要望でも、お気軽にお申し付けください。

■作業内容・作業料金は事前に説明します

水の救急隊は作業後に追加料金が発生することはありません。
水回りの修理を行う前に必ず作業内容のご説明と見積書の提示を行っております。
作業完了後は、見積書に記載された料金のみいただいておりますのでご安心ください。

※追加作業をご希望される場合は料金が発生することもあります。
※対応エリア・現場状況により、事前にお客様にご確認したうえで調査・見積もりに費用をいただく場合がございます。



◇まずは必ず止水をしましょう!


水が止まらないとか、水漏れが止まらないなどの症状が出た際には、止水栓を閉めてから原因箇所と修理方法を探りましょう。

・止水栓は基本的に、各水道設備についています。

・また、水道メーター近くに元栓で止水することができます。

いったん水を止めて、落ち着いてからご相談ください。




サービス対応エリアは 豊島区内すべてです

それぞれにおいて、迅速な対応が可能です。

さらに詳細な地名を記載いたします。

雑司が谷、上池袋、池袋、池袋本町、巣鴨、西池袋、要町、千川、南長崎、高松、長崎、南大塚、千早、駒込、高田、目白、北大塚、南池袋、西巣鴨


これらすべての場所で、水道局指定業者である東京豊島区の担当プロが、真心をもって、丁寧に作業させていただきます!



水の救急隊(水道修理プロ)豊島区・担当者より Part2

どうも、二度目の登場となります水の救急隊・東京都豊島区の担当スタッフです。ここまでお読みくださり、まことにありがとうございます。せっかくですので、さらに、地域の水道に関して、知識を提供させてください。この項では豊島区のみなさまへの水回りのことや、水トラブルなどのことについて、私、豊島区・担当スタッフから前項ではお伝えしきれなかった内容につきまして記してあります。これを読んでいただき、少しなりとも豊島区のみなさまの水トラブルの際の一助となれば、望外の喜びとするところです。なにぶん、私が思いついたまま、ペンの走るままにまかせて書いてありますので、読んでいて、内容にまとまりがないと感じられるかも分かりませんが、どうぞよろしくご容赦いただきたいと存じます。

水トラブルの原因はある程度なら自分で調べられます。

最近、なんだか水道料金が急に高くなった、また、晴れた日でも地面が湿っている、などといったことはありませんか。 それは、もしかすると水漏れが原因なのかもしれません。そんなとき、ある程度はご自分でも、どこに水トラブルの原因があるのかの調査は可能です。基本的には、漏水か所が水道メーターよりも、お客様の水道設備ならば、支払いの義務が生じてしまいます。また、それとは逆に、自治体側の水道設備、つまり本管から水道メーターまでの個所であれば、豊島区のほうで修繕することになりますので、当然、お客様に支払いの義務はありません。そこで実際に、水トラブル原因がお客様の水道設備なのか、それとも豊島区の設備なのかをご確認いただく必要があります。まず前準備として、全部の蛇口が止まっているか確認します。つぎに水道メーターの場所を探します。一戸建住宅などは、玄関先場などに埋められている場合が多いです。また、水道メーターは水道局の指定で、以前は鉄製のふたが多かったのですが、最近のものは樹脂製で出来ているものが多く、またふたの色は青か白などになっています。では、何を見るかというと、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットがクルクル回っているかどうかを確認します。もし、パイロットが回っていれば、水を使用している状態だという意味です。つまり、蛇口を止めたのにパイロットが回っているということは、どこかから水が漏れているということを意味します。そして、パイロットが回ることで水道料金は加算されていくことになります。その結果として、もしパイロットが回っていたら、お客様側の設備で漏水していると思われますので、出来るだけ早急に修理が必要となります。それとは反対に、もしパイロットが回っていなければ、お客様側での漏水はしていませんので、もし、水道メーターの近くの地面が濡れているようでしたら、水道局のほうにご連絡願いただきたいと思います。このように、水道メーターのパイロットの動作を確認することによって、ある程度でしたら水漏れ個所を特定することが出来ます。また、パイロットは、水の流量によって回転する速度が違います。たとえば、水道管の破断などで、水が漏れているのであれば、パイロットは物凄い速さで右回転しますし、また、少しだけ流しているときなどは、それなりにゆっくりと回転します。ですので、普段からパイロットの動作状況をご確認いただくことで、ご自宅の水道の使用状態を把握することが可能です。

■もし、パイロットが回り続けていたらお気軽にご相談ください

ここまでが、水道メーターのパイロットを使っての水漏れの確認方法です。一般的には、パイロットの動作の確認などによって発見された水トラブルの場合は、蛇口の水漏れなどの水トラブルに比べると、水漏れが目視で確認できないことが多いので、緊急度とお困り度が低いように感じられて、あまり気にしなくていい水トラブルなのだと誤解されてしまう傾向にあり、どうしても見過ごされがちです。また、このような、水漏れが目で見えない水トラブルは、一度見過ごされてしまうと、ずっとそのまま放置されてしまうことが多いようです。ところが、このような水トラブルのほうが、蛇口の水漏れなどの発見しやすい水トラブルよりも、いろいろな面でハイリスクだといえます。たとえば、水道料金についてですと、少量でも水が漏れ続ける状態で修理を怠った場合、びっくりするくらい多額の水道料金を請求されることになります。また、漏水している場所が建物の壁の中だったりすると、シロアリやカビが発生する原因になったりもします。もしそうなると、水トラブルの修理をする時に、私たちのような水道修理業者以外に、工務店さんなどの修理依頼も必要となります。またそれに加えて、シロアリやカビなどの発生が原因で、建物の不動産としての価値が下落することにもなりかねません。ですので、もしパイロットが回り続けていたら、私たち、水の救急隊にお気軽にご相談ください。水の救急隊は、高い技術力と豊富な経験で、どんな水トラブルにも対応して、豊島区の皆様のライフラインを守ります。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 365日、コールセンターが24時間対応しておりますので、水トラブルの際はぜひ、ご利用ください。

漏水分の水道料金については、豊島区のほうに返金請求できる可能性があります。

基本的には、ご家庭の水道設備などは、お客さまの財産ですので、お客さまご自身で管理していただくものとなっています。ですので、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットが回っている場合は、水道メーターで計量した水量に漏水した分が含まれていても、その水量に対する水道料金については、原則としてお客さまに支払いの義務が生じます。ですが、条件によっては減額してもらえる場合があります。また、よくある条件として、水漏れ個所が、発見が難しい場所にある、使用方法自体には問題がない、また水漏れの修理が終わっている、などといったような条件に当てはまると、豊島区のほうに水道料金の漏水分について返金請求できる可能性があります。ちなみに、よくある条件というのは、自治体が決めているルールによって異なっていますので、注意が必要です。また、返金される料金についてですが、基本的には水漏れしていた分を全額を返金してもらえるということはなく、水漏れしていない時期の、2、3ヶ月間の水道使用量を参考にして、水量の50%~70%程度が減額されるケースが多いようです。また、発見が難しい場所にあることが条件、となっていることが多いようですので、蛇口、風呂、キッチン、トイレといった、日常生活で容易に発見出来る水漏れなどに対しては減額請求を受付けてもらえない場合が多いようです。それとですが、水漏れ修理が終わっているという条件につきましても、DIYで直すのはNGで、私たちのような、豊島区から認定を受けた地域の指定工事店が修理する必要がある場合があります。加えて、自治体によって申請方法が違うようですので、まずは東京都豊島区の水道局へどのような条件であれば減額請求ができるのか確認しておくと良いと思います。

家屋の外壁部には重量物を置かない方が賢明です。

家の外壁部に重い物を置くことが、水のトラブルと何の関係があるんだろう。と思うかたは多いはずですが、ところが、大いに関係があります。実は、家屋の外壁部に重量物を置いたために、そこに埋まっている水道管の継ぎ手が外れて、そこから水が漏れ出る例が多く発生しているのです。通常、豊島区などの行政で設置する水道管は道路の、1.2mくらいの深さ、このような埋設深度のことを、水道業者さんなどは、土被り(ドカブリ)などと呼んでいますが、とにかく車両などがその上を通っても、水道管が破損したりしない深さにきちんと埋まっています。ところが、一般家庭の場合はそうではなくて、大体地下30cmくらいの深さにしか埋まっていないんです。ちなみに、下の写真の例は豊島区内で撮影されたものではありませんが、土被りは、せいぜい20cmくらいではないかと思われます。もし、そこに何百キロもある物を置いてしまうと、当然水道管の継ぎ手などはたまったものではありません。ある意味、外れて当たり前とも考えられ、水道管が家屋に引き込まれているところには、極力、重量物を置かないほうが賢明です。また、水道管の場合はガス管などと違って、家屋に引き込まれている場所が分かりずらいことがまたやっかいとなります。もし仮に、これが原因で水モレしてしまうと、常に蛇口が全開の状態になりますので、豊島区から請求される水道料金も、2か月分まとめて請求が来ますので、莫大な金額になります。ちなみにこれは、豊島区で発生した事例ではありませんが、そのお宅の人はそれまで全く水漏れしてる事実に気が付かずにいたそうなのですが、ある日水道の検針員さんに「今回はものすごく水道の流量が多いですよ」と指摘されて、請求金額を調べてみたら2か月の水道料金が何と16万円で、愕然としたそうです。仕方なく、急ぎ業者さんに漏水箇所を直してもらって、水道料金のほうは、行政に申請書を出してなんとか3万円まで減免してもらったそうです。ちなみに、この事例では、庭のエクステリア工事で余ったインターロッキングブロックを何気なく家の外壁のところに山積みして置いたそうです。ですので今後、もし可能であれば水道工事をやってくれた水道屋さんを探して、 水道管がどこに埋まっているか確認しておいた方がいいかもしれませんね。

水道局を名乗る人が来たらご用心。

これまでに、本管から水道メーターまでは東京都豊島区の設備です、と何度も書いてきましたが、あえてまた書かせいただきてます。それはなぜかというと、ある日突然、水道局の人だと言って、「先ほど交換したメータの代金をいただきに来ました。」と代金を請求されて、お金を騙し取られた、といった事が、ここ豊島区内で直接に聞いた話ではありませんが実際にあるからです。普通に考えた場合、本管から水道メーターまでは豊島区の範疇だからメーターを交換しても工事代金は取られないはずだと思うはずなのですが、オレオレ詐欺と同様にいざその場になると、相手の言葉を信用してしまうようです。相手の人から「たしかに第一止水栓までは豊島区の設備です、でも豊島区ではお客様の敷地に設備は設置しないはずです。ですので、お宅の水道メーターが敷地内にあるということは、メーターはお客様の持ち物なんです」などと言われると、なるほどそーなんだと、コロリと騙されてしまうようです。基本的に、水道局では水道メータは、計量法の規定で8年に1回交換してくれて、水道メータの交換にお金がかかることはないとのことです。それと、何か特別なことがないかぎり、水道局の人が直接お客様宅を訪ねることは普通ないそうです。ですのでもし、水道局を名乗る人が来たら、お宅の内には入れずに、その場で身分証明書を見せてもらう、または水道局に問い合わせてみるなどしてください。とにかく、水道局を名乗る人が来たら、くれぐれもご用心ください。

トイレの水が止まらないトラブルについて。

トイレの水のトラブルといえば、トイレットペーパーやそれ以外のものが詰まってしまうなどの、「詰まり」トラブルを一番の原因として連想すると思います。ところが、意外なことにトイレで多い水のトラブルに「水が止まらない」という現象があります。この項では、トイレの水が止まらないと、これがどのようなことになるのかについて、説明させていただきます。さて、私たちが普段なに気なく使用している水洗トイレですが、思ったよりも複雑なメカニズムで動作しています。また、このトイレの水が止まらない故障については、その原因となる場所のほとんどがトイレタンクの内部にあります。ですので、キッチンやお風呂の蛇口からの水が止まらないなどの、誰でも一目で分かるような水のトラブルなどとは違って、意外に発見されにくい故障であるともいえます。ですが、わざわざトイレのタンクの中を覗いて、トイレがどんな様子で水を流す仕組みになっているのか、などと観察することは私たちのような仕事関係の人間以外、あまりないと思いますので、ここで少しだけ、トイレの水が流れるシステムについて解説させていただきます。始めに、トイレタンクの中を写した下の解説写真を見ていただきたいのですが、写真の右側に見えます白い棒は、アームと呼ばれ、水を流すときに回すトイレレバーと繋がっています。また、トイレレバーを手前に回すと、アームが手前側に回転して、アームに付いているクサリが、写真の下に見えます黒くて丸い部品を引き上げます。この部品はゴムフロートと呼ばれていて、トイレタンクの中にある水が便器に流れないように止水する部品です。また、このゴムフロートが上に持ち上げられることにより、ゴムフロートと排水口の間に隙間ができて、タンクの中の水が便器に流れるようになっています。そして、トイレタンクの中に貯めてあった水が流れ終わるとゴムフロートが下がって、排水口にフタがされます。そうしてまた次の水を貯める、というのが一連の流れになっています。それと、写真の左下に映っている棒状のものは、オーバーフロー管といって便器に繋がっています。このオーバーフロー管は、タンクの中の水がタンクから溢れ出ないようにオーバーフロー管の上部から便器へ排水するための役割をしています。ちなみに、写真のオーバーフロー管の上のほうに黒い横線が見えます。これは、タンクの中の標準水位を確認するためのマークですが、もし、このマークがないオーバーフロー管の場合は、タンク内部の水位は、オーバーフロー管の先端部よりも2~3センチ下が適切だと言われています。ちなみに、オーバーフロー管自体の故障はあまり例がありませんが、もし、このオーバーフロー管が破損したりして故障になると、タンクの中の水が便器に排水されてしまうため、修理が必要となります。

さてここで、トイレの水が止まらないトラブルの原因を見ていきたいと思いますが、何個かの原因が考えられますので、順番に解説したいと思います。ではまず、さきほどのゴムフロートですが、このゴムフロートが古くなると、歪んだり穴が開いたりして、排水口にピッタリと密着しなくなって、しっかりとフタができなくなります。もし、このような状態になってしまうと、いつも水が流れ続けて、水が止まらない状態が続いてしまいます。ですので、ゴムフロートの劣化が原因による水トラブルの場合は、ゴムフロートを新しいものに交換する必要があります。また、アームとゴムフロートを連動させるクサリが絡まっても、いつもゴムフロートが上がっている状態になって排水を続けますので、これもトラブルの原因となります。これに加えまして、ゴムフロートと排水口の間に何か異物が挟まってしまうと、排水口にしっかりとフタができず、排水し続けてしまいますのでこちらも水が止まらないトラブルの原因になります。次に、下の写真の右側に映っている白い球状のものは「浮き球」と呼ばれるもので、文字通り、「浮き」の役割をしていて、写真でもお分かりいただけると思いますが、ピストンバルブやボールタップと呼ばれる、水道からタンク内への給水をコントロールする、栓のような役目の部品と、指示棒を介して繋がっています。また、これらの部品はお互いに連携して、ひとつの役割を果します。そして、この浮き玉の位置によって、ピストンバルブが開いたり締まったりして、それと同時にボールタップが連動します。ですので、浮き球が古くなって破れて、中に水が入ってしまうと、水位の変化をうまく伝えられなくなって、水が止まらない状態になります。また、ボールタップが故障すると、これによりトイレの水が止まらない状態になるため、ボールタップ自体を交換するなどの修理が必要です。

トイレの水が止まらないトラブルについて、もう少し掘り下げてみます。

これまで、トイレのメカニズムについて解説いたしましたが、想像していた以上に故障に繋がる部品が多いように感じていただけたかと思います。さて、このトイレの水が止まらないトラブルですが、トラブルの場所がトイレということで、いつもチョロチョロとした水が流れ続けていても、どちらかというと見過ごされがちで、あまり気にかけられないため、修理されずそのまま水が流れ続ける状態になっている。また、もし気がついたとしても、デパートやスーパーなどのトイレのように、消臭の目的で、いつも水が流れるタイプのハイテクトイレと勘違いされて、水が流れ続けているのに、故障していることに気ずかれずに、修理されずにそのまま使われていることも多いようです。では水が止まらないトラブルが修理されずにそのまま放置されると、どのようなことになるのかというと、水道メーターのパイロットがクルクル回っている、いわゆる、水道料金がずっと加算されていくことになります。ちなみに、漏水した分の水道料金の減免につきましては、本サイトにて既に一度解説してありますが、大変重要なことですので、再度記載しますが、漏水した分の水道料金はこちら、豊島区でしたら、豊島区のほうから二か月に一度、水道料金の請求が来ると思います。そして、豊島区が定めた水道料金の減免条件に適合すれば、漏水した分の水道料金は、豊島区のほうに返金請求出来ることになっています。ですが、多くの自治体の定めるところでは、第一止水栓(水道メーター)などの自治体の管理する水道設備よりも下部に漏水点があった場合には、その漏水点が地中部分だと、料金の減免条件に適合していても、漏水点が地上部分だと適合外だと規定されているところが多いようです。加えてまして、漏水点の修理につきましても、たとえばこちらの地豊島区であれば、水の救急隊のような、豊島区の水道局の指定を受けた水道工事業者によって、修理工事を行うことと規定されていて、それがもしも、それ以外の人が修理した場合には、水道料金の減免の条件から外れてしまうとされる場合が多いです。また、水道料金の減免申請につきましても、私たちのような、豊島区の水道局からの指定を受けた水道工事業者が、お客様に代行して通常は減免申請を行っています。ですので、私たちにお聞きいただければ、水道料金の減免申請に関しての、おおよその事はご説明可能だと思います。しかしながら、たとえば漏水点が壁の中になると申請は可能か、また、どのくらいの期間だったら逆のぼって申請が出来るのか、それと、修理してから何日以内なら申請が可能か、などといった詳細なことにつきましては、水の救急隊(水道修理プロ)豊島区の担当者の私といえども、即答は困難かと存じます。ですので、水道料金の減免申請にご興味をお持ちの方は、一度、豊島区の方にご確認いただいたくことをお薦めします。ちなみに、私が体験したトイレの水が止まらないトラブルの案件をご紹介しますと、この件はここ豊島区のお客様ではなかったのですが、「水道の使用量がここしばらく、以前よりもかなり多いので調べてみたほうがいいですよ」と、水道の検針員さんから言われたのがきっかけで、ご連絡いただいてのご訪問でした。ご訪問して早速、水道メーターのパイロットを確認したところ、確かに回っています。そこでお客様に漏水の心あたりをお聞きしたところ、まったく心あたりはないとのことでしたが、あちらこちらと漏水点の探索を行いました。ちなみに、このように漏水点が不明なときに、私たちは聴診棒と呼ばれる特殊な棒状の器具を使って調べます。この聴診棒ですが、ステサスコウプなどとも呼ばれていますが、私たちが使うものとはタイプは違うものですが、自動車修理工場などで、エンジンやモーターなどの回転機器などを点検するときにも使用されています。修理工場などでは、棒の片方を耳に当てて、もう片方を点検箇所に当てて、その振動などで機器の音を聞き分けて、異常の有無を診断します。また、私たちが水道の漏水点を探すときは、下のイメージ図のように、片方を耳に当て、そしてもう片方を蛇口などの水道設備に当てて、じっとその音を聞いて調べます。ちなみに、最近はこの聴診棒もなかり改良されていて、お医者さんが使う聴診器と、聴診棒を合体させたような作りになっているものもあります。たしかにこのタイプだと両方の耳で調査できて、片方の耳で聞いて調査するタイプのものより、周囲の雑音を拾ったりすることもないので、調査に集中できていいと思いますね。

さて、この時もいつも通りに聴診棒で漏水点の探索調査を行いましたが、漏水点を特定できずにいました。そこで再度、水の流れを確認するため今度は、下水口で流れを見てみたのですが、やはり少しずつですが、水の流れが確認できました。また、そこのお宅はかなり大きい建物で、そのうえ聴診棒で調べても、経験上、水道管などから水が漏水している感覚というか、手ごたえがありませんでしたので、あえてお客様に「いま見させていただいた場所のほかに、たとえば二階とかに蛇口とかの水道設備はありませんか」とお聞きしたところ、「そういえば、今はあまり使っていないんですけど、二階にトイレがもう一つありますよ」、という一言で、早速新たに見つかった二階のトイレを見せていただいたところ、案の定、原因が見つかり、トイレのボールタップを交換修理して、すべてが解決しました。そして修理作業が終わり、それからしばらくして、そのお客様から連絡が入りました。なんでも、トイレの修理をする前と、修理した後の水道料金を比べてみたら、一万円くらいの差があって、修理していただいて、本当によかった、今後は注意しますね。」といったお礼のお電話でした。このように、トイレの水が止まらないトラブルは、他の「詰まり」などのトラブルと違って、お客さまが生活にそれほど困らない、どちらかというと、あまり目立たないトラブルです。ですが、今回の事例のように、もし修理しないでおくと、後で豊島区のほうから高額の水道料金の請求が来ることになります。ですので、トイレだからまあいいかなどと思ったりせずに、発見したら出来るだけ早く修理していただくことをお薦めいたします。

【おもな水まわりトラブル&原因箇所】

■給水部分(蛇口)のよくあるトラブルと原因・豊島区

(1)水が止まらない
(2)水が出ない
(3)部品の隙間から水漏れしている
(4)がたついている・異音がする

蛇口トラブルはパーツの経年劣化によって固定部分が摩耗してしまうことが原因となっているケースが多くあります。


■排水部分のトラブル、東京・豊島区のよくあるトラブルと原因
(1)水の流れが悪い
(2)排水枡が溢れてしまった
(3)逆流を起こしている


排水管は水だけを捨てる管になりますので、ゴミを流さないようなパイプの構造をしています。そのため、水溶性以外のゴミはパイプの内部に残り、徐々に詰まってしまうのです。


【設備別のトラブル】

■豊島区 トイレのトラブルと対処法

トイレは日常的に使いますので、トラブルが起こった時はすぐに修理しなければいけません。

■豊島区・東京 キッチンのトラブル

日ごろから使用頻度の高いキッチン(台所)は使用頻度が高い分、部品の摩耗による劣化も起きやすい傾向にあります。

■豊島区 お風呂場のトラブル

お風呂場は一度に大量のお湯を使用することから排水詰まりが起きやすい場所となります。また、お湯と一緒に発生する水蒸気によって水道設備がさび付いてしまい、部品交換の需要が多いのも特徴です。

■東京都豊島区・洗面所のトラブル

洗面所のトラブルは排水管に物を落としてしまうことによって、詰まりや逆流が起きやすい場所です。洗面所に多くある綿棒や洗顔時に外したアクセサリーがS字パイプの間に詰まってしまいます。また、洗面所の排水管はトイレやお風呂場と異なり、細い管が使われているため、詰まりに対する耐性が低いのも特徴です。

豊島区を管轄する水道事務所はこちらです、ご参考のために記載いたします。


【事業所名】 東京都水道局 豊島営業所
【所在地】   〒171-0021 豊島区西池袋 1丁目-7-7




水の救急隊は、豊島区の全域にて水道・トイレなど、水まわりの故障トラブルや詰まりなどにスピード対応いたします!

豊島区のおもな駅一覧

これら駅の近隣にお住いの皆様は、とくに迅速な対応が可能です。


山手線
駒込駅、巣鴨駅、大塚駅、池袋駅、目白駅

埼京線・湘南新宿ライン
池袋駅

東京メトロ・丸ノ内線
池袋駅、新大塚駅

東京メトロ・有楽町線
東池袋駅、池袋駅、要町駅、千川駅

東京メトロ・南北線
駒込駅

東京メトロ・副都心線
雑司が谷駅、池袋駅、要町駅、千川駅

都営三田線
巣鴨駅、西巣鴨駅

都電荒川線
新庚申塚停留場、庚申塚停留場、巣鴨新田停留場、大塚駅前停留場、向原停留場、東池袋四丁目停留場、都電雑司ヶ谷停留場、鬼子母神前停留場、学習院下停留場

東武鉄道・東武東上線
池袋駅、北池袋駅、下板橋駅

西武鉄道・池袋線
池袋駅、椎名町駅、東長崎駅


【観光はもちろんのこと,もしもの時の,集合場所にも。豊島区周辺の名所旧跡へGO。】



鬼子母神堂

東京都豊島区の名所,鬼子母神堂は,豊島区雑司が谷3-15-20にあります。鬼子母神堂は,都電荒川線・都電雑司ヶ谷駅から直線約470m,徒歩約11分,車で約2分。東京メトロ副都心線・雑司が谷駅から直線約250m,徒歩約6分,車で約1分。また,都電荒川線鬼子母神前駅から直線約240m,徒歩で約5分,車で約1分のところにあります。鬼子母神堂は,法明寺の境外仏堂です。鬼子母神堂は,永禄4年1月16日に,山村丹右衛門が清土で発掘した鬼子母神像を,稲荷社のあった当地に,村民が天正6年堂宇を建立,松平安藝守光晟の寄進により本殿を建立。雑司ヶ谷村の鎮守だったといいます。入谷鬼子母神真源寺,中山法華経寺とともに江戸三大鬼子母神として多くの崇敬を集めています。文京区史跡さんぽによる鬼子母神堂の縁起によると,台東区入谷と同じくツのない,鬼の字を用いるのが雑司が谷鬼子母神であります。本坊は,法明寺です。鬼子母神の由来は,永禄4年の鬼子母神出現に始まったと伝えられ,新編武蔵風土記稿などによれば,初めは法明寺の塔頭東陽坊が別当で,長く庶民の信仰を集め,子授け,安産祈願の対象でした。江戸後期には将軍の御成りもあり,大いに繁昌しました。以上,文京区史跡さんぽより。新編武蔵風土記稿による鬼子母神堂の縁起によると,雑司ヶ谷村鬼子母神社村の鎮守なり,圓満具足神大黒天を配祀せり,相傳ふ當社造立の由来は,永禄4年5月村民丹右衛門と云もの,村内小名清土の畑中より一の佛像を掘出し地主柳下某かもとへ持行てかくと告げるに,佛像なれば法明寺々中東陽坊へ納め然へしとて彼坊に安置せり,其後安房國の旅僧来て彼像を奪去しに,歸國の後狂亂して云,我は是雑司ヶ谷の鬼子母神なり,いかてか此地に移るへき,急き舊地に復すへしとなり,よつて其由を懺悔して東陽坊へ返せしより,僧俗ともに参詣するもの多し,斯て天正6年4月今本地堂と唱ふる稲荷の社地へ假初の社を營み安置せり,其時の棟札今に蔵す左の如し。其後寛文6年,松平安藝守光晟の室法名自昌院英心日妙か寄進にて,今の如く客殿拝殿等新に造營ありしより世に聞ふる靈地となれり,毎年正月16日奉射祭の式あり,又近き年まて6月草薙の祭と云もありしか今は廢せり,10月8日より18日迄は日蓮影供の會式なれば参詣の人群集しいと賑はへり,法明寺寺中大行院持。末社稲荷社。弘治年中の勧請にて別に除地を附す,天正年中始て鬼子母神を此社地へ祀る故に,當社を土人は本地堂と唱ふ,因て有徳院殿御成の時は必當社へ成らせられ,夫より鬼子母神へ御立寄ありしと云。鷲明神社。痘瘡守護神なり,祭神瓊瓊杵尊,正徳年中の勧請と云,神體は1寸5分許の白茶色の小石なり。妙見社。石像仁王。銀杏樹。楠正成關東下向の時此所に松銀杏の二樹を植しが,今は此の銀杏のみ殘ると雖,幹は枯れて蘖なりと寺傳に記せり。門前町屋。間口64間,歩數757,延享2年町奉行支配となる。以上,新編武蔵風土記稿より。法明寺鬼子母神堂は,新編武蔵風土記稿によると,建立は天正6年5月3日であるが,そののち寛文4年松平安芸守光晟の室,法名自昌院英心に地妙大姉が寄進して,今の本殿を造営しました。拝殿と幣殿は,元禄13年に建立されたことが,昭和51年におこなわれたと,昭和大修理において発見された墨書や銘文によって確認されています。本殿は,桁行6.04m,梁間5.77m,一重,流造,桧皮葺形銅板葺。拝殿は,桁行17.86m,梁間11.816m,一重,入母屋造,厨子は一間厨子,入母屋造,軒唐破風附本瓦形板葺。以上,東京都教育委員会掲示より。鬼子母神堂は,目白通りと明治通りから少し入ったところにありますが,幹線道路の近くとは思えないくらい,境内は雰囲気があります。交通の便も良く,お散歩にぴったりです。都電荒川線鬼子母神前駅から,徒歩2~3分のところにあります。定期的に手作り市が開催されているようで,雑司ヶ谷七福神の大黒様を祀っています。境内には,懐かしい感じの駄菓子屋さんや羽二重団子のお店があります。夏は,参道はけやき並木が日陰を作り,周辺より涼しさを感じられます。お祭りのときは境内のみならず,その周りにも屋台が出て大変にぎやかです。俳優の唐十郎さんが率いる劇団,唐組が境内でお芝居をやっていることがあります。夏は蚊が多いのでご注意ください。池袋から歩いて数十分とは思えないほど静かです。境内にはイチョウの見事な大木があります。ここから目白駅へ行く途中に明治通り上を走る目白通りの高架を渡りますが,そこから見える都電荒川線の光景がなんとも言えない良さがあります。鬼子母神堂は,池袋の空気感とは違う,なんとなくノスタルジックな雰囲気です。鬼子母神堂の建物は,時代を感じる上建物の彫刻が素晴らしく,幻想的です。七五三やお宮参りなどで訪れる人も多く,親しまれているのがよくわかります。名物おせんだんごを食べながら,のんびりした空気感に浸るのもオツなものです。


高岩寺(とげぬき地蔵)

東京都豊島区巣鴨3-35-2にあります高岩寺(とげぬき地蔵)は,都電荒川線・大塚駅前駅から直線約670m,徒歩約16分,車で約3分。都電荒川線・庚申塚駅から直線約670m,徒歩約16分,車で約3分。JR山手線・巣鴨駅から直線約430m,徒歩約10分,車で約2分。また,都営三田線・巣鴨駅から直線約370m,徒歩で約8分,車で約1分のところにあります。曹洞宗寺院の,とげぬき地蔵尊高岩寺は萬頂山と号し,慶長元年神田明神下に熊谷集福寺末として開創しました。下谷屏風坂下への移転を経て,明治24年当地に移転しました。とげぬき地蔵尊として多くの崇敬を集め,また関東百八地蔵結願札所となっています。とげぬき地蔵尊の縁起は,正徳3年5月,江戸小石川に住む田付氏の妻は,常に地蔵尊を信仰していましたが,一人の男児を出産後重い病気に見舞われて床に臥しました。諸所の医者が手をつくしましたが,病気は悪化の一途。彼女は,生家に宿る怨霊によって,女はみな25歳までしか生きられないという父母の話を,夫に伝えました。田付氏は悲しみの中に,この上は妻が日頃信仰する地蔵尊におすがりするほかはないと毎日一心に祈願を続けました。 ある日のこと,田付氏の夢枕に一人の僧が立ち,「自分の形を一寸三分に彫って河水に浮かべよ」といいました。田付氏が「急には彫り難い」と答えると,「お前に仏像をあたえよう」といわれ,夢がさめました。不思議な夢と枕元をみると,木のふしのようなものが置いてあり,平らな部分に地蔵菩薩のお姿がありました。田付氏は,夢にあった通りと不思議に思いつつも,地蔵尊の宝号を唱えながら,形を印肉にしめして一万体の御影をつくり,両国橋から隅田川に浮かべ,一心に祈りました。その日の夜午前2時頃,田付氏は妻の呼ぶ声にいってみると,「今夢うつつの中に男があらわれ,長い棒と籠のようなものを持って枕上に立ちました。すると,香染の袈裟をつけた一人の僧が出て来て蚊帳の外に引き出し,次の間で錫杖で背中をついて追い出してしまいました」と言いました。このことがあって以来,田付夫人の病気はしだいに快方に向かい,11月中旬には床をはなれ,以後無病になりました。田付氏がこの霊験を山高氏の家で話していると,一座の中に西順という僧がいて,その御影をほしいといわれ,二枚をあたえました。西順は,毛利家に出入りしていましたが,ある時,同家の女中が口にくわえていた針を飲み込んで大いに苦しみました。西順が持っていた地蔵尊の御影一枚を飲ませると,腹中のものを吐き,御影を洗ってみると,飲み込んだ針がささって出て来ました。以上,八代将軍吉宗の治世,田付氏が自ら記して高岩寺に奉納された「霊験記」より。高岩寺(とげぬき地蔵)は,巣鴨の中心的な場所になり,お香がもくもくとしている様子が名物のお寺です。商店街の真ん中にあって,雰囲気が良いです。延命のご利益があるとして有名な,曹洞宗のお寺です。巣鴨駅前から,徒歩7~8分で着きます。意外と参拝者は多いのですが,回転が早くて楽に参拝できます。途中に商店街があり,色々な店があってお参りの行き帰りに利用できます。お守り等の縁起物は割安な感じがします。すがも園のおだんごは小さくてかわいらしいです。巣鴨地蔵通りは最近は,若者向けのコーヒーショップもあり,パン屋のタカセもあり,客層がおじいちゃんおばあちゃんプラス若者,中高年に変わってきています。とげぬき地蔵と呼ばれているお地蔵さまは残念ながら非公開です。境内に洗い観音があり,こちらは拝観もそして名前通り,洗い流す事も可能です。境内の参拝は自由ですが,本堂の開館は6時からです。


浅間神社

東京都豊島区の名所,浅間神社は,豊島区高松2-9-3にあります。また,浅間神社は,西武池袋線・椎名町駅から直線約1.25km,徒歩約30分,車で約6分。東京メトロ有楽町線・東京メトロ副都心線,要町駅から直線約600m,徒歩約14分,車で約2分。また,東京メトロ有楽町線・東京メトロ副都心線,千川駅から直線約550m,徒歩で約13分,車で約2分のところにあります。浅間神社には,文久2年に築いた直径約21メートル,高さ約8メートルの富士塚があります。富士講のひとつ,長崎村の月三講が,富士山から運んだ溶岩を使い,富士山の五合目以上を真似て築造したといわれています。富士浅間神社は,豊島区高松にある神社です。富士浅間神社の創建年代は不詳ですが,富士塚が文久2年に築造されたことから江戸末期には創建されていました。現在長崎神社の境外末社となっています。富士浅間神社所蔵の文化財は,富士塚は江戸近郊に50余りあったものの,完全な形で残っているのは,当社の富士塚と,小野手照崎神社の下谷坂本富士,練馬区江古田浅間神社の江古田富士,の3基のみで,いずれも国重要無形民俗文化財に指定されているといいます。豊島長崎の富士塚は,富士山を神の宿る地として信仰する人々の集まりである富士講によって,江戸時代後期以降,主として富士登山が困難な人々のために,江戸とその周辺地域に築かれたものです。この富士講は,角行を開祖とし,江戸時代中期には身禄によって広められ,最盛期には,八百八講と称されるほどの講が結成されて代表的な庶民信仰の一つとなりました。豊島長崎の富士塚は,文久2年に富士講の一つである豊島郡長崎村の月三講の椎名町元講の人々によって築造されました。高さ約8m,直径20m,表面は富士山の黒ボク石でおおわれています。塚内には,頂上に大日如来坐像,小御岳石尊大権現碑,烏帽子岩奉献碑があるほか,合目石,講碑,石仏,天狗像,御胎内などが配置され,約50基の充実した石造物群で構成されています。浅間神社では,かつてお焚き上げが行われており,奉献された数多くの講碑からは長崎村の人々の富士信仰の強さと,近隣地域の人々との交流をうかがい知ることができます。この富士塚は,東京都内にある,江戸時代に築造された富士塚の中でもよく原型をとどめていることから,昭和54年5月21日に国の重要有形民俗文化財に指定されました。その美観と偉容を永く後世に伝えるため,昭和62年には昭和大修復が行われ,以後,浅間神社豊島長崎富士塚保存会によって,山掃除や保存修復事業が定期的に実施されています。以上,豊島区教育委員会掲示より。浅間神社は,国分寺崖線の南端に位置する,豊島区にある静かな神社です。千川駅から東に10分ほどの場所にあり,比較的市街地にある神社です。東京23区内にあるとは思えないくらいに緑豊かな木々が美しいです。いくつかの鳥居をくぐりながら,階段を上っていくと拝殿が見えてきます。とても気持ちの良い場所です。多摩川の高台にあり,富士山を拝む広場が設けられています。晴れていないと,富士山を見ることはかないませんが,多摩川の景色を眺めているだけでも和みます。重要文化財の直径が約20メートル,高さ約8メートルの大きな富士塚があり,富士山にお参りにいった気分を味わえます。江戸時代に造られた富士塚の中でもよく原型をとどめているものの一つとして,国指定重要民俗文化財に指定されています。浅間神社は,よくドラマの撮影で使われているのを見る神社です。アクセスが便利でおすすめです。参拝に来る人のほとんどが地元の人らしく,静かで落ち着いた感じの神社です。落ち着いた雰囲気がとてもいいです。なお,御朱印は16時までです。16時~17時迄であれば書置きの御朱印を拝受できます。


東神社

東京都練馬区の名所,東神社は,東京都練馬区豊玉北5-18-2にあります。東神社は,西武池袋線・桜台駅から直線約780m,徒歩約18分,車で約3分。都営大江戸線・豊島園駅から直線約760m,徒歩約18分,車で約3分。西武池袋線・西武豊島線・西武有楽町線,練馬駅から直線約120m,徒歩約2分。また,都営大江戸線・練馬駅から直線約80m,徒歩で約1分のところにあります。東神社は,教派神道に属する神社です。今から100年以上前の1912年,御神縁によって東京の北西の方位にあたる,現在の東京の練馬にある豊玉の地に,天地人万物を守護する天津神の天照大御神と,日本国を守護する,国津神の八大龍神をご奉戴し鎮座させていただきました。以上,東神社神社公式サイト「東神社とは」より抜粋。教派神道(きょうはしんとう)とは,神道十三派(しんとうじゅうさんぱ)に代表される神道系新宗教教団のことである。幕末期に起こり,明治時代に教派として公認された14の神道系教団を指す。以上,ウィキペディアより。教派神道は,全国各地の富士講が明治政府によって公認された神道13派のひとつ「神道扶桑教」に統合され,1912年に東京の北西にあたる当地に東神社が創建されました。西武池袋線の練馬駅から徒歩3分ほどの商業地の中にあり,近くに練馬大鳥神社があります。境内の入口には鳥居も無く,一見すると,神社とは分かりづらいかもしれません。練馬大鳥神社のお隣にある神社ですので,初詣であわせて参拝するといいです。天照大御神と八大龍神が祀られていて,金運と出世にご利益のある神社といわれています。天明神水という湧水が流れていて,この水は飲むことができます。練馬駅からすぐ近くにあるので,立ち寄りやすいです。歴史を感じる建物で,綺麗に整備されていて,気持ちよく参拝できます。こじんまりとしたシンプルな神社ですが,昔ながらの雰囲気があります。地域の人に大切にされているんだと実感しました。東神社は,とてもパワーを感じます。パワースポットとして人気の場所です。小さな神社ですがとても落ち着いた雰囲気の神社です。比較的静かな神社で,金運に関する参拝者が多いそうです。


諏訪神社

東京都板橋区大門11-1にあります諏訪神社は,都営三田線・高島平駅から直線約1.26km,徒歩約30分,車で約6分。都営三田線・西高島平駅から直線約820m,徒歩約19分,車で約4分。また,都営三田線・新高島平駅から直線約810m,徒歩で約19分,車で約4分のところにあります。赤塚諏訪神社は,板橋区大門にある諏訪神社です。赤塚諏訪神社は,赤塚の領主千葉介自胤が,長禄年間に信濃国の諏訪大社を勧請して,武運長久を祈願したと伝えられます。寛永7年には十羅刹女を併せ祀り,十羅刹諏訪合社として,下赤塚村の鎮守社だったといいます。明治7年村社に列格しました。当社の田遊びは,徳丸北野神社と共に,国の重要無形民俗文化財に指定されています。新編武蔵風土記稿による赤塚諏訪神社の由緒によると,10羅刹諏訪合社,村の鎮守なり,常福寺の持,例祭正月13日の夜田遊の祭禮と號し,村民集り蒔入より苅取まで農業四時のあまを次第になし,いと古雅の祭なり,とあります。以上,新編武蔵風土記稿より。板橋区教育委員会掲示による赤塚諏訪神社の由緒によると,創建年代は不詳であるが,赤塚の領主千葉介自胤が,長禄年間に信濃国の諏訪大社を勧請し,武運長久を祈願したと伝えられる。その後寛永7年頃に10羅刹女を配祀したが,神仏分離の際これを廃した。江戸時代の江戸名所図会には,田遊び神事が記載されている。田遊びは,水田耕作にかかわる神事で,年の始めにあたりその年の五穀豊穣と子孫繁栄を祈る,予祝の祭りである。毎年2月13日の夜に行われ,本殿と大鳥居間の朝輿の渡御の後,社殿に設けた,もがりの中で1年間の農耕行事が所作と唱言によって象徴的に演じられている。昭和51年に徳丸北野神社の田遊びとともに国の重要無形民俗文化財に指定された。以上,板橋区教育委員会掲示より。「いたばしの神社」による赤塚諏訪神社の由緒によると,鎮座の原由不詳であるが古伝に言う,赤塚の領主千葉介自胤が長禄年聞に,信濃国諏訪大社から其の分霊を勧請し武運長久を祈願した。其の後寛永7年頃10羅刹女を配祀されたが,神仏分離の際これを廃した。これより前,慶応2年氏子等寄附金を以て本殿を再興し,明治3年別当職真言宗常福寺の手を離れ,榎本清富が神勤申付けられた。旧社格は村社で明治7年4月に定められた。次いで大正6年3月27日幣殿拝殿の工を起し大正8年4月に竣工した。以上,「いたばしの神社」より。東京都神社名鑑による赤塚諏訪神社の由緒によると,古伝に,赤塚領主千葉介自胤長禄年間,信濃国諏訪神社よりその分霊を感情し,武運長久を祈願したものという。その後,寛永7年ころ,10羅刹女を配祀されたが,神仏分離のさいこれを廃するとともに,社殿廃毀のため慶応2年,本殿を再興し,大正8年幣殿,拝殿落成。なお当神社には,新編武蔵風土記稿記載の如く,十羅刹諏訪合社村の鎮守なり。例祭正月13日の夜,田遊び祭礼と号し村民集まり蒔入より苅取まで農行四蒔のさまを次第になし,いと古雅の祭なりとあり,この祭は享保初年より行われたのは確実で,今もその記録を保存し,少しも変わることなく,祭典を執行している。以上,東京都神社名鑑より。赤塚諏訪神社は,西日暮里から徒歩5分ほど,坂の上にあります。日暮里,谷中の総鎮守として今も崇敬を集めている歴史ある神社です。区の中心たる商業地域の中核をなす神社として,御神威弥高いものです。こころ穏やかになれます。さまざまな表情を持つ東京のなかでも,癒しの一面を垣間見られるスポットです。首都高速道路の下をくぐると,急に緑が増えて諏訪神社に行けます。東京23区の中心部にあって,本当に静かで落ち着いたスポットです。観光客もそれほど多くはなくて,癒やされます。


安養院

東京都板橋区の名所,安養院は,板橋区東新町2-30-23にあります。また,安養院は,東京メトロ有楽町線・東京メトロ副都心線・西武有楽町線,小竹向原駅から直線約1.16km,徒歩約27分,車で約5分。東武東上本線・上板橋駅から直線約1.09km,徒歩約26分,車で約5分。また,東武東上本線・ときわ台駅から直線約970m,徒歩で約23分,車で約4分のところにあります。真言宗豊山派寺院の安養院は,武王山最明寺と号します。鎌倉中期正嘉元年に,最明寺北条時頼が諸国行脚のみぎり,持仏,摩利支天を此地に安置し,一宇を建立して創建されたと伝えられます。江戸霊雲寺浄厳律師の高弟の,祐淳大比丘が元禄元年に中興開山,近郷の真言宗の中心勢力となり多くの末寺を擁していました。豊島88ヶ所霊場発番札所,板橋七福神弁財天です。延宝年中火災により諸堂宇灰燼に帰したのを,元禄元年に,江戸霊雲寺浄厳律師の高弟の祐淳大比丘が再興し,阿弥陀三尊を本尊として,本堂,庫裡,大師堂,鐘楼,山門等を造立して寺院の形態を整え,安養院と称し,近郷の真言宗の中心勢力となりました。後に,西新井大師総持寺末の客末に列し,上板橋村の長命寺をはじめ文殊院,宝蔵院,宝珠院,両眼院等を末寺として大いに栄えました。明治13年に火災により宝蔵を焼き,従来の古文書,什器等の大半を消失し僅かに,厨子入釈迦四面像,紅頗梨色阿弥陀像,など少数を残すのみとなりました。65世宥和権大僧正が住職となるや,大正6年に本堂,鐘楼などを大いに改め,昭和4年には庫裡を他より移築して寺観を一変して今日に至ります。以上,いたばしの寺院より。いたばしの寺院による安養院の縁起によると,新義眞言宗足立郡西新井村總持寺末,武王山最明寺と號す,本尊阿彌陀は紅頗梨色尊形と號す,脇に観音勢至を安ず,幷に運慶の作と云,法流中興祐渟寶永元年7月8日寂す,當寺は北條相模守時賴の中興なれば寺號を最明寺と云,又武徳を表して山號に取ると云,正保の頃まで門徒寶珠院の傍に時賴の影堂存し,同邊に最明寺塚と云塚あり,又堂坂最明寺腰掛松などもありしが,90年前枯しと云,是皆口碑に傳るのみなれど,堂松の稱呼によれば左もあらんか,又天永貞治文明の古碑などあれば古刹なることは論なし,什寶釋迦像一龕。堂中に安置す,赤栴檀を以て毘首羯摩が作る處と云,4面巌石の彫刻ありて,南面は華嚴説法場に擬し,巌窟中に釋迦像を安し,兩扉に目蓮迦葉をえれり,其下の窟中は釋迦降誕の像を模し,北面は入滅の像にて是も窟中に刻し,降誕の像と表裏をなせり,此餘大阿羅獏幷10大弟子其外種々の雕鏤あり,縁起に云根本開基は1000餘年の事なれば悉く記しがたし云々,中古武田信玄守本尊たりしを紀州家に轉傳し後故ありて當寺我師に寄進,且其時の添状等ありとのす,我師とさせるは中興祐渟のことなるべし,添状は何頃か失へり,鐘樓。元禄2年鑄造の鐘を掛寺中寶珠院。如意山と號す,本尊立像の地蔵を安す,長8寸慈覺大師の作と云,寶蔵院。金剛山と號す,本尊薬師日光月光12神将及辨天地蔵を置,以上,いたばしの寺院より。安養院は,閑静な住宅街にある,鎌倉時代からの歴史を伝える真言宗の寺院です。とても静かに時間が流れていて癒されます。街の雑踏から逃れて,自分の時間を作れます。閑静な環境,美しい庭園,清潔な坊舎,気品に支えられた古い伝統と歴史を誇っています。


龍福寺

板橋区の観光名所,龍福寺は,東京都板橋区小豆沢4-16-3にあります。龍福寺は,JR埼京線・北赤羽駅から直線約930m,徒歩約22分,車で約4分。龍福寺は,都営三田線・志村3丁目駅から直線約1.26km,徒歩約30分,車で約6分。また,都営三田線・志村坂上駅から直線約630m,徒歩で約15分,車で約3分のところにあります。真言宗智山派寺院の龍福寺は,薬王山東光院と号します。龍福寺は,室町時代末に袋村の真頂院の僧運珍が隠居寺として創建したといわれており,建長7年以降の数多くの板碑や,小豆沢地名由来の伝承が残されています。江戸時代には南照山興隆寺,閻魔堂,教性院を末寺に擁していました。豊島88ヶ所霊場86番札所です。室町時代末に袋町の真頂院の住職運珍和尚が,創建したと伝わる真言宗寺院です。境内には,平安時代に台地下にひろがっていた,七々子崎という入江で発見されたとの縁起をもつ薬師如来を祀っています。建長七年,1255年の板碑など数基の板碑があって,板碑の寺として有名です。いたばしの寺院による龍福寺の縁起によると,室町末期に袋町の真頂院の住職運珍和尚が,隠居寺として創建したのが始まりと伝えられます。世代の項で述べたように,只今のところ,由緒沿革は明らかにされていません。しかし本寺は,由緒の深い寺であることは,文化文政の新編武蔵風土記稿に記載があり,平将門を伝える薬師縁起の伝承,現存する建長の板碑等からも十分に推察されます。以上,いたばしの寺院より。新編武蔵風土記稿による龍福寺の縁起によると,新編武蔵風土記稿巻之14豊島郡之六小豆沢村は,往昔荒川の入江に傍て七々子崎と唱へし湊なり,平将門東国を押領せし頃,貢物の小豆を積来りし舟,この江に沈みしかは此名は起これりと,龍福寺薬師縁起に見えたり。龍福寺は,新義眞言宗,袋村真頂院の末,薬王山東光院と號す,本尊大日,別に不動を安す,共に運慶の作,世代の内看尊正保4年12月24日寂すと云ひ,この外のことを傳へず,客殿の軒に明和4年鑄造の大鐘をかく,什寶に乗鞍一掛あり,境内薬師佛と同時水中より得しと破損せるさまいと古色なり,鐙もありし由今は失へり,薬師堂。寺記に云,天長年中當所は七々子崎と云入江なり,江中夜々光を放つ依て此の像を得て安置せり,其出現せし池と云は境内の後背にて今は御手洗となれり,以上,新編武蔵風土記稿より。板橋区教育委員会掲示による龍福寺の縁起によると,ご本尊は大日如来。宗派は真言宗智山派。薬王山東光院龍福寺と号しています。本寺は,室町時代末に袋村の真頂院の僧運珍が隠居寺として創建したのに始まるといわれています。その後の寺暦について詳細は不明ですが,19世紀初頭の新編武蔵風土記稿に末寺として興隆寺や教性院があげられているので,この頃には勢いを誇る寺となっていたことがわかります。本寺に伝わる,薬師縁起には,薬師堂に祀られている薬師如来が,天長年間に台地下の七々子崎と呼ばれる,荒川の入り江で発見されたことや,小豆沢の地名が,平将門への貢物を積んだ舟がここで沈み,その際積荷の小豆が流出したことに由来していることが書かれています。本寺には,かつて20余基の板碑があって,板碑寺とも呼ばれていましたが,先の大戦の空襲で,その多くが破損し,現在では昭和58年度に板橋区の指定文化財となった,建長7年の板碑など7基が残るだけです。なお,当寺は豊島八十八ヶ所霊場の第86番札所となっています。以上,板橋区教育委員会掲示より。龍福寺の所蔵文化財である,龍福寺建長七年板碑は,板橋区指定有形文化財で,昭和59年2月22日指定されました。板碑は中世に造立された板状の供養塔の一種で,造立の目的は死者の冥福を祈る追善供養や生前に死後の菩薩のための仏事を行う逆修供養が主なものとなっています。板橋区内に所在するものは,埼玉県の秩父地域で産出される緑泥片岩を石材とする武蔵型と呼ばれるもので,そこに造立年月日や法名,仏を表現する種子などが刻まれています。この板碑は,板橋区内で2番目に古い建長7年に造立された,高さが160cmの大型のもので,表面には,成善の名前のほかに,梵字のキリークを主尊とし,それにサとサクを配した,弥陀三尊が刻まれています。板橋区にある龍福寺は,東京都板橋区エリアにあるお寺です。志村坂上駅から徒歩で行ける距離です。志村坂上駅から,徒歩10分ほどのところにあります。室町時代からの古刹で,山門,鐘楼がある境内は歴史を感じさせる造りになっています。板の碑文などもあり,それに植木も立派で,建物もさすがにすばらしく,これだけでも訪れる価値はあります。境内には,鎌倉時代の板碑がいくつかあります。よくみる秩父の緑色の石のものですが,中には大きく割れることもなく残っている立派なものもあります。こじんまりとしているので,お彼岸でも混まずにのんびりとお墓参りができ,受付でお花やお線香も準備がしてあるので,用意をしなくても大丈夫です。


圓福寺

東京都板橋区西台3-32-26にあります圓福寺は,西台山と号します。円福寺は,太田道灌が文明11年川越に開創し,慶長13年に当地へ移転,西台の大寺として知られ,慶安2年には寺領20石の御朱印状を拝領したといいます。室町時代に太田道灌によって川越で創建され,江戸時代初期に当地へ移転して来たと伝えられている曹洞宗寺院です。江戸時代は,将軍家から20石の寺領を寄進された朱印寺でした。境内には高野山より移植したというコウヤマキが境内に繁っています。明徳2年の雲版や文明17年の月待画像板碑,江戸時代から昭和期までの圓福寺や西台地域の様子が分かる古文書,開基の太田道灌像が伝えられています。(板橋区公式ホームページより)いたばしの寺院による円福寺の縁起によると,本寺の開創は文明十一年とも永正年間ともいわれる。開山は雲崗にょって永正年間に既に創立されていたことは,多田彦六老母寄進状によって明らかである。然るにこれより百三十数年後の慶長十三年に当西台の地に,洪州によって川越の円福寺が移転して来て開創されたという。この記載では,勧請開山が雲崗勧請開基が道灌で,洪州は第二世となっている。ここで解明しにくいのは,多田老母の永正の寄進状と慶長の,川越円福寺移転という二重の円福寺開創と其の間の年数,住職世代の第一世と第二世の間の年数である。若し推測が許されるならば文明十一年に円福寺は西台の地に雲崗によって開山され,それから百三十二年後に,川越の円福寺が移転して来て,合寺の形で新に西台の地に円福寺が洪州によって整えられ,円福寺第二世になったということである。それとも多田文書は円福寺が川越にありながら,遠く離れた西台の地に於て多田彦六老母が,永正年間に畠を二度に亘って寄進したと見るべきであろうか。本寺は大寺の名にふさわしく,かっては参道だけでも一町もあったという。慶安二年十月,徳川家光が朱印地二十石を西台村の中に寄進し,代々の将軍に引き継がれた。弘化二年の火災により山門のみを残し,堂宇寺宝の多くを消失した。享保二年には本山より,随意法幢地の寺格をさずけられ,慶応四年の神仏分離までは西台村の神明宮別当寺であった。なお,寺紋は道灌ゆかりの,太田桔梗で,道灌がこの付近で狩りをしたとの伝説も残っている。以上,いたばしの寺院より。東京都の板橋区西台に位置する曹洞宗の寺院で,歴史も由緒もあるお寺です。住宅街にありながら敷地は広く綺麗に整備されていて,ちょっと境内を散歩するにもいいと思います。境内にある仁王像はなかなかの迫力です。境内には孔雀が飼われていて,西台天祖神社からも近く一緒にみるのもいいと思います。観光で有名なお寺ではないので静かで,いつでも気兼ねなく自由に本堂へ上がれます。

出展:じゃらん・ホトカミ・猫の足あと