江東区の水トラブルなら







「一現場・一担当制」 を採用しており、 同じ現場には、同じ担当者を派遣します

水の救急隊は、「一現場・一担当制」をとっております。そのため、もし再度の御依頼の際にも、大きな安心感を提供できます。

作業終了後も何かあったとき、すぐに 電話に出ます。決してお待たせしません

コールセンターは、つねにお待たせすることなく対応が可能です。

もちろんPL保険に加入しているので、万が一の事態にも保証

水道トラブル修理の際に、どのような不測の事態があっても、お客様のご自宅や設備を守ることが出来ます。

設置器具の無料保証も完備しています

新たに設置させていただいた器具・設備に関しましては、メーカーの定める保証に完全対応しております。

クーリングオフ制度にも準拠

万が一、御依頼と違う場合には、クーリングオフを適用することが可能です。





24時間フリーダイヤル受付中です

江東区エリアなら、

水の救急隊が高品質な修理。



経験豊かなプロが大至急で駆け付け、あらゆる水まわりのトラブルを解決いたします!


キッチン・お風呂・トイレなど、

最高のスピードでトラブル対応!


水が出ない!止まらない!漏れてきた! 江東区



24時間365日年中無休で、営業土日祝日ももちろん、年末年始やお盆の時期のトラブルも対応が可能です。


あなたのお住まいの近隣にて待機している、技術力の高い水道局指定業者が、最短駆けつけ時間20分、最短修理時間45分で対応させていただき、その日の内に修理が終わります。


現金・クレジットカード・銀行振込をはじめ、多様な支払い方法に対応。さらに、出張費、見積り費、深夜早朝の割増費、キャンセル費は無料です。 江東区でお困りの方は、ぜひ水の救急隊までお気軽にご連絡ください!



水の救急隊(水道修理プロ)江東区・担当者より

いつも、大変お世話になっております、水の救急隊・ 江東区担当です。 水の救急隊では、皆様の日常に必要な水回り、とくにキッチン・トイレ・お風呂などの修理や緊急トラブル解決を専門にしています。パイプの詰まりや、水漏れがおもな対象です。勤務の江東区は、江戸時代に埋め立てられて造成された土地です。いかに人力がすごいかということを示しています。先人が土木工事にて精魂込めて作った場所で水のトラブル対応の仕事が出来ることを、光栄に感じています。埋立地というと歴史的な建造物はないのでは、と発想しがちですが、江戸最東端の深川地区には富岡八幡宮があり、亀戸には亀戸天神が鎮座するという寺社仏閣好きにもたまらないところが江東区なのです。南砂とか臨海副都心は、ものすごい数のマンションがありますので、毎日多くの水道修理、とくにキッチンやトイレ・お風呂などの詰まりや漏れにて救急対応させていただいております。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 コールセンターが24時間対応しておりますので、水道トラブルの際はぜひ、ご利用ください。ところで、これまでの江東区のみなさまの生活様式を一変させてしまった感のあるコロナ禍について、水の救急隊(水道修理プロ)江東区・担当者の私が個人的に頭を悩ませていることがあります。それは何かというと、コロナ禍以前に比べて水トラブルが増加したことです。水トラブルが増加した理由の一つとして、コロナ禍対策で蜜を避けるためなるべく外出しないことや、テレワークに仕事方法をシフトしたことなどによって、在宅で過ごす時間が増えたことがあります。そのため水道設備を利用する頻度が増え、それに伴って水トラブルも増えたのだと考えられます。そこで江東区のみなさまに特に気をつけていただきたいのが、「トイレの水がチョロチョロ流れる」というトラブルです。この「トイレの水が流れ続ける」というトラブルですが、蛇口などの水道器具のトラブルに比べて発見が困難なため、どちらかというと見逃されがちです。ところが、「トイレの水が流れ続ける」というトラブルは、水道料金を無駄に支払うことになりますし、限りある江東区の水資源の浪費にもなります。つまり、トイレ設備の水トラブルの方が他の水道設備のトラブルよりも、お金についても、また自然環境についてもハイリスクだといえます。ですから、「トイレのトラブルを減らすことが江東区のみなさまの大切なライフラインである水資源の保護に繋がる」、という広い視野でお考えいただき、なるべく早く修理していただくことをお勧めします。それとまた、コロナウイルスが流行し始めた時期から、水トラブルの【修理工事費のトラブル】、特にトイレ水トラブルの【工事費に関するトラブル】が多発しています。この水トラブルの【工事費のトラブル】についてですが、トラブルが発生して、運悪く水道局の指定を受けていない水道工事業者にトラブルの修理を依頼してしまった場合などに、【修理工事費トラブル】に発展するケースが多いようです。ちなみに、私ども水の救急隊のような、水道局から指定を受けた水道工事業者であれば、トラブルの状況を確認してから、お客様に具体的な水トラブルの修理方法と、工事費の見積金額を明示して、お客様のご了解をいただいてから修理作業を行うのが通常です。ところが、悪意ある水道工事業者(水道局の指定を受けていない)は、修理方法の説明や、工事費の見積金額を提示せずにいきなり修理作業を行い、やたらと高額な修理費を請求して、その場で支払を要求することが多いようです。また、【工事費に関するトラブル】が起きる時間帯としては昼よりも夜間の場合が多く、夜間にトラブルが発生した場合、それもアパートなどの共同住宅ですと、周りの住人の迷惑を考えてしまい、朝までそのまま放置しておく訳にもいかず、水道修理業者に言われるままに修理してしまう場合が多いようです。ちなみに、このような【修理費トラブル】に遭った人の中には、トイレの取り外し工事費が9万円、またトイレ修理費の総額が30万円などと、とんでもない金額を請求をされて、支払わされた人もいるそうです。ですので、仮に水トラブルが発生して修理依頼した場合に、「水トラブルの修理に来ました・・・」と言って修理の人が来たら、いくら深夜でせっぱ詰まった状況だとしても、工事前にその水道工事業者が行政の指定を受けている工事業者なのかどうかの確認を行う、また修理費の見積を工事の前に確実にもらうなどして、しっかりと業者の信頼性と安全性の確認を行ってから修理してもらうようにして下さい。そしてもし、それらの確認を行わずに修理してしまい、仮に30万円などといった高額な修理費を請求された場合は、たとえ支払えるお金があったとしてもその場での支払いは行わずに、日を改めて修理を行った水道工事会社に電話して修理費の値下げ交渉を行うようにして下さい。その場で請求された修理費を支払ってしまうと、後で返金してもらうのはかなり困難なようです。またこれに加えて、このような水トラブルの【修理工事費トラブル】とは別の、新型コロナウイルス絡みの新手の【水道管詐欺】が増加しています。ですので、これはもしかして悪質商法や詐欺かな、と疑われる場合は、警察の相談専用電話【#9110】に電話して下さい。全国どこからでも電話をかけた地域の警察本部などの相談窓口につながるはずです。



水の救急隊が江東区で喜ばれている理由


■予測できない「水のトラブル」に緊急対応いたします

われわれの日常生活において、水の無い暮らしは考えられません。

そのように大切な水の、重大なトラブルは急に発生することがあります。快適な生活を守るために、迅速に解決しなければなりません。
水の救急隊では、24時間年中無休のコールセンターが稼働しており、日中や夜間など時間帯に関係なく、あなたのお家の水トラブルに緊急対応いたします。

■江東区ではすべての作業対応場所を確保

いきなりの水トラブルにお困りの、あらゆるお客様にサービスをご提供するために、水の救急隊は江東区の全エリアにて作業を提供いたします。
家庭でのトイレ、キッチン、お風呂などの水漏れや詰まり、その他配管の故障などはもちろんのこと、店舗や会社の事業所など商業施設でも対応が可能です。

■お客様ごとに、丁寧なご提案

水の救急隊は、水回り関係の修理サービスにおいて、可能な限り、お客様のご希望にそった内容をご提案させていただきます。
いっぽう、緊急水トラブル対応だけでなく、消耗品や部品交換のみのご依頼も承っておりますので、どのような些細なご希望・ご要望でも、お気軽にお申し付けください。

■作業内容・作業料金は事前に説明します

水の救急隊は作業後に追加料金が発生することはありません。
水回りの修理を行う前に必ず作業内容のご説明と見積書の提示を行っております。
作業完了後は、見積書に記載された料金のみいただいておりますのでご安心ください。

※追加作業をご希望される場合は料金が発生することもあります。
※対応エリア・現場状況により、事前にお客様にご確認したうえで調査・見積もりに費用をいただく場合がございます。



◇まずは必ず止水をしましょう!


水が止まらないとか、水漏れが止まらないなどの症状が出た際には、止水栓を閉めてから原因箇所と修理方法を探りましょう。

・止水栓は基本的に、各水道設備についています。

・また、水道メーター近くに元栓で止水することができます。

いったん水を止めて、落ち着いてからご相談ください。




サービス対応エリアは江東区内すべてです

それぞれにおいて、迅速な対応が可能です。

さらに詳細な地名を記載いたします。

野、永代、新木場、大島、有明、亀戸、冬木、高橋、佐賀、石島、青海、毛利、夢の島、牡丹、東雲、猿江、古石場、千田、枝川、扇橋、福住、海辺、越中島、千石、三好、木場、若洲、富岡、豊洲、新大橋、北砂、塩浜、住吉、中央防波堤、清澄、東砂、森下、白河、南砂、辰巳、新砂、潮見、門前仲町、深川、常盤、東陽


これらすべての場所で、水道局指定業者である江東区の担当プロが、真心をもって、丁寧に作業させていただきます!



水の救急隊(水道修理プロ)江東区・担当者より Part2

どうも、二度目の登場となります水の救急隊・東京都江東区の担当スタッフです。ここまでお読みくださり、まことにありがとうございます。せっかくですので、さらに、地域の水道に関して、知識を提供させてください。この項では江東区のみなさまへの水回りのことや、水トラブルなどのことについて、私、江東区・担当スタッフから前項ではお伝えしきれなかった内容につきまして記してあります。これを読んでいただき、少しなりとも江東区のみなさまの水トラブルの際の一助となれば、望外の喜びとするところです。なにぶん、私が思いついたまま、ペンの走るままにまかせて書いてありますので、読んでいて、内容にまとまりがないと感じられるかも分かりませんが、どうぞよろしくご容赦いただきたいと存じます。

水トラブルの原因はある程度なら自分で調べられます。

最近、なんだか水道料金が急に高くなった、また、晴れた日でも地面が湿っている、などといったことはありませんか。 それは、もしかすると水漏れが原因なのかもしれません。そんなとき、ある程度はご自分でも、どこに水トラブルの原因があるのかの調査は可能です。基本的には、漏水か所が水道メーターよりも、お客様の水道設備ならば、支払いの義務が生じてしまいます。また、それとは逆に、自治体側の水道設備、つまり本管から水道メーターまでの個所であれば、江東区のほうで修繕することになりますので、当然、お客様に支払いの義務はありません。そこで実際に、水トラブル原因がお客様の水道設備なのか、それとも江東区の設備なのかをご確認いただく必要があります。まず前準備として、全部の蛇口が止まっているか確認します。つぎに水道メーターの場所を探します。一戸建住宅などは、玄関先場などに埋められている場合が多いです。また、水道メーターは水道局の指定で、以前は鉄製のふたが多かったのですが、最近のものは樹脂製で出来ているものが多く、またふたの色は青か白などになっています。では、何を見るかというと、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットがクルクル回っているかどうかを確認します。もし、パイロットが回っていれば、水を使用している状態だという意味です。つまり、蛇口を止めたのにパイロットが回っているということは、どこかから水が漏れているということを意味します。そして、パイロットが回ることで水道料金は加算されていくことになります。その結果として、もしパイロットが回っていたら、お客様側の設備で漏水していると思われますので、出来るだけ早急に修理が必要となります。それとは反対に、もしパイロットが回っていなければ、お客様側での漏水はしていませんので、もし、水道メーターの近くの地面が濡れているようでしたら、水道局のほうにご連絡願いただきたいと思います。このように、水道メーターのパイロットの動作を確認することによって、ある程度でしたら水漏れ個所を特定することが出来ます。また、パイロットは、水の流量によって回転する速度が違います。たとえば、水道管の破断などで、水が漏れているのであれば、パイロットは物凄い速さで右回転しますし、また、少しだけ流しているときなどは、それなりにゆっくりと回転します。ですので、普段からパイロットの動作状況をご確認いただくことで、ご自宅の水道の使用状態を把握することが可能です。

■もし、パイロットが回り続けていたらお気軽にご相談ください

ここまでが、水道メーターのパイロットを使っての水漏れの確認方法です。一般的には、パイロットの動作の確認などによって発見された水トラブルの場合は、蛇口の水漏れなどの水トラブルに比べると、水漏れが目視で確認できないことが多いので、緊急度とお困り度が低いように感じられて、あまり気にしなくていい水トラブルなのだと誤解されてしまう傾向にあり、どうしても見過ごされがちです。また、このような、水漏れが目で見えない水トラブルは、一度見過ごされてしまうと、ずっとそのまま放置されてしまうことが多いようです。ところが、このような水トラブルのほうが、蛇口の水漏れなどの発見しやすい水トラブルよりも、いろいろな面でハイリスクだといえます。たとえば、水道料金についてですと、少量でも水が漏れ続ける状態で修理を怠った場合、びっくりするくらい多額の水道料金を請求されることになります。また、漏水している場所が建物の壁の中だったりすると、シロアリやカビが発生する原因になったりもします。もしそうなると、水トラブルの修理をする時に、私たちのような水道修理業者以外に、工務店さんなどの修理依頼も必要となります。またそれに加えて、シロアリやカビなどの発生が原因で、建物の不動産としての価値が下落することにもなりかねません。ですので、もしパイロットが回り続けていたら、私たち、水の救急隊にお気軽にご相談ください。水の救急隊は、高い技術力と豊富な経験で、どんな水トラブルにも対応して、江東区の皆様のライフラインを守ります。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 365日、コールセンターが24時間対応しておりますので、水トラブルの際はぜひ、ご利用ください。

漏水分の水道料金については、江東区のほうに返金請求できる可能性があります。

基本的には、ご家庭の水道設備などは、お客さまの財産ですので、お客さまご自身で管理していただくものとなっています。ですので、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットが回っている場合は、水道メーターで計量した水量に漏水した分が含まれていても、その水量に対する水道料金については、原則としてお客さまに支払いの義務が生じます。ですが、条件によっては減額してもらえる場合があります。また、よくある条件として、水漏れ個所が、発見が難しい場所にある、使用方法自体には問題がない、また水漏れの修理が終わっている、などといったような条件に当てはまると、江東区のほうに水道料金の漏水分について返金請求できる可能性があります。ちなみに、よくある条件というのは、自治体が決めているルールによって異なっていますので、注意が必要です。また、返金される料金についてですが、基本的には水漏れしていた分を全額を返金してもらえるということはなく、水漏れしていない時期の、2、3ヶ月間の水道使用量を参考にして、水量の50%~70%程度が減額されるケースが多いようです。また、発見が難しい場所にあることが条件、となっていることが多いようですので、蛇口、風呂、キッチン、トイレといった、日常生活で容易に発見出来る水漏れなどに対しては減額請求を受付けてもらえない場合が多いようです。それとですが、水漏れ修理が終わっているという条件につきましても、DIYで直すのはNGで、私たちのような、江東区から認定を受けた地域の指定工事店が修理する必要がある場合があります。加えて、自治体によって申請方法が違うようですので、まずは東京都江東区の水道局へどのような条件であれば減額請求ができるのか確認しておくと良いと思います。

家屋の外壁部には重量物を置かない方が賢明です。

家の外壁部に重い物を置くことが、水のトラブルと何の関係があるんだろう。と思うかたは多いはずですが、ところが、大いに関係があります。実は、家屋の外壁部に重量物を置いたために、そこに埋まっている水道管の継ぎ手が外れて、そこから水が漏れ出る例が多く発生しているのです。通常、江東区などの行政で設置する水道管は道路の、1.2mくらいの深さ、このような埋設深度のことを、水道業者さんなどは、土被り(ドカブリ)などと呼んでいますが、とにかく車両などがその上を通っても、水道管が破損したりしない深さにきちんと埋まっています。ところが、一般家庭の場合はそうではなくて、大体地下30cmくらいの深さにしか埋まっていないんです。ちなみに、下の写真の例は江東区内で撮影されたものではありませんが、土被りは、せいぜい20cmくらいではないかと思われます。もし、そこに何百キロもある物を置いてしまうと、当然水道管の継ぎ手などはたまったものではありません。ある意味、外れて当たり前とも考えられ、水道管が家屋に引き込まれているところには、極力、重量物を置かないほうが賢明です。また、水道管の場合はガス管などと違って、家屋に引き込まれている場所が分かりずらいことがまたやっかいとなります。もし仮に、これが原因で水モレしてしまうと、常に蛇口が全開の状態になりますので、江東区から請求される水道料金も、2か月分まとめて請求が来ますので、莫大な金額になります。ちなみにこれは、江東区で発生した事例ではありませんが、そのお宅の人はそれまで全く水漏れしてる事実に気が付かずにいたそうなのですが、ある日水道の検針員さんに「今回はものすごく水道の流量が多いですよ」と指摘されて、請求金額を調べてみたら2か月の水道料金が何と16万円で、愕然としたそうです。仕方なく、急ぎ業者さんに漏水箇所を直してもらって、水道料金のほうは、行政に申請書を出してなんとか3万円まで減免してもらったそうです。ちなみに、この事例では、庭のエクステリア工事で余ったインターロッキングブロックを何気なく家の外壁のところに山積みして置いたそうです。ですので今後、もし可能であれば水道工事をやってくれた水道屋さんを探して、 水道管がどこに埋まっているか確認しておいた方がいいかもしれませんね。

水道局を名乗る人が来たらご用心。

これまでに、本管から水道メーターまでは東京都江東区の設備です、と何度も書いてきましたが、あえてまた書かせいただきてます。それはなぜかというと、ある日突然、水道局の人だと言って、「先ほど交換したメータの代金をいただきに来ました。」と代金を請求されて、お金を騙し取られた、といった事が、ここ江東区内で直接に聞いた話ではありませんが実際にあるからです。普通に考えた場合、本管から水道メーターまでは江東区の範疇だからメーターを交換しても工事代金は取られないはずだと思うはずなのですが、オレオレ詐欺と同様にいざその場になると、相手の言葉を信用してしまうようです。相手の人から「たしかに第一止水栓までは江東区の設備です、でも江東区ではお客様の敷地に設備は設置しないはずです。ですので、お宅の水道メーターが敷地内にあるということは、メーターはお客様の持ち物なんです」などと言われると、なるほどそーなんだと、コロリと騙されてしまうようです。基本的に、水道局では水道メータは、計量法の規定で8年に1回交換してくれて、水道メータの交換にお金がかかることはないとのことです。それと、何か特別なことがないかぎり、水道局の人が直接お客様宅を訪ねることは普通ないそうです。ですのでもし、水道局を名乗る人が来たら、お宅の内には入れずに、その場で身分証明書を見せてもらう、または水道局に問い合わせてみるなどしてください。とにかく、水道局を名乗る人が来たら、くれぐれもご用心ください。

トイレの水が止まらない水トラブルについて。

トイレの水のトラブルといえば、トイレットペーパーやそれ以外のものが詰まってしまう、「詰まり」を一番の原因として連想すると思います。ところが、意外なことにトイレで多い水のトラブルに「水が止まらない」という現象があります。この項では、トイレの水が止まらないと、どのようなことになるのかについて、説明いたします。さて、私たちが普段なに気なく使用している水洗トイレですが、思ったよりも複雑な構造で動作しています。また、このトイレの水が止まらない故障の原因となる場所のほとんどがトイレタンクの内部にあります。ですので、キッチンやお風呂の蛇口からの水が止まらないなどの、誰でも一目で分かるような水のトラブルなどとは違って、意外に発見されにくい故障だともいえます。ですが、わざわざトイレのタンクの中を覗いて、トイレがどんな様子で水を流す仕組みになっているのか、などと観察することは私たちのような仕事関係の人間以外、あまりないと思いますので、ここで少し、トイレの水が流れるシステムについて解説いたします。まず始めに、トイレのタンクの内部を写した下の解説写真をご覧ください、写真の右側に見えます白い棒は、アームと呼ばれ、水を流すときに回すトイレレバーと繋がっています。また、トイレレバーを手前に回すと、アームが手前側に回転して、アームに付いているクサリが、映りが不鮮明ですが、写真の下に見えます黒くて丸い部品を引き上げます。この部品はゴムフロートと呼ばれていて、トイレタンクの中にある水が便器に流れないように水を止める部品です。また、このゴムフロートが上に持ち上げられることにより、ゴムフロートと排水口の間に隙間ができて、タンクの中の水が便器に流れるようになっています。そして、トイレタンクの中に貯めてあった水が流れ終わるとゴムフロートが下がって、排水口にフタがされます。そうしてまた次の水を貯める、というのが一連の流れになっています。ちなみに、写真の左下に映っている棒状のものは、オーバーフロー管といって便器に繋がっています。このオーバーフロー管は、タンクの中の水がタンクから溢れ出ないようにオーバーフロー管の上部から便器へ排水するための役割をしています。ちなみに、写真のオーバーフロー管の上のほうに黒い横線が見えます。これは、タンクの中の標準水位を確認するためのマークですが、もし、このマークがないオーバーフロー管の場合は、タンク内部の水位は、オーバーフロー管の先端部よりも2~3センチ下が適切だと言われています。

さてここで、トイレの水が止まらないトラブルの原因を見ていきたいと思いますが、何個かの原因が考えられますので、順番に解説いたします。ではまず、さきほどのゴムフロートですが、このゴムフロートが古くなると、歪んだり穴が開いたりして、排水口にピッタリと密着しなくなって、しっかりとフタができなくなります。もし、このような状態になってしまうと、いつもチョロチョロとした水が流れ続けて、水が止まらない状態が続いてしまいます。ですので、ゴムフロートの劣化が原因による水トラブルの場合は、ゴムフロートを新しいものに交換する必要があります。また、アームとゴムフロートを連動させるクサリが絡まっても、いつもゴムフロートが上がっている状態になって排水を続けますので、トラブルの原因となります。これに加えまして、ゴムフロートと排水口の間に何か異物が挟まってしまうと、排水口にしっかりとフタができず、排水し続けてしまいますのでこちらも水が止まらない水トラブルの原因になります。次に、下の写真の右側に映っている白い球状のものは「浮き球」と呼ばれるもので、文字通り、「浮きこ」の役割をしていて、写真でもお分かりいただけると思いますが、ピストンバルブやボールタップと呼ばれる、水道からタンク内への給水をコントロールする役目の部品と、指示棒を介して繋がっています。また、これらの部品はお互いに連携して、ひとつの役割を果します。そして、この浮き玉の位置によって、ピストンバルブが開いたり締まったりして、それと同時にボールタップが連動します。ですので、浮き球が古くなり破れて、中に水が入ってしまうと、水位の変化をうまく伝えられなくなって、水が止まらなくなります。また、ボールタップが故障すると、これによってもトイレの水が止まらない状態になるため、ボールタップ自体を交換するなどの修理が必要です。

トイレの水が止まらない水トラブルについて、もう少し掘り下げてみます。

これまで、普段なかなか目にすることの少ないトイレのメカニズムについて解説しましたが、想像していた以上に故障に繋がる部品が多いように感じたかと思います。さて、このトイレの水が止まらないトラブルですが、水トラブルの場所がトイレということで、いつもチョロチョロとした水が流れ続けていても、どちらかというと見過ごされがちで、あまり気にかけられないため、修理されずそのまま水が流れ続ける状態になっている。また、もし気がついたとしても、デパートやスーパーなどのトイレのように、消臭の目的で、いつも水が流れるタイプのハイテクトイレと勘違いされて、水が流れ続けているのに、故障していることに気ずかれずに、修理されずにそのまま使われていることも多いようです。では水が止まらない水トラブルが修理されずにそのまま放置されると、どのようなことになるのかというと、水道メーターのパイロットがクルクル回っている、いわゆる、水道料金がずっと加算されていくことになります。ちなみに、漏水した分の水道料金の減免につきましては、本サイトにて既に一度解説してありますが、大変重要なことですので、再度記載しますが、漏水した分の水道料金はこちら、江東区でしたら、江東区のほうから二か月に一度、水道料金の請求が来ると思います。そして、江東区が定めた水道料金の減免条件に適合すれば、漏水した分の水道料金は、江東区のほうに返金請求出来ることになっています。ですが、多くの自治体の定めるところでは、第一止水栓(水道メーター)などの自治体の管理する水道設備よりも下部に漏水点があった場合には、その漏水点が地中部分だと、料金の減免条件に適合していても、漏水点が地上部分だと適合外だと規定されているところが多いようです。またそれと、漏水点の修理に関しましても、たとえばこちらで江東区あれば水の救急隊のような、江東区の水道局の指定を受けた水道工事業者が修理工事を行うことと規定されていて、もしもそれ以外の人が修理した場合には、水道料金減免の条件から外れてしまうとされる場合が多いです。また、水道料金の減免申請に関しても、私たちのような、江東区水道局からの指定を受けた水道工事業者が、お客様に代行して通常は減免申請を行っています。ですので、私たちにお聞きいただければ、水道料金の減免申請についての、おおよその事はご説明できます。しかしながら、たとえば漏水点が壁の中だと申請可能か、また、どのくらいの期間だったら逆のぼって申請が可能か、加えて、修理してから何日以内なら申請が可能か、などといった詳細なことにつきましては、水の救急隊(水道修理プロ)江東区の担当者の私といえども、即答するのは困難かと存じます。ですので、水道料金の減免申請にご興味をお持ちの方は、一度、江東区の方にご確認いただいたくことをお薦めします。ちなみに、私が体験したトイレの水が止まらないトラブルの案件をご紹介しますと、この件はここ江東区のお客様ではなかったのですが、「水道の使用量がここしばらく、以前よりもかなり多いので調べてみたほうがいいですよ」と、水道の検針員さんから言われたのがきっかけで、ご連絡いただいてのご訪問でした。ご訪問して早速、水道メーターのパイロットを確認したところ、確かにクルクルと回っています。そこでお客様に漏水の心あたりをお聞きしたところ、まったく心あたりはないとのことでしたが、あちらこちらと漏水点の探索を行いました。ちなみに、このように漏水点が不明なときに、私たちは聴診棒と呼ばれる特殊な棒状の器具を使って調べます。この聴診棒ですが、ステサスコウプなどとも呼ばれていますが、私たちが使うものとはタイプは違うものですが、自動車修理工場などで、エンジンやモーターなどの回転機器などを点検するときにも使用されています。修理工場などでは、棒の片方を耳に当てて、もう片方を点検箇所に当てて、その振動などで機器の音を聞き分けて、異常の有無を診断します。また、私たちが水道の漏水点を探すときは、下のイメージ図のように、片方を耳に当て、そしてもう片方を蛇口などの水道設備に当てて、じっとその音を聞いて調べます。ちなみに、最近はこの聴診棒もなかり改良されていて、お医者さんが使う聴診器と、聴診棒を合体させたような作りになっているものもあります。たしかにこのタイプだと両方の耳で調査できて、片方の耳で聞いて調査するタイプのものより、周囲の雑音を拾ったりすることもないので、調査に集中できていいと思いますね。

さて、この時もいつも通りに聴診棒で漏水点での探索調査を行いましたが、なかなか漏水点を特定出来ずにいました。そこで再度、水の流れを確認するため今度は、下水口で流れを見てみたのですが、やはり少しずつですが、水の流れが確認できました。また、そこのお宅はかなり大きい建物で、そのうえ聴診棒で調べても、経験上、水道管などから水が漏水している感覚というか、手ごたえがありませんでしたので、あえてお客様に「いま見させていただいた場所のほかに、二階とかに蛇口などの水道設備はありませんか」とお聞きしたところ、「そういえば、今はあまり使っていないんですけど、二階にトイレがもう一つあります」、という一言で、早速新たに見つかった二階のトイレを見せていただいたところ、案の定、原因が見つかり、トイレのボールタップを交換修理して、すべてが解決しました。そして修理作業が終わり、それからしばらくして、例のお客様から連絡が入りました。なんでも、トイレの修理をする前と、修理した後の水道料金を比べてみたら、一万円くらいの差があって、修理していただいて、本当によかった、助かりました。今後は注意しますね。」といったお礼のお電話でした。このように、トイレの水が止まらない水トラブルは、他の「詰まり」などのトラブルと違って、お客さまが生活にそれほど困らない、どちらかというと、あまり目立たない水トラブルです。ですが、今回の事例のように、もし修理しないでおくと、後で江東区のほうから高額の水道料金の請求が来ることになります。ですので、トイレだから、まあいいかなどと思ったりせずに、発見したら出来るだけ早く修理していただくことをお薦めいたします。

【おもな水まわりトラブル&原因箇所】

■給水部分(蛇口)のよくあるトラブルと原因・江東区

(1)水が止まらない
(2)水が出ない
(3)部品の隙間から水漏れしている
(4)がたついている・異音がする

蛇口水トラブルはパーツの経年劣化によって固定部分が摩耗してしまうことが原因となっているケースが多くあります。


■排水部分のトラブル・江東区のよくある水トラブルと原因
(1)水の流れが悪い
(2)排水枡が溢れてしまった
(3)逆流を起こしている


排水管は水だけを捨てる管になりますので、ゴミを流さないようなパイプの構造をしています。そのため、水溶性以外のゴミはパイプの内部に残り、徐々に詰まってしまうのです。


【設備別のトラブル】

■江東区 トイレの水トラブルと対処法

トイレは日常的に使いますので、トラブルが起こった時はすぐに修理しなければいけません。

■江東区 キッチンのトラブル

日ごろから使用頻度の高いキッチン(台所)は使用頻度が高い分、部品の摩耗による劣化も起きやすい傾向にあります。

■江東区 お風呂場の水トラブル

お風呂場は一度に大量のお湯を使用することから排水詰まりが起きやすい場所となります。また、お湯と一緒に発生する水蒸気によって水道設備がさび付いてしまい、部品交換の需要が多いのも特徴です。

■江東区 洗面所のトラブル

洗面所の水トラブルは排水管に物を落としてしまうことによって、詰まりや逆流が起きやすい場所です。洗面所に多くある綿棒や洗顔時に外したアクセサリーがS字パイプの間に詰まってしまいます。また、洗面所の排水管はトイレやお風呂場と異なり、細い管が使われているため、詰まりに対する耐性が低いのも特徴です。

江東区を管轄する水道事務所はこちらです、ご参考のために記載いたします。


【事業所名】 東京都水道局東部第一支所
【所在地】 〒136-0075 東京都江東区新砂1丁目7−2 水道局東部第一支所・江東営業所




水の救急隊は、江東区の全域にて水道・トイレなど、水まわりの故障トラブルや詰まりなどにスピード対応いたします!

江東区のおもな駅一覧

これら駅の近隣にお住いの皆様は、とくに迅速な対応が可能です。


総武線
亀戸駅

京葉線
越中島駅、潮見駅、新木場駅

都営地下鉄・都営新宿線
森下駅、住吉駅、西大島駅、大島駅、東大島駅

都営地下鉄・大江戸線
森下駅、清澄白河駅、門前仲町駅

東京メトロ・東西線
門前仲町駅、木場駅、東陽町駅、南砂町駅

東京メトロ・有楽町線
豊洲駅、辰巳駅、新木場駅

東京メトロ・半蔵門線
住吉駅、清澄白河駅

東武鉄道・亀戸線
亀戸駅、亀戸水神駅

ゆりかもめ・東京臨海新交通臨海線
東京国際クルーズターミナル駅、テレコムセンター駅、青海駅、東京ビッグサイト駅、有明駅、有明テニスの森駅、市場前駅、新豊洲駅、豊洲駅

東京臨海高速鉄道・りんかい線
東京テレポート駅、国際展示場駅、東雲駅、新木場駅


【観光はもちろんのこと、もしもの時の、集合場所にも。江東区周辺の名所旧跡へGO。】



亀戸天神社

東京都江東区の名所、亀戸天神社は、江東区亀戸3-6-1にあります。亀戸天神社は、JR総武線・JR総武線快速、錦糸町駅から直線約910m、徒歩約21分、車で約4分。東京メトロ半蔵門線・錦糸町駅から直線約800m、徒歩約19分、車で約3分。東武亀戸線・亀戸駅から直線約800m、徒歩約19分、車で約3分。また、JR総武線・亀戸駅から直線約800m、徒歩で約19分、車で約3分のところにあります。亀戸天神社は、1662年、九州の太宰府の社にならって造営したのが起源です。学問の神として庶民信仰が厚く、亀戸宰府天満宮とも称されていて、江戸庶民信仰の本源として、関東天神信仰の中枢を占めています。春は梅花、藤の花、秋は菊花と四季折々の花が天神様を彩ります。名物はくず餅です。亀戸天神社は、江東区亀戸にある天神社です。亀戸天神社は、正保三年、九州太宰府天満宮の神官だった菅原大鳥居信祐公が創立、本社にあたる九州太宰府天満宮に対して東の宰府として、東宰府天満宮、あるいは、亀戸宰府天満宮と称されていましたが、明治6年に准勅祭神社に指定され、東京10社のひとつとなり、昭和11年に現在の亀戸天神社となったといいます。東都7福神の一つです。「江東区の民俗城東編」による亀戸天神社の由緒によると、明治初年の神社明細帳によれば、開基別当大僧都法印菅原信祐は、正保3年2月、夢中に神詠の句に感ずる事有り、太宰府天満宮前の飛び梅をもって神像を刻み笈に納めて、諸国を巡歴し、心にかなう地がなく、ついに武蔵国に至ります。明暦の大火のために江戸の地の大半が焼土となり、下総国葛飾郡を割いて武蔵国に加え、本所の地を開発しようとした時でした。そのとき、庄屋に願い亀戸村に古来存する天神の石詞に仮の社殿を設け、初めて祭祀奉仕しました。その後、新たに徳川家綱より荒蕪地を賜り、太宰府に模して社殿を造営しました。これが現在地の社といわれています。文政11年に成立した、新編武蔵風土記稿、巻之24によれば、信祐が亀戸村に天満宮の小雨を祀ったのは、寛文元年8月23日であり、当時の本所築地奉行は徳山五兵衛、山崎四郎左衛門でした。信祐が1里4方の土地を賜ったのは、寛文2年2月19日で、神殿以下、反橋心字の池など悉く、太宰府の社に擬して作ったのは寛文3年で、その年の8月に初めて行われた、祭礼の儀式も太宰府の例にならい神輿渡御がなされ、寛文9年に信祐は京都に上り、亀戸天神の図を後水尾法皇に奉り、法皇より菅神尊号の宸筆を賜りました。また、江戸期の別当は東安楽寺であり、天原山聖廟院と号し、開祖は大鳥居信祐であったといいます。太宰府天満宮によれば、寛文元年8月23日に、太宰府天満宮社人大鳥居信祐が、太宰府の神霊を武蔵国本所亀戸村に勧請し、元禄2年、宰府留主大鳥居信兼は、江戸亀戸の大鳥居信祐と兄弟の契りをかわしています。明治維新の際に、東安楽寺や仏堂を廃し、明治5年に府社となります。東京都神社名鑑によれば、昭和20年3月の大空襲により、神庫を除き一切を烏有と帰し、戦後、前田家江戸屋敷邸内社を譲り受け本殿とし、昭和36年に、鎮座300年を記念として拝幣殿などを再建し、昭和54年に御神忌1075年、大祭記念事業として本殿を再興し、昭和56年に社務所を建設しました。以上、江東区の民俗城東編より。また、東京都神社名鑑によれば、御嶽神社は亀戸天神別当の玄関辺りにありましたが、延宝5年に天神社の境内地内に移転しました。寛延2年に造成された社殿は戦災で焼失し、昭和36年の本社復興後は旧本社の拝殿、本殿を御嶽神社の本拝殿とし、菅原道真公神忌1,075年大祭記念事業として、昭和51年に建造されたといいます。江東区の民俗城東編による境内社御嶽神社の由緒によると、社前の由緒書によれば、法性坊は道真公の教学、御所の師で、道真公薨去の後は、太宰府天満宮の社殿造営に関わられ、太宰府社前に1念3000の心字池を構え、3世1念の太鼓橋を架けるなど道真公との関係は深く、亀戸天神社においても寛文9年11月21日に、九州太宰府御嶽山より勧請されました。法性坊は奇特多い高僧として知られ、天慶3年2月の卯の日卯の刻に亡くなられたことから、春の陽気を迎える、卯の神として敬仰されました。以来、毎月の卯日、特に正月の初卯日には陽気を迎えるはじめとして卯槌、卯の神札が求められ、福徳才知、愛敬を願い、除病、延命を祈るものとされました。法性坊尊意は、第13世の天台座主であり、北野天神絵巻にも登場する人物であり、公没後、南無天満大自在天となり、168,000の悪神をしたがえて内裏に入ろうとしたところ、法性坊の法力で止められという霊力があり、天神を押しとどめる力がある人物とされ、太宰府天満宮の境内にも祀られています。また、上州妙義山でも法性坊を祀るため、いつとはなくこの亀戸の法性坊の堂を妙義権現などとも呼ぶようになり、江戸時代には、年の吉凶を占う妙義山の巫女たちが、社前に並び妙義大権現の託宣などもするようになったといいます。亀戸天神社は、太宰府天満宮の神官が、大宰府の飛び梅の枝で彫った神像を祀ったのが始まりと言われていて、社殿、心字池や太鼓橋も、九州の太宰府天満宮にならったものだそうです。境内は広く、朱色を基調とした色鮮やかな社殿は風格があり、太鼓橋からは、スカイツリーなどを望むことができます。受験のご利益で有名な神社ですが、色々な花も季節毎に咲いて楽しませてくれます。車で訪れる際は、錦糸町側の川辺にあるコインパーキングが便利です。お土産には、船橋屋の葛餅を忘れずに。また、藤まつりの開催期間中に訪れると、藤の花が見事に咲き誇り、東京スカイツリーをバックにすると本当に絵になります。沢山の人で賑わって、屋台も出てお祭り気分を楽しめます。船橋屋の店先にある藤棚もとても立派で美しいです。


深川不動堂

深川不動堂も東京都江東区の観光名所の一つです。深川不動堂は、江東区富岡1-17-13にあります。また、深川不動堂は、東京メトロ東西線・木場駅から直線約960m、徒歩約23分、車で約4分。JR京葉線・越中島駅から直線約740m、徒歩約17分、車で約3分。都営大江戸線・門前仲町駅から直線約200m、徒歩約4分。また、東京メトロ東西線・門前仲町駅から直線約200m、徒歩で約4分、車で約0分のところにあります。真言宗智山派寺院の成田山深川不動堂は、成田山新勝寺の東京別院で、関東36不動の第20番霊場です。成田山深川不動堂は、元禄16年に永代寺で行われた、成田山新勝寺本不動明王の出開帳に起源を持つといいます。並行して成田山新勝寺の江戸における出張所が日本橋坂本町に設けられており、明治維新による永代寺廃寺に伴い、この成田山新勝寺出張所が浅草御蔵前、深川吉祥院への移転を経て、明治2年に深川不動堂となったといいます。江東区の民俗深川編による成田山深川不動堂の縁起によると、深川不動堂は、元禄年間に江戸町人に成田山の本尊不動明王を江戸で参拝したいという気運が高まり、元禄16年に開帳が深川永代寺境内でおこなわれました。成田山出発の総勢は300人を超える行列が組まれ、江戸まで1週間ほどかけて本尊が運ばれ、2ヵ月あまり開帳されました。明治に入り、永代寺は廃寺となり、境内は深川公園となります。明治2年、現在地に深川不動堂が認められ、明治14年に本堂が完成します。大震災、空襲で2度にわたり本堂が焼失し、再建され、平成3年に本坊、客殿、奥殿を再建します。以上、成田山深川不動堂より。成田山不動堂は、下総国成田山新勝寺の出張所で、はじめは出張所を日本橋坂本町に設けました。その創設年代は不明です。天保12年に浅草御蔵前八幡神社内に移転。明治2年、深川吉祥院境内へ移転。明治11年、旅宿を不動堂と改称します。明治14年、成田山不動堂完成、大仏供養。本堂が完成してから10数年後、明治31年に日清戦争勝利を記念して、大きな石造燈明台が燈明講の手により奉納され、その台石正面に当時の有名歌舞伎役者9世市川団十郎の名前が彫られているように、深川不動尊は明治から多くの方々の信仰を集めていました。現在でも、参拝者は多く、縁日などに月参りする信者は約10万人、正月3が日には200~300万人の信者がお参りするといいます。以上、江東区の民俗深川編より。東京メトロ東西線、門前仲町駅から徒歩すぐのところにあるのが深川不動堂です。赤い大きな鳥居をくぐり抜け暫く、人情深川ご利益通り進むと不動堂が見えてきます。門前仲町には、深川不動と富岡八幡宮が並ぶようにあります。どっちも古くからあるものですので、現地の歴史を感じることができます。深川不動堂は、立派な本堂に対して、大変インパクトのあるデザインの建物が印象的です。門前町もにぎやかで、お不動様の人気が伺えます。門前仲町の駅から歩いてすぐなので、アクセスも抜群です。参拝者が途切れぬほどのちょうどよい多さで、不動明王を信仰する人たちでにぎわいます。護摩祈祷があるようです。又、おみくじの種類も多く、色々な種類があるので楽しみながら選ぶ事が出来ます。深川不動堂の祈りの回廊は、クリスタルの中に仏像が鎮座していて綺麗です。太鼓や炎、説法も聞く事ができます護摩修行は、約30分程度の法要です。法螺貝を吹くながら僧侶が入場し、大きな太鼓の音が響きます。般若心経や不動明王真言を唱えて、ご利益がありそうです。


富岡八幡宮

東京都江東区の名所、富岡八幡宮は、江東区富岡1-20-3にあります。また、富岡八幡宮は、JR京葉線・越中島駅から直線約780m、徒歩約18分、車で約3分。東京メトロ東西線・木場駅から直線約730m、徒歩約17分、車で約3分。都営大江戸線・門前仲町駅から直線約310m、徒歩約7分、車で約1分。また、東京メトロ東西線・門前仲町駅から直線約310m、徒歩で約7分、車で約1分のところにあります。富岡八幡宮は、江東区富岡にある神社です。富岡八幡宮は、永代寺の長盛法印が寛永4年、当時永代島と呼ばれていた現在地に創建したといいます。世に、深川の八幡様と親しまれています。明治維新に際しては、准勅祭社に指定され東京10社のひとつです。また、深川七福神のひとつ恵比寿神が祀られています。江東区の民俗深川編による富岡八幡宮の由緒によると、富岡八幡宮は、すでに70歳を過ぎていた長盛法印は、寛永元年のころ、ある夜、夢中に託宣があり、「われ永代島に鎮座あるへし」とあり、数度霊夢があり、長盛は一社の宮をたて、八幡宮を勧請し、寛永8年のころにようやく再興の本意をとげました。ご神体は菅原道真の御作で、源頼政が崇敬し、その後、いくつかの武家を経て、太田道灌も崇敬し、下総国にあったものがご神体といいます。また、別の説では、長盛法印には先祖伝来の弘法大師作の八幡大菩薩像があり、常に信敬し、この像が「汝等こそ我を信ずることいとまめやかなり、されば土地の良縁あれば、心を起こして東行を企つべし、必ず汝が願望を成せん、我も伴いてかしこに至り国家を守り蒼生を益すべし。而して武蔵国に永代島というあり、わが寓居えんところには白羽の矢たちたらん」との夢告をし、長盛は八幡像を携えて、この地に着き、土地の者に案内させ探すと、葦の間に小飼があり、中には白羽の矢が一本納められていました。長盛は、ここが霊示の地として、八幡宮を勧請して社殿を造営し、富岡八幡宮の新年開運白羽の矢は、この緑によるといいます。天和2年の火事後、貞享2年、再建された永代寺の客殿に16、7の児童が現れ、「我寺者一度焼失仕候ニ如元之在候、如何なる御事そと。再三尋申候へハ、太子御笑含、今度之地形所をハ富賀岡と名付よと被仰候」といわれ、富岡の称は貞享2年8月3日、永代寺4世周光の夢に聖徳太子より口授されたものであるといいます。なお、周光は高野山で修行し、慶安4年に永代寺に入り、中興開山と伝えられています。明治にはいると、永代寺16世周徹は還俗して神社名より富岡を名乗り、八幡宮の神官となります。富岡の名称をもたらした聖徳太子社は、幾度の災難後も境内に祀られています。以上、江東区の民俗深川編より。東京メトロ東西線、門前仲町駅から徒歩すぐのところに、富岡八幡宮があります。富岡八幡宮は、深川の八幡様として親しまれ、相撲とも縁が深いことで知られていて、境内には、歴代横綱の名を刻した横綱や大関の力士碑があります。また、地図の測量家である、伊能忠敬が参拝していたようで、正面参道の入口には石像が設置されています。散策をしていると、神社の真ん中を東西に抜けている参道を通る人が、足を止め本殿に向かって手を会わせているのを何人も見かけます。地元に本当に愛されているんだなと思いす。ライトアップされると幻想的でとても綺麗です。駅からも歩いてすぐなので行きやすいかと思います。普段は静かなたたずまいですが、夏の本祭りには、たくさんのお神輿が出て、沿道で水をかけるお祭りがとても賑やかです。お参りと観光が一気に楽しめます。近くの深川不動堂と併せて散策されると良いでしょう。


霊巌寺

東京都江東区白河1-3-32にあります。霊巌寺は、都営新宿線・菊川駅から直線約930m、徒歩約22分、車で約4分。都営大江戸線・都営新宿線・森下駅から直線約770m、徒歩約18分、車で約3分。また、都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線・清澄白河駅から直線約140m、徒歩で約3分、車で約0分のところにあります。浄土宗寺院の道本山東海院霊巌寺は、寛永元年、霊巌雄誉上人が隅田川河口を埋め立てて霊巌島を築いた時の草創です。明暦の大火後に現在地へ移転しました。陸奥国白河藩松平定信の墓所があり、白河の地名が名づけられてます。霊巌寺は、浄土宗総本山知恩院第32世雄誉霊巌上人が開山となり、茅場町付近に創建したといいます。寺地が狭く、向井将監忠勝の下屋敷の芦沼を拝領、霊巌島を造成して寛永元年に道本山東海院霊巌寺を建立、浄土宗の関東18檀林の一つとして多くの僧が修行していましたが、明暦3年の大火で焼失、万治元年に当地に替地を拝領し移転したといいます。江東区の民俗深川編による霊巌寺の縁起によると、霊巌寺は、開山上人は浄土宗総本山知恩院第32世雄誉霊巌上人。江戸に教えを広めようと、今の茅場町あたりに草庵を建てました。上人の徳を慕う人が増え、草庵が狭くなったので、向井将監忠勝の下屋敷の芦沼を賜り、信者の協力を得て、寛永元年に道本山東海院霊巌寺を建立しました。寛永5年に浄土宗の檀林に列せられます。学寮が120余あり、多くの僧侶が修行していました。明暦3年の大火で焼失し、翌万治元年に現在地に替地を与えられ、第3世珂山上人は松平忠倶の協力により移転復興させました。大震災戦災に遭い、現在の本堂は昭和56年に完成したものだといいます。松平忠倶の墓は境内に残ります。霊巌上人は天文23年、沼津で今川家の一族、沼津土佐守氏勝の3男として生まれました。父、2人の兄はこの年、三河攻めで討ち死にしていました。上人は永禄7年、11歳のとき沼津浄蓮寺に出家します。その後、下総国生実の大巌寺で修行し、大巌寺3世となり、天正18年に辞し、南都に向かい、永亀山肇叡院霊巌寺など10数力寺の開基となりました。文禄元年、家康は霊巌の南都での話を聞き、関東に戻り、大巌寺で再び法幢を立つべきと伝えさせ、それを聞いた上人は再び大巌寺3世となり、大網村に大巌院を創建しました。その後、江戸に出て、道本山霊巌寺を茅場町に草創しました。上人はかねてから鎮守をお祀りしようと思っていました。深川の一村に鶴岡八幡宮があったが遠かったです。およそ10町ほど手前に弁天社があり、渡場7処ありました。そこは地所が広く、大社を造るのによいので、八幡宮をここに移し、霊巌寺の鎮守にしようと、氏子の長などに相談のうえ富岡に移しました。その縁で、祭礼の時には神輿を門内に入れ、代々の丈室拝礼があり、青銅1貫文神前に供える古例があり、そういう因縁から中央区霊巌島が富岡八幡宮の氏子になっています。霊巌上人は、霊巌寺の落慶が終わるとすぐに本山知恩院に転任し、寛永6年に第32世住職となります。寛永10年、知恩院が火事で焼失し、再建に努力し寛永13年、東洋一の洪鐘も完成し、寛永15年、諸堂が完成します。伽藍造営の御礼として寛永18年に関東に向かい江戸で亡くなります。88歳であったといいます。「雄誉霊巌上人伝」。この伝には、富岡八幡宮の創成に、霊巌上人が関係していたという説が出ています。霊巌島が富岡八幡宮の氏子であるのは事実なので、このような説が出たのであろうか。学寮は西方に13寮、南方に9寮、東方に11寮、最東方に8寮あったといいます。別院は長専院、雄松院、済生院、塔頭は正覚院、成等院、栄寿院、深照院、安養院、開善院、浄閑院、松林院、八庵として、広閑院、済乗院、霊光院、見松庵、潮江庵、吟松庵、清澄庵、臨海庵があったといいます。以上、江東区の民俗深川編より。霊巌寺は、清澄白河駅から歩いて5分位のところにある名刹の浄土宗のお寺です。江戸六地蔵の第5番のお地蔵様が鎮座しています。有名な、徳川幕府時代の大名松平定信のお墓や、江戸六地蔵の一つ、銅造地蔵菩薩坐像があることでも有名です。見ごたえたっぷりです。周囲には、清澄庭園や江戸深川資料館があり、これも併せて訪れるのもいいかと思います。落ち着いていて、江戸時代中期でのお地蔵では大作だそうです。霊巌寺は、江戸時代に霊厳島に創設され、明暦の大火で焼失後現在の場所に移転したそうです。歴史を感じるスポットです。


臨川寺

臨川寺も東京都江東区の観光名所の一つです。臨川寺は、東京都江東区清澄3-4-6にあります。臨川寺は、都営新宿線・菊川駅から直線約1.05km、徒歩約25分、車で約5分。都営大江戸線・都営新宿線・森下駅から直線約690m、徒歩約16分、車で約3分。また、都営大江戸線・東京メトロ半蔵門線、清澄白河駅から直線約110m、徒歩で約2分のところにあります。臨済宗妙心寺派寺院の臨川寺は、瑞甕山と号します。臨川寺は、承応2年、鹿島根本寺の仏頂禅師が、根本寺と鹿島神宮とで争っていた寺領について寺社奉行に訴え、その間の住まいとして草庵を結んだことに始まり、その弟子の仏頂禅師が幕府に願い出て、師の冷山和尚を開山として、正徳3年創建したといいます。江東区教育委員会掲による臨川寺の縁起によると、臨済宗妙心寺派の瑞甕山臨川寺は、承応2年、鹿島根本寺の冷山和尚が草庵を延宝8年、深川に移り住んだ松尾芭蕉は仏頂禅師と親交が厚く、度々参禅に通ったと伝えられています。以来、芭蕉ゆかりの寺として、玄武仏碑をはじめ、梅花仏碑、墨直しの碑、芭蕉由緒の碑などの石碑が残されています。以上、江東区教育委員会掲示より。江東区の民俗深川編による臨川寺の縁起によると、臨川寺は、臨川寺初代の仏頂禅師は寛永19年、常陸国鹿島郡白鳥村字札に生まれました。仏頂禅師は鹿島根本寺の冷山和尚に出家、延宝2年、根本寺21世に就任。当時、根本寺の寺領100石のうち50石を鹿島神宮が取り上げてしまったため、禅師は鹿島神宮宮司を相手取り寺領返還を寺社奉行に訴え、そのときの江戸の住まいが臨川庵になります。この事件は天和2年、禅師41歳のときに根本寺の勝訴で解決、寺領が返還され、禅師は寺を頑極和尚に譲り、江戸の庵を寺院とするために幕府に願い出て、正徳3年に臨済宗妙心寺派瑞甕山臨川寺と許可され、その2年後、正徳5年に生涯を閉じました。亡くなられた地は、仏頂禅師が親交厚かった徹通和尚が45世であった霊巌寺の山庵でした。また、延宝2年に禅師は深川に居を構え、延宝8年に芭蕉と出会い、師弟以上の関係に発展し、芭蕉が桃青と名乗ったのは、禅師によるものだといいます。貞享4年に成立したとされる芭蕉の紀行文、鹿島詣に、曽良と宗波を伴い、芭蕉庵から鹿島根本寺までの行程が記され、仏頂和尚の歌一首、おりおりにかはらぬ空の月かげも ちぢのながめは雲のまにまに、と芭蕉らの句13句が記されています。臨川寺の境内に、玄武仏碑が残され、御府内寺社備考によれば、玄武坊とは江戸の医師で美濃派の俳人神谷玄武坊であり、玄武坊は京都双林寺に各務支考により建てられた墨直の墨跡を写して臨川寺に建て、墨直会を催したといいます。御府内寺社備考の臨川寺境内図には玄武碑以外に、碑、芭蕉碑、梅花仏の碑があります。玄武碑以外は戦災のために破損し、昭和37年に再建されたものです。なお、開基芭蕉木像は関東大震災で焼失し、昭和63年に復元されています。以上、江東区の民俗深川編より。臨川寺は、地下鉄半蔵門線が下を走る道路沿いにあるお寺です。近代的な建物に近代的な門が特徴的です。中には、江東区登録有形文化財の、玄武仏碑もあります。また小さいながらも大仏様も鎮座しています。近代的な建物のお寺で、住宅のような雰囲気が面白いです。小さなお寺です。臨川寺は、もともとは、亀山上皇の離宮であった亀山殿の一部で、川場殿と呼ばれていました。亀山上皇の叔母である昭慶門院がここで出家しました。また、この辺りは芭蕉に縁の深い土地柄ですが、このお寺の和尚様と親交が厚かったそうです。芭蕉散策の際には、お寺とのかかわりや、芭蕉を偲ぶ記念碑を見に訪れてはいかがでしょうか。


洲崎神社

東京都江東区の名所、洲崎神社は、東京都江東区木場6-13-13にあります。洲崎神社は、洲崎弁財天として著名な神社です。また、洲崎神社は、都営大江戸線・門前仲町駅から直線約1.11km、徒歩約26分、車で約5分。東京メトロ東西線・門前仲町駅から直線約1.11km、徒歩約26分、車で約5分。東京メトロ東西線・東陽町駅から直線約900m、徒歩約21分、車で約4分。また、東京メトロ東西線・木場駅から直線約120m、徒歩で約2分のところにあります。洲崎神社は、江東区木場にある神社です。洲崎神社は、桂昌院が崇敬した江戸城中紅葉山の弁財天を、護持院隆力の進言により元禄13年、当地に遷座して創建、当地が海岸に浮かぶ弁財天であったことから、文人墨客の参詣を集めていたといいます。明治5年村社に列格、昭和43年に現社殿を造営しています。また、寛政3年に押し寄せた津波により、当地周辺は多数の死者行方不明者を出し、江戸幕府は当地を東北、平久橋の袂を西南とした一帯を買い上げ、居住禁止区域とした際の波除碑が残されており、東京都指定文化財となっています。江東区の民俗深川編による洲崎神社の由緒によると、洲崎神社は、元弁天社と称し、本所深川の埋め立て事業が進む元禄13年、護持院隆光の力で、江戸城中紅葉山にあった弘法大師作と伝えられる桂昌院の守り本尊をここに祀り、洲崎弁天社と称したことにはじまります。社殿の創建には、深川海面築地普請奉行の深津八郎右衛門があたったといいます。隆光は新義真言宗の僧侶で、南都や醍醐寺で学んだ後、徳川綱吉の命を受けて、知足院に入住し、江戸城鎮護の祈祷をし、綱吉と生母桂昌院の信任を得て、権僧正に昇ります。知足院を神田橋外に移し、のちに護持院と改め、伽藍を拡張し、綱吉に生類憐れみの令を進言するなど権勢を振るい、熱田神宮、室生寺、根来寺など全国の寺社の復興に努めた僧侶です。護持院は明治初めに音羽の護国寺と統合されました。洲崎弁天社は明治に入ると洲崎神社と改称されました。以上、江東区の民俗深川編より。境内掲示による洲崎神社の由緒によると、当州崎神社神社は、元弁天社と称し厳島神社の御分霊を祭神市杵島比売命を斎祀しております。創立は徳川5代将軍、綱吉公の生母桂昌院の守り神として崇敬するところとなり、元禄13年、江戸城中紅葉山より此の地に遷して宮居を建立してより代々徳川家の守護神となっていました。当時は海岸にして絶景、珠に弥生の潮時には城下の貴賎袖を連ねて真砂の蛤を捜り楼船を浮べて妓婦の絃歌に興を催すとあり、文人墨客杖を引くという絶佳な所であったといいます。浮弁天の名の如く海中の島に祀られてありました。明治5年御由緒により村社に列せられ世間より崇敬厚かったです。大正の震災、昭和の戦災に社殿は焼失されましたが、弘法大師作の御神体は幸にして難を免れ、当時は仮社殿に奉斎して居りましたが、昭和43年現在の社殿を造営し斎祀して現在に至っております。以上、境内掲示より。寛政3年9月4日、深川洲崎一帯に襲来した高潮によって、付近の家屋がことごとく流されて多数の死者、行方不明者が出ました。幕府はこの災害を重視して洲崎弁天社から西のあたり一帯の東西285間、南北30余間、総坪数5,467坪を買い上げて空き地としこれより海側に人が住むことを禁じました。そして、空地の東北地点と西南地点に波除碑を建てました。当時の碑は地上6尺、角1尺であったといいます。石碑は砂岩で脆く、震災と戦災によって破損が著しい。現在地は原位置から若干移動しているものと思われます。建設は寛政6年頃で、碑文は屋代弘賢によるものと言われています。以上、東京都教育委員会掲示より。境内掲示より。洲崎神社は、木場駅と東陽町駅の間にある神社です。木場駅からの方が近いと思います。落ち着いた雰囲気で、参拝のしやすい神社です。駅から近く、運河を橋で渡ってすぐにあります。凄く静かで、都心とは思えない趣きがある神社です。地下鉄東西線の木場駅で下車し、赤い新田橋という人道橋を渡ると、洲崎神社の鳥居が見えてきます。川沿いにあり、この辺りは洲だったことを思わせます。落ち着いた雰囲気です。洲崎神社は、元禄13年に、第5代将軍綱吉公の生母の守り神として江戸城中からこちらに遷したのが始まりだそうです。その頃は海岸沿いに建ち、舟遊びに興じるなど風光明媚なところだったようです。木場の住宅街にひっそりと立つ佇まいです。本堂も小ぶりながら綺麗で良い雰囲気です。鳥居から境内に入るとすぐ左手に東京都指定有形文化財の「波除碑」があり、江戸時代にこの周辺は津波で甚大な被害があったということです。こぢんまりとしていますが美麗な神社で、境内社には、豊川稲荷神社、於六稲荷神社、弁天社の三社、参道左方にあります。


龍眼寺

東京都江東区亀戸3-34-2にあります龍眼寺は、境内に126種もの萩が植えられ、萩寺の名で知られます。龍眼寺は、東京メトロ半蔵門線・錦糸町駅から直線約980m、徒歩約23分、車で約4分。東武亀戸線・小村井駅から直線約900m、徒歩約21分、車で約4分。東京メトロ半蔵門線・都営浅草線・押上駅から直線約810m、徒歩約19分、車で約4分。また、東武伊勢崎線・京成押上線・押上駅から直線約810m、徒歩で約19分、車で約4分のところにあります。天台宗寺院の龍眼寺は、慈雲山無量院と号します。応永2年、良博大和尚が柳源寺と号して創建したと伝えられます。境内の萩は江戸時代から著名で、萩寺と称されるほど著名でした。亀戸七福神の布袋尊として有名です。新葛西三十三所観音霊場6番です。江東区掲示による龍眼寺の縁起によると、龍眼寺は天台宗で、慈雲山無量院と号し、創建は応永2年と伝えられています。当寺は萩寺の名で知られ、江戸時代の地誌、江戸名所図会には、萩を愛でる人々でにぎわう様子が描かれています。また。境内の万治2年造立の庚申塔は、区内で確認されているもののうち最古のものです。亀戸七福神のひとつとして親しまれています。以上、江東区掲示より。新編武蔵風土記稿による龍眼寺の縁起によると、龍眼寺は、天台宗江戸浅草東光院末、慈雲山無量院と号します。本尊正観音、長1尺5寸許、立像にて、傳教大師の作です。開山良傳、応永15年寂。境内に萩数十株を培養して、中秋開花の頃は遊観の人多し。故に里俗当寺を萩寺と呼ぶ。この萩は元禄6年始て栽し、其後中絶せるを明和7年住持義海更に栽ませしより、今に至りいよいよ繁茂すと云います。太子堂天神を相殿とす。太子自作の像にして長2尺5寸許。鐘楼、明和4年鋳造の鐘を掛。仁王門以上、新編武蔵風土記稿より。境内掲示による龍眼寺の縁起によると、応永2年、開山良博大和尚比叡山での修行を終え帰国の途中、柳島の辻堂に一泊、その夜観世音菩薩が夢枕に現れ、汝の守るべき観世音菩薩と村の守護神の御神体がこの床下に在る、とのお告げにより聖観世音菩薩を授かり、至心に祈願しました。当時村には疫病が流行していたが忽ち平癒しました。村人の願いにより、柳源寺を建立し、その聖観世音菩薩を本尊とし、厄除・眼病平癒の観音様として現在でも信仰を集めています。その後現在の、龍眼寺と改められました。御神体は天祖神社として祀られました。本堂は夢殿を模した八角堂で、八聖堂といいます。八聖道とは、理想の境地に達するために実践する正しい生活態度のことです。以上、境内掲示より。江東区の民俗城東編による龍眼寺の縁起によると、帝都郊外発展誌、城東の巻亀戸編によれば、この寺は応永2年、澤良和尚の開基です。澤良和尚は千葉氏の一族で新田良興の遺臣。幼くして沙門に入り、諸国を巡錫して此地を過ぎ柳樹の下に草庵を結び、柳源と称し、応永10年に坊合をなし、龍眼寺と号したのがこの寺の始まりといいます。寺の由緒書によれば、龍限寺が萩寺とも呼ばれるようになったのは、元禄時代に中興元珍大和尚が、全国から数10種類の萩をこの寺に集め、其の数も幾1000株に達し、江戸名所として有名になったためです。多くの文人墨客が龍限寺を訪れ、その様子は、江戸名所図会、や再校江戸砂子にも載せられました。新編武蔵風土記稿、巻之24によれば、萩は元禄6年始めて栽し、其後中絶せるを明和7年住持義海更に栽ませし、とあります。境内にある芭蕉の句、濡れて行人もをかしや雨の萩、は元禄2年に石川県小松の俳人歓生宅で吟じられたものであり、句碑が龍限寺に建てられたのは明和8年です。発句から建碑まで70年くらい間があります。建碑は龍限寺に再度萩を植え始められた時期の直後であり、関連性がうかがえます。現在、隔月に萩の舎句会が開催されるといいます。以上、江東区の民俗城東編より。龍眼寺は、亀戸七福神の布袋尊を祀る天台宗の寺院です。境内は四季折々の花々が楽しめます。なかでも、江戸時代から萩の名所として有名で、萩寺として歴史あるお寺です。亀戸天神から、スカイツリーからとお散歩がてらによってみてもいいかと思います。六角の屋根に朱で塗られた本堂が美しいです。不動堂、布袋堂、地蔵堂などの諸堂が並んでいます。押上駅などから徒歩でこの場所へ行くことができます。割と歴史のある寺院で、東京都の寺院としてみればかなり整備されています。室町時代に創建された由緒あるお寺です。江戸時代には萩で有名だったことから萩寺とも呼ばれていたとか。また、亀戸七福神のひとつ、布袋尊も祭られています。きれいに手入れされた庭には、松尾芭蕉、榎本其角などの江戸時代の俳人から石田波郷など近
代の詩人までのさまざな句碑があり、見所のたくさんあるお寺です。

出展:じゃらん・ホトカミ・猫の足あと


【江東区の特色を再発見!江東区の駅周辺の口コミ。それに加えて、江東区近隣地域の駅周辺の口コミを集めてみました。】


【亀戸駅】

【亀戸駅周辺の特色・口コミ情報1】
交通、娯楽、医療、商業施設なんでも揃っています。 昔ながらの下町の雰囲気も色濃く残っており、東京23区内でありながら住民は人情深く親切です。また、過度に干渉することはないので、近所付き合いが面倒だという人にもお勧めできる街だと思います。飲食店が多く、価格競争のためか安くておいしいご飯屋さんがたくさんあります。テレビにもよく取り上げられる200円弁当のキッチンDIVEも亀戸にあります。 スーパーは激安で有名な、オーケーストアや業務スーパーがあり、物価が高い東京というイメージからは程遠いです。 総合的には、かなり住みやすい街だと言って良いでしょう。通勤、通学、買い物、娯楽、医療にレジャー、なんでも揃っていて困らないです。どれをとっても不合格なものはないです。特にこれだけ都心に近く、交通も至極便利で災害にも強い街で、地元意識が強く特色がある街はそうそう無いです。きれいな街で、何でもそろっていて住みやすいです。 スカイツリーや錦糸町も近くて買い物も便利です。スーパーがたくさんあって、お買い物が楽です。日曜、祝日は、歩行者天国になるので、さらにお買い物しやすくなります。治安については、まず大きな犯罪に遭うことは無いと思います。おかしな生徒の集団が駅周辺にたむろしていることも無いです。子育てや教育については、保育園の数はまだ足りませんが、保育園の数は多くなっています。子供の医療費は無料なので助かります。小さな子供を育てるには良い所です。電車やバスの便利さについては、錦糸町も亀戸もほぼ同じ距離で行けるので非常に便利です。総武快速線、総武緩行線、東武亀戸線、そして東京メトロ半蔵門線が使えるので、都内や郊外というだけでなく、成田にも羽田へ行くにも、どこへ行くにも全く困る事がないです。買い物については、スーパーがたくさんあるので、特売商品を探して買い物ができます。亀戸は大きなスーパーがあるので便利です。商店街もあるのでお惣菜が恋しくなったらすぐに買いに行けます。おすすめスポットは、亀戸駅周辺のグルメと買い物です。餃子や中本のような有名店があるだけではなく、例えば北側の中央通り商店街には激安の店が沢山あり、本格派の中華料理屋も立ち並びます。南側京葉道路沿いには、1㎏弁当で有名なダイブがありますが、ここのウリはそれだけでなく、普通のコンビニ弁当が200円で手に入る事です。他にも飲み屋やオカマバーなど、面白い店もあって困ることはないです。また、香取神社は、お祭りがたくさんあります。亀戸中央公園もおすすめスポットです。ここでお弁当を食べるのがお気に入りの休日です。大好きな総武線の電車も見れるし、裏手の中川に出れば、明るく開けた視界に川と電車とスカイツリーがいっぺんに見えて良いです。

【亀戸駅周辺の特色・口コミ情報2】
寺と神社が多い東京の中でも落ち着いた下町です。 芸能人の出身者が意外と多かったり、火曜サスペンスの某シリーズの舞台になっていたり、天神様や飲食店の取材が定期的に行われたり、実は隠れた人気スポットです。治安も良く過ごしやすい街です。 東京スカイツリーもとても綺麗に見えます!徒歩圏内に商店街や大き目のスーパーがあるので大変便利です。また無料バスも出ていてお年寄りにも大変便利です。下町独特の雰囲気と駅前の商店街。にぎやかな大人の街です。皆さん、おだやかな雰囲気で、様々な店舗の店員さん等も皆やさしいです。医療については、歯医者、内科、接骨院などジャンルを問わず病院は数多く存在しているので、不便は全くありません。お子様がいる家庭は大変便利だと思われます。また大きい救急に対応している病院もあり不便は全く感じません。治安については、警察官が頻繁にパトロールや交通取り締まりを行っているので、安心できると思います。 ただ、駅周辺の夜道は暗く人通りも少ないので、できるだけ避けた方が良いです。環境については、江東区はゴミ分別を徹底しています。収集日以外にも、最寄りの資源物回収場所なども設けていて、通勤途中に寄って回収ボックスに入れるなど便利です。電車やバスの便利さについては、交通網はかなり整備されています。都心へは30分以内で到着できます。沿線の総武線も5分に1回は電車が来るので、時刻表を確認する必要はありません。 都営バスも、ここらはドル箱路線が多いので多くの本数が走っています。各種バスも時間が遅れることはほとんどなく、ストレスなく出かけることができます。買い物については、リーズナブルな商品を置いてあるお店が多いので、買い物に不便はありません。徒歩圏内に多数存在するのもありがたいです。外食については、美味しいお店だらけですが、駅前の「焼肉三千里」がおすすめです。スーパーホルモン、ハラミ最高です。納豆の入った豆腐チゲ鍋も美味いです。おすすめスポットは、亀戸天神です。亀戸は七福神も祀られています。 そんなに寺と神社の多い亀戸ですが、やはり一番は天神様です。学業の神様なので、受験シーズンは大賑わいです。 春は梅、藤棚が楽しめる美しい神社です。また、小松川公園は、釣りもできます。大きい公園なのでバーベキューが出来たり、お花見ができ大変楽しめます。また広い公園周りをジョギングするのもおすすめです。新鮮市場は、食材がとにかく新鮮で、肉・魚・野菜が普段から安いです。亀戸中央公園もおすすめスポットです。川沿いにあり広さも十分で、のびのびと過ごせます。一番のオススメは、夏祭りの打ち上げ花火です。また、地元の商店方が出店する出店もおいしいです。


【南砂町駅】

【南砂町駅周辺の特色・口コミ情報1】
都心に行くにも、大体は30分以内につき、何よりも23区内にもかかわらずとても静かです。近くには大型ショッピングモール・イオンもありとても便利です。公園や病院も多くどこに住んでも徒歩圏内という好立地です。また、娯楽施設もあり休日も時間を持て余す事はないです。街が新しく、道が広いので、車での生活も便利です。まだ発展しそうなので、今後が楽しみです。買い物にも不便なく、交通の便もよいです。子育てにも適していると感じます。大きいマンションが増え、ファミリーが多い場所です。日用品等の買い物も便利です。江東区は区の施設も充実していて、小さい子供がいる場合は、「みずべ」という子供支援センターで無料で遊べます。 区のスポーツセンターのプール等はスライダーもあったり楽しめます。お台場等も近く、とても便利です。病院の数も多く、公園やスーパーなどといった便利なものがたくさんあります。学校もどこに住んでも近くボランティアで交通指導の方がいるので安心です。習い事もスイミングスクールなどもありとても便利です。公園には大きなグランドもあるためそこでは野球、サッカーなどのスクールもやっています。また、大型ショッピングモールには、スイミングスクールも併設してあるため、スイミングスクールに子供がいっているている間は買い物だったりカフェもあります。とにかく子育て世代には便利です。子供達が一緒に遊べる公園や児童館等も多いです。自転車公園は自転車が無料で乗れて、子供が練習できます。夏はじゃぶじゃぶ池等もあって楽しいです。車の便利さについては、車での生活では、近くにお台場等もありとても便利です。トラックが多いので、コンビニやガソリンスタンドも大きいところが多く入りやすいです。電車やバスの便利さについては、東西線が利用できるので便利です。交通の便には困らないです。東西線はどこに行くにも便利だし、バスは亀戸、錦糸町、門前仲町などに出られます。買い物については、大型ショッピングモールがあって便利です。また、15分ぐらい歩けば有名な商店街があります。 スナモ等のショッピングモールがあるます。ニトリもあり、買い物には困らないです。おすすめスポットは、スナモです。ユニクロ、GU、西松屋、コジマ電気など、若いファミリー層向けのお店が入っています。 食料品は、朝9時から23時まで営業していて、とても便利です。フードコートや飲食店も入っていて、週末はにぎわっています。スポーツジムがあり、子供達の水泳スクールや、カルチャースクールもあるので、子供の習い事もすべてスナモに通わせることができます。病院も入っていて、土日も診察しているので、困った時や仕事をしている方はとても便利です。

【南砂町駅周辺の特色・口コミ情報2】
すぐそばに大型ショッピングセンターが2つもあり、スーパーもたくさんあります。下町商店街もあり、買い物には困らないです。しかも下町価格で安いです。駅周辺に高層マンションができ、若いファミリー層が多いです。南砂町駅近くににスナモが出来たため、買い物もとても便利です。ユニクロ、無印、コジマ電気、西松屋なども入っていてファミリー向けの商業施設です。電車で日本橋は15分以内で行けるため、デパート等も行きやすく、またお台場、豊洲等も車で20分もかからず、遊ぶところも沢山あります。江東区は区のスポーツ施設が充実しているので、区営の室内プール等も沢山あり、スライダーなどもあって、安くプールが楽しめます。隣の江戸川区は無料の公園も多く子連れには嬉しいです。銀座、日本橋地区まですぐ行けるので便利です。 トピレックプラザ、スナモ、アリオと商業施設がかなり多く、徒歩圏内で楽しめます。治安については、パトカーの巡回を昼夜問わずよく見かけます。夜遅くでも人通りがあるので、女性が1人で歩くのもそこまで心配がいらなそうです。子育てや教育については、区の施設が沢山あります。プール、自転車公園、公園などもあり遊ぶところが沢山あります。プールはスライダーなどがあり、子供も楽しめます。21時ぐらいまでやっているので、夜は空いていて練習が沢山できて楽しいです。車の便利さについては、人口も多いですが、駐車場もたくさんあり、停めやすいです。いくら以上買うと○時間無料というスーパーの駐車場も多いので助かります。コインパーキングは大体1時間400円程度です。電車やバスの便利さについては、東西線は本数も多くとても便利です。 地下鉄なので、色々な場所につながっているため、どこでも行きやすいです。買い物については、トピレックプラザ、スナモ、アリオ北砂と徒歩圏内に3つの、ある程度大きな規模の商業施設があります。イオン系列以外のスーパーが駅前にあるとより便利だと思います。おすすめスポットは、砂町銀座商店街です。安くて美味しい店が結構入っています。テレビにも何度か紹介される有名店があり、中を歩いて見ているだけでも楽しいです。出入り口付近にある魚屋は毎日行列が出来ていて、夕方早い時間に売り切れてすぐ店じまいしてしまうので注意です。すぐそばの系列のお寿司屋は安くてボリュームがあるというので超有名店です。いつも長蛇の列です。

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