文京区の水トラブルなら







「一現場・一担当制」 を採用しており、 同じ現場には、同じ担当者を派遣します

水の救急隊は、「一現場・一担当制」をとっております。そのため、もし再度の御依頼の際にも、大きな安心感を提供できます。

作業終了後も何かあったとき、すぐに 電話に出ます。決してお待たせしません

コールセンターは、つねにお待たせすることなく対応が可能です。

もちろんPL保険に加入しているので、万が一の事態にも保証

水道トラブル修理の際に、どのような不測の事態があっても、お客様のご自宅や設備を守ることが出来ます。

設置器具の無料保証も完備しています

新たに設置させていただいた器具・設備に関しましては、メーカーの定める保証に完全対応しております。

クーリングオフ制度にも準拠

万が一、御依頼と違う場合には、クーリングオフを適用することが可能です。





長年の安心と信頼で実績50万件

スピード対応に定評がございます!

24時間フリーダイヤル受付中です

文京区エリアなら、

水の救急隊が高品質な修理。



経験豊かなプロが大至急で駆け付け、あらゆる水まわりのトラブルを解決いたします!


キッチン・お風呂・トイレなど、

最高のスピードでトラブル対応!


水が出ない!止まらない!漏れてきた! 文京区



24時間365日年中無休で、営業土日祝日ももちろん、年末年始やお盆の時期のトラブルも対応が可能です。


あなたのお住まいの近隣にて待機している、技術力の高い水道局指定業者が、最短駆けつけ時間20分、最短修理時間45分で対応させていただき、その日の内に修理が終わります。


現金・クレジットカード・銀行振込をはじめ、多様な支払い方法に対応。さらに、出張費、見積り費、深夜早朝の割増費、キャンセル費は無料です。 文京区でお困りの方は、ぜひ水の救急隊までお気軽にご連絡ください!



水の救急隊(水道修理プロ)文京区・担当者より

文京区を担当いたしております、水の救急隊の現場プロです。ひごろから水の救急隊をご愛顧いただきまして、心からご感謝申し上げます。私が勤務しますここ文京区は、人口は約22万人です。ちなみに、文京区の地名の由来ですが、文京区は、昭和22年に小石川区と本郷区が合併して誕生しました。 「文京」の地名は合併時の新命名で、ここが古くから文教地区であったことから「文教」をもじったものとされています。このように文京区の名前を聞いただけで、文京区の土地のイメージがピンとくる、このようなネーミング方法は合理的で、文京区の名前を覚えてもらうのには、すごくいいと思いますね。さてここ文京区は、やはり教育と緑の2つが閑静な雰囲気を生み出します。また、 文京区の教育と縁は、江戸時代にさかのぼります。そして当時、湯島聖堂や昌平坂学問所などがあったのはここ文京区でした。そして近現代になると、東京大学、師範学校、女子師範学校などが設立された為に、文京区イコール教育、というイメージが確立されました。またここで文京区の地域的な特徴を見てみると、文京区の東側の地域は、どちらかというと上野に近く下町に近いイメージの強い地域ですが、近年は区が工事などを行い交通の面でも利用しやすくなってきました。そしてまた、通学や通勤に便利なこの辺りには閑静な住宅街の中に一軒家や学生や若い社会人向けのアパートなどが多くみられます。また、浅草や上野などといった場所へのアクセスもしやすく、学校、美術館や神社、また昔ながらの商店街などもあり美大生や年配のかたなどにも人気のエリアとなっています。また、文京区の西側の地域には、めじろ台、関口、音羽などといった地区があります。この西側の地区には飲食店、住宅街、ホテルなどがあります。また、新宿、池袋、神楽坂といった場所にアクセスがしやすい地域になっています。そして、護国寺周辺には高速道路のインターチェンジなどがあり、池袋などへの入り口になっています。それと、文京区の南側の地域は後楽、春日、本郷といった地区になります。南側の地区の特徴は春日や後楽などにみられる東京ドームシティなどの大規模遊興地や文京シビックセンターなどです。ここは文京区の中でも商業的なカラーが強く、ラクーアなどをはじめ多くの人が訪れています。また秋葉原や神楽坂などにもアクセスがしやすく人気のエリアです。それとまた、本郷や湯島界隈には大学病院や医療機関なども多くあり、メディカルタウンとしても有名です。最後に、文京区の北側の地域は、白山、千石、本駒込といった地区になり住宅街が多くみられるのが特徴です。北側の地域は、巣鴨、池袋などの商店街などに隣接したエリアであり、また道路も整備されているため東京ドームシティや春日などにアクセスがしやすく、電車だけでなくバスなどでの移動もしやすいエリアです。そしてまた、東京9庭園に指定されている六義園では、一年を通して季節の変化を楽しむことができるため時期を問わず多くの方に親しまれています。私はこのように、東西南北、それぞれに大変に特徴がある、ここ文京区でお仕事をさせていただくことが大好きで、大変誇りに感じていますし、こちらで水道修理専門のプロとして活動させていただき、みなさまのお役に立てることに、日々嬉しさを実感いたします。加えて申し上げますと、水もれの修理作業が終わって、お客様から「電話したら、すぐに来てくれて、急いで修理してくれて、助かりました。ありがとう」などと、お褒めのお言葉を頂戴したりしますと、こちらも嬉しくて、秘かに小踊りしてしまうこともあります。それと、この仕事をやっていて、本当によかったと心から思います。できましたらこれからも、この地、文京区でお仕事を続けたいと思います。ここで少し、文京区の水源環境について触れてみますと、文京区の水源は、そのほとんどが河川水で、78パーセントが荒川水系及び利根川水系、また残りの19パーセントが多摩川水系です。東京都では昭和30年代までは、その水源の多くを多摩川水系に依存してきましたが、その後、急激な需要の増加に対応するため、利根川水系の水資源開発に合わせて、利根川水系への依存度をアップしてきました。なお、その水質については、一般の蛇口より採水する給水栓水の水質において、決められた水質基準をすべて満たしていて、良好な水質が確保されています。このように、文京区の水源として、荒川水系や利根川水系などの水などでまかなわれていることは、文京区の自然環境がいかに素晴らしいかを物語る証しであるといえると思います。そのような、私ども水の救急隊・現場プロスタッフは、水まわりの器具、蛇口やキッチン、お風呂やトイレなど、どのような形状の水道関連設備に対しても、間違いのない修理施工をさせていただいております。トイレつまり、お風呂、パイプ水漏れなどの故障修理サービス需要が緊急で発生した時、フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 コールセンターが24時間対応しておりますので、水道トラブルの際はぜひ、ご利用ください。私ども水の救急隊、現場専門スタッフが熟練の技術で水道・台所、お風呂やトイレなどの生活用水インフラを万全にします。東京・文京区の皆様に、今後も最高の水道環境を提供し続けます。ところで、これまでの文京区のみなさまの生活様式を一変させてしまった感のあるコロナ禍について、水の救急隊(水道修理プロ)文京区・担当者の私が個人的に頭を悩ませていることがあります。それは何かというと、コロナ禍以前に比べて水トラブルが増加したことです。水トラブルが増加した理由の一つとして、コロナ禍対策で蜜を避けるためなるべく外出しないことや、テレワークに仕事方法をシフトしたことなどによって、在宅で過ごす時間が増えたことがあります。そのため水道設備を利用する頻度が増え、それに伴って水トラブルも増えたのだと考えられます。そこで文京区のみなさまに特に気をつけていただきたいのが、「トイレの水がチョロチョロ流れる」という水トラブルです。この「トイレの水が流れ続ける」という水トラブルですが、蛇口などの水道器具の水トラブルに比べて発見が困難なため、どちらかというと見逃されがちです。ところが、「トイレの水が流れ続ける」という水トラブルは、水道料金を無駄に支払うことになりますし、限りある水資源の浪費にもなります。つまり、トイレ設備の水トラブルの方が他の水道設備の水トラブルよりも、お金についても、また自然環境についてもハイリスクだといえます。ですから、「トイレの水トラブルを減らすことが文京区のみなさまの大切なライフラインである水資源の保護に繋がる」、という広い視野でお考えいただき、なるべく早く修理していただくことをお勧めします。それとまた、コロナウイルスが流行し始めた時期から、水トラブルの【修理工事費のトラブル】、特にトイレ水トラブルの【工事費に関するトラブル】が多発しています。この水トラブルの【工事費のトラブル】についてですが、水トラブルが発生して、運悪く水道局の指定を受けていない水道工事業者に水トラブルの修理を依頼してしまった場合などに、【修理工事費トラブル】に発展するケースが多いようです。ちなみに、私ども水の救急隊のような、水道局から指定を受けた水道工事業者であれば、水トラブルの状況を確認してから、お客様に具体的な水トラブルの修理方法と、工事費の見積金額を明示して、お客様のご了解をいただいてから水トラブルの修理作業を行うのが通常です。ところが、悪意ある水道工事業者(水道局の指定を受けていない)は、修理方法の説明や、工事費の見積金額を提示せずにいきなり水トラブル修理作業を行い、やたらと高額な修理費を請求して、その場で支払を要求することが多いようです。また、水トラブルが起きる時間帯としては昼よりも夜間の場合が多く、夜間に水トラブルが発生した場合、それもアパートなどの共同住宅ですと、周りの住人の迷惑を考えてしまい、朝までそのまま水トラブルを放置しておく訳にもいかず、水道修理業者に言われるままに修理してしまう場合が多いようです。ちなみに、このような【修理費トラブル】に遭った人の中には、トイレの取り外し工事費が9万円、またトイレ修理費の総額が30万円などと、とんでもない金額を請求をされて、支払わされた人もいるそうです。ですので、仮に水トラブルが発生して修理依頼した場合に、「水トラブルの修理に来ました・・・」と言って修理の人が来たら、いくら深夜でせっぱ詰まった状況だとしても、工事前にその水道工事業者が行政の指定を受けている工事業者なのかどうかの確認を行う、また水トラブルの修理費の見積を工事の前に確実にもらうなどして、しっかりと業者の信頼性と安全性の確認を行ってから修理してもらうようにして下さい。そしてもし、それらの確認を行わずに修理してしまい、仮に30万円などといった高額な修理費を請求された場合は、たとえ支払えるお金があったとしてもその場での支払いは行わずに、日を改めて修理を行った水道工事会社に電話して修理費の値下げ交渉を行うようにして下さい。その場で請求された修理費を支払ってしまうと、後で返金してもらうのはかなり困難なようです。またこれに加えて、このような水トラブルの【修理工事費トラブル】とは別の、新型コロナウイルス絡みの新手の【水道管詐欺】が増加しています。ですので、これはもしかして悪質商法や詐欺かな、と疑われる場合は、警察の相談専用電話【#9110】に電話して下さい。全国どこからでも電話をかけた地域の警察本部などの相談窓口につながるはずです。



水の救急隊が東京・文京区で喜ばれている理由


■予測できない「水のトラブル」に緊急対応いたします

われわれの日常生活において、水の無い暮らしは考えられません。

そのように大切な水の、重大なトラブルは急に発生することがあります。快適な生活を守るために、迅速に解決しなければなりません。
水の救急隊では、24時間年中無休のコールセンターが稼働しており、日中や夜間など時間帯に関係なく、あなたのお家の水トラブルに緊急対応いたします。

■文京区ではすべての作業対応場所を確保

いきなりの水トラブルにお困りの、あらゆるお客様にサービスをご提供するために、水の救急隊は東京・文京区の全エリアにて作業を提供いたします。
家庭でのトイレ、キッチン、お風呂などの水漏れや詰まり、その他配管の故障などはもちろんのこと、店舗や会社の事業所など商業施設でも対応が可能です。

■お客様ごとに、丁寧なご提案

水の救急隊は、水回り関係の修理サービスにおいて、可能な限り、お客様のご希望にそった内容をご提案させていただきます。
いっぽう、緊急トラブル対応だけでなく、消耗品や部品交換のみのご依頼も承っておりますので、どのような些細なご希望・ご要望でも、お気軽にお申し付けください。

■作業内容・作業料金は事前に説明します

水の救急隊は作業後に追加料金が発生することはありません。
水回りの修理を行う前に必ず作業内容のご説明と見積書の提示を行っております。
作業完了後は、見積書に記載された料金のみいただいておりますのでご安心ください。

※追加作業をご希望される場合は料金が発生することもあります。
※対応エリア・現場状況により、事前にお客様にご確認したうえで調査・見積もりに費用をいただく場合がございます。



◇まずは必ず止水をしましょう!


水が止まらないとか、水漏れが止まらないなどの症状が出た際には、止水栓を閉めてから原因箇所と修理方法を探りましょう。

・止水栓は基本的に、各水道設備についています。

・また、水道メーター近くに元栓で止水することができます。

いったん水を止めて、落ち着いてからご相談ください。




サービス対応エリアは文京区内すべてです

それぞれにおいて、迅速な対応が可能です。

さらに詳細な地名を記載いたします。

大塚、千駄木、弥生、向丘、目白台、音羽、湯島、春日、本駒込、水道、千石、小石川、小日向、根津、白山、本郷、後楽、関口、西片


これらすべての場所で、水道局指定業者である東京都文京区の担当プロが、真心をもって、丁寧に作業させていただきます!



水の救急隊(水道修理プロ)文京区・担当者より Part2

どうも、再度の登場となります水の救急隊・東京都文京区の担当スタッフです。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。せっかくですので、さらに、地域の水道に関して、知識を提供させてください。この項では文京区のみなさまへの水回りのことや、水トラブルなどのことについて、私、文京区・担当スタッフから前項ではお伝えしきれなかった内容につきまして記してあります。これを読んでいただき、少しなりとも文京区のみなさまの水トラブルの際の一助となれば、望外の喜びとするところです。なにぶん、一担当者が思いついたまま、ペンの走るままにまかせて書いてございますので、読んでいて、内容にまとまりがなく、また長ったらしいなどと感じられるかも分かりませんが、どうぞよろしくご容赦いただきたいと存じます。

水トラブルの原因はある程度なら自分で調べられます。

最近、なんだか水道料金が急に高くなった、また、晴れた日でも地面が湿っている、などといったことはありませんか。 それは、もしかすると水漏れが原因なのかもしれません。そんなとき、ある程度はご自分でも、どこに水トラブルの原因があるのかの調査は可能です。基本的には、漏水か所が水道メーターよりも、お客様の水道設備ならば、支払いの義務が生じてしまいます。また、それとは逆に、自治体側の水道設備、つまり本管から水道メーターまでの個所であれば、文京区のほうで修繕することになりますので、当然、お客様に支払いの義務はありません。そこで実際に、水トラブル原因がお客様の水道設備なのか、それとも文京区の設備なのかをご確認いただく必要があります。まず前準備として、全部の蛇口が止まっているか確認します。つぎに水道メーターの場所を探します。一戸建住宅などは、玄関先場などに埋められている場合が多いです。また、水道メーターは水道局の指定で、以前は鉄製のふたが多かったのですが、最近のものは樹脂製で出来ているものが多く、またふたの色は青か白などになっています。では、一体何を見るかというと、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットがクルクル回っているかどうかを確認します。もし、パイロットが回っているということは、水を使用している状態だという意味です。つまり、蛇口を止めたのにパイロットが回っているということは、どこかから水が漏れているということを意味します。そして、パイロットが回ることで水道料金は加算されていくことになります。その結果として、もしパイロットが回っていたら、お客様側で漏水していると思われますので、出来るだけ早急に修理が必要となります。それとは反対に、もしパイロットが回っていなければ、お客様側での漏水はしていませんので、もし、水道メーターの近くが濡れているようでしたら、水道局のほうにご連絡願いただきたいと思います。このように水道メーターのパイロットの動作を確認することによって、ある程度でしたら水漏れ個所を特定することが出来ます。また、パイロットは、水の流量によって回転する速度が違います。たとえば、水道管の破断などで、水がダダ漏れの状態であれば、パイロットは物凄い速さで右回転しますし、少しだけ流しているときなどは、それなりにゆっくりと回転します。ですので普段からパイロットの動作状況をご確認いただくことで、ご自宅の水道の使用状況を把握することが可能です。

■もし、パイロットが回り続けていたらお気軽にご相談ください

ここまでが、水道メーターのパイロットを使っての水漏れの確認方法です。一般的には、パイロットの動作の確認などによって発見された水トラブルの場合は、蛇口の水漏れなどの水トラブルに比べると、水漏れが目視で確認できないことが多いので、緊急度とお困り度が低いように感じられて、あまり気にしなくていい水トラブルなのだと誤解されてしまう傾向にあり、どうしても見過ごされがちです。また、このような、水漏れが目で見えない水トラブルは、一度見過ごされてしまうと、ずっとそのまま放置されてしまうことが多いようです。ところが、このような水トラブルのほうが、蛇口の水漏れなどの発見しやすい水トラブルよりも、いろいろな面でハイリスクだといえます。たとえば、水道料金についてですと、少量でも水が漏れ続ける状態で修理を怠った場合、びっくりするくらい多額の水道料金を請求されることになります。また、漏水している場所が建物の壁の中だったりすると、シロアリやカビが発生する原因になったりもします。もしそうなると、水トラブルの修理をする時に、私たちのような水道修理業者以外に、工務店さんなどの修理依頼も必要となります。またそれに加えて、シロアリやカビなどの発生が原因で、建物の不動産としての価値が下落することにもなりかねません。ですので、もしパイロットが回り続けていたら、私たち、水の救急隊にお気軽にご相談ください。水の救急隊は、高い技術力と豊富な経験で、どんな水トラブルにも対応して、文京区の皆様のライフラインを守ります。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 365日、コールセンターが24時間対応しておりますので、水トラブルの際はぜひ、ご利用ください。

漏水分の水道料金については、文京区のほうに返金請求できる可能性があります。

基本的には、ご家庭の水道設備などは、お客さまの財産ですので、お客さまご自身で管理していただくものとなっています。ですので、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットが回っている場合は、水道メーターで計量した水量に漏水した分が含まれていても、その水量に対する水道料金等については、原則としてお客さまに支払いの義務が生じます。ところが、条件によっては減額してもらえる場合があります。また、よくある条件として、水漏れ個所が、発見が難しい場所にある、使用方法自体には問題がない、また水漏れの修理が終わっている、などといったような条件に当てはまると、文京区のほうに水道料金の漏水分について返金請求できる可能性があります。ちなみに、よくある条件というのは、自治体が決めているルールによって異なっていますので、注意が必要です。また、返金される料金についてですが、基本的には水漏れしていた分を全額を返金してもらえるということではなく、水漏れしていない時期の、2、3ヶ月間の水道使用量を参考にして、水量の50%~70%程度が減額されるケースが多いようです。また、発見が難しい場所にあることが条件、となっていることが多いようですので、蛇口、風呂、キッチン、トイレといった、日常生活で容易に発見出来る水漏れなどに対しては減額請求を受付けてもらえない場合が多いようです。それとですが、水漏れ修理が終わっているという条件につきましても、DIYで直すのはNGで、私たちのような、文京区から認定を受けた地域の指定工事店が修理する必要がある場合があります。加えて、自治体によって申請方法が違うようですので、まずは東京都文京区の水道局へどのような条件であれば減額請求ができるのか確認しておくと良いと思います。

家の外壁部には重量物を置かない方が賢明です。

家の外壁部に重い物を置かないことが、水のトラブルに何の関係があるの。と思うかたは多いはずですが、本当は関係オオアリなんです。実は、家の外壁部に重量物を置いたがために、そこに埋まっていた水道管の継ぎ手が外れて、そこから水がダダ漏れになった例が多く発生しているんです。普通、文京区などの行政で設置する水道管は道路の、1.2mくらいの深さ、このような埋設深度のことを、水道業者さんなんかは、土被り(ドカブリ)などと呼んでいますが、とにかく車両などがその上を通っても、水道管が破損したりしない深さにきちんと埋まっています。ところが、一般家庭の場合はそうではなくて、よくて地下30cmくらいの深さにしか埋まっていないんです。ちなみに、下の写真の例は文京区内で撮影されたものではありませんが、土被りは、せいぜい20cmくらいではないかと思われます。もし、そこに何百キロもある物を置いてしまうと、当然水道管の継ぎ手などはたまったものではありません。ある意味、外れて当たり前ともとれるわけで、水道管が家屋に引き込まれているところには、極力、重量物を置かないほうが賢明です。また、水道管の場合はガス管などと違って、家屋に引き込まれているところが分かりずらいことがまたやっかいとなります。もし仮に、これが原因で水モレしてしまうと、ダダ漏れの状態になりますので、文京区から請求される水道料金も、2か月分まとめて請求が来ますので、莫大な金額になります。これはあくまで、文京区で発生した事例ではありませんが、その事例では、そのお宅の人はそれまで全く水漏れしてる事実に気が付かずにいたそうなのですが、ある日水道の検針員さんに「今回はものすごく水道の流量が多いですよ」と指摘されて、調べてみたら2か月の水道料金が何と16万円で、愕然としたそうです。仕方なく、急ぎ業者さんに漏水箇所を直してもらって、水道料金のほうは行政と交渉して、申請書を出してなんとか3万円まで減免してもらったそうです。ちなみに、この事例では、庭のエクステリア工事で余ったブロックを何気なく家の外壁のところに山積みして置いたそうです。ですので今後、もし可能であれば水道工事をやってくれた水道屋さんを見つけて聞くなどして、水道管がどこに埋まっているか確認しておいた方がいいかもしれませんね。

水道局を名乗る人が来たらご用心。

これまでに、本管から水道メーターまでは東京都文京区の設備です、と何度も書いてきましたが、あえてまた書かせいただきてます。それはなぜかというと、ある日突然、水道局の人だと言って、「先ほど交換したメータの代金をいただきに来ました。」と代金を請求されて、お金を騙し取られた、といった事が、ここ文京区内で直接に聞いた話ではありませんが実際にあるからです。普通に考えた場合、本管から水道メーターまでは文京区の範疇だからメーターを交換しても工事代金は取られないはずだと思うはずなのですが、オレオレ詐欺と同様にいざその場になると、相手の言葉を信用してしまうようです。相手の人から「たしかに第一止水栓までは文京区の設備です、でも文京区ではお客様の敷地に設備は設置しないはずです。ですので、お宅の水道メーターが敷地内にあるということは、メーターはお客様の持ち物なんです」などと言われると、なるほどそーなんだと、コロリと騙されてしまうようです。基本的に、水道局では水道メータは、計量法の規定で8年に1回交換してくれて、水道メータの交換にお金がかかることはないとのことです。それと、何か特別なことがないかぎり、水道局の人が直接お客様宅を訪ねることは普通ないそうですので、もし、水道局を名乗る人が来たら、お宅の内には入れずに、その場で身分証明書を見せてもらう、または水道局に問い合わせてみるなどしてください。また、これは詐欺かな、と疑われる場合には、警察の相談専用電話【 #9110 】に電話して下さい。文京区地域の警察本部などの相談窓口につながると思います。とにかく、水道局を名乗る人が来たらくれぐれもご用心ください。

トイレの水が止まらないトラブルについて。

トイレの水のトラブルというと、トイレットペーパーやそれ以外のものが詰まってしまうといった、「詰まり」を一番の原因として連想すると思います。ところが、意外なことにトイレで多い水のトラブルに「水が止まらない」という現象があります。この項では、トイレの水が止まらないと、どのようなことになるのかについて、説明します。さて、私たちが普段なに気なく使用している水洗トイレですが、思ったよりも複雑なメカニズムで動作しています。また、このトイレの水が止まらない故障は、その原因となる場所のほとんどがトイレタンクの内部にあります。ですので、キッチンやお風呂の蛇口からの水が止まらないなどの、一目で分かるような水のトラブルなどとは違って、意外に発見されにくい故障だともいえます。ですが、わざわざトイレのタンクの中を覗いて、トイレがどんな感じで水を流す仕組みになっているのか、などと観察することは私たちのような仕事関係の人間以外、あまりないと思いますので、ここで少し、トイレの水が流れるシステムについて解説させていただきます。始めに、トイレのタンクの内側を撮影した下の解説写真を見ていただきたいのですが、写真の右側に見えます白い棒は、アームと呼ばれ、水を流すときに回すトイレレバーと繋がっています。また、トイレレバーを手前に回すと、アームが手前側に回転して、アームに付いているクサリなのですが、映りが不鮮明で分かりずらくて申し訳ありませんが、写真の下に見えます黒くて丸い部品を引き上げます。この部品はゴムフロートと呼ばれていて、トイレタンクの中にある水が便器に流れないように止水する部品です。また、このゴムフロートが上に持ち上げられることにより、ゴムフロートと排水口の間に隙間ができ、タンクの中の水が便器に流れるようになっています。そして、トイレタンクの中に貯めてあった水が流れ終わるとゴムフロートが下がって、排水口にフタがされます。そうしてまた次の水を貯める、というのが一連の流れになっています。ちなみに、写真の左下に映っている棒状のものは、オーバーフロー管といって便器に繋がっています。このオーバーフロー管は、タンクの中の水がタンクから溢れ出ないようにオーバーフロー管の上部から便器へ排水するための役割をしています。ちなみに、写真のオーバーフロー管の上のほうに黒い横線が見えます。これは、タンクの中の標準水位を確認するためのマークですが、もし、このマークがないオーバーフロー管の場合は、タンク内部の水位は、オーバーフロー管の先端部よりも2~3センチ下が適切だと言われています。ちなみに、オーバーフロー管の故障はあまり例がないのですが、もしこのオーバーフロー管が破損したりして故障すると、タンク内の水が便器に排水されてしまうため、交換修理等が必要となります。

さてここで、トイレの水が止まらない水トラブルの原因を見ていきますが、何個もの原因が考えられますので、順番に解説します。ではまず、さきほどのゴムフロートですが、このゴムフロートが古くなると、歪んだり穴が開いたりして、排水口にピッタリと密着しなくなって、しっかりとフタができなくなることがあります。もし、このような状態になってしまうと、いつもチョロチョロとした水が流れ続けて、水が止まらない状態が続いてしまいます。ですので、ゴムフロートの劣化が原因による水トラブルの場合は、ゴムフロートを新しいものに交換する必要などがあります。また、アームとゴムフロートを連動させるクサリが絡まっても、いつもゴムフロートが上がっている状態になって排水を続けますので、これも水トラブルの原因となります。これに加えまして、ゴムフロートと排水口の間に何か異物が挟まると、排水口にしっかりとフタができず、排水し続けますのでこちらも水が止まらないトラブルの原因になります。次に、下の写真の右側に映っている白い球状のものは「浮き球」と呼ばれるもので、文字通り、「浮き」の役割をしていて、写真でもお分かりいただけると思いますが、ピストンバルブやボールタップと呼ばれる、水道からタンク内への給水をコントロールする、栓のような役目の部品と、指示棒を介して繋がっています。また、これらの部品はお互いに連携して、ひとつの役割を果します。そしてまた、この浮き玉の位置によって、ピストンバルブが開いたり締まったりして、それと同時にボールタップが連動します。ですので、浮き球が古くなり破れて、中に水が入ってしまうと、水位の変化をうまく伝えられなくなって、水が止まらない状態になります。また、ボールタップが故障すると、これによってもトイレの水が止まらない状態になるため、ボールタップ自体を交換するなどの修理が必要です。

トイレの水が止まらない水トラブルについて、もう少し掘り下げてみます。

これまで、トイレのメカニズムについて解説いたしましたが、想像していた以上に故障に繋がる部品が多いように感じていただけたかと思います。さて、このトイレの水が止まらない水トラブルですが、トラブルの場所がトイレということで、いつもチョロチョロとした水が流れ続けていても、どちらかというと見過ごされがちで、あまり気にかけられないため、修理されずそのまま水が流れ続ける状態になっている。また、もし気がついたとしても、デパートやスーパーなどのトイレのように、消臭の目的で、いつも水が流れるタイプのハイテクトイレと勘違いされて、水が流れ続けているのに、故障していることに気ずかれずに、修理されずにそのまま使われていることも多いようです。では水が止まらない水トラブルが修理されずにそのまま放置されると、どのようなことになるのかというと、水道メーターのパイロットがクルクル回っている、いわゆる、水道料金がずっと加算されていくことになります。ちなみに、漏水した分の水道料金の減免につきましては、本サイトにて既に一度解説してありますが、大変重要なことですので、再度記載しますが、漏水した分の水道料金はこちら、文京区でしたら、文京区のほうから二か月に一度、水道料金の請求が来ると思います。そして、文京区が定めた水道料金の減免条件に適合すれば、漏水した分の水道料金は、文京区のほうに返金請求出来ることになっています。ですが、多くの自治体の定めるところでは、第一止水栓(水道メーター)などの自治体の管理する水道設備よりも下部に漏水点があった場合には、その漏水点が地中部分だと、料金の減免条件に適合していても、漏水点が地上部分だと適合外だと規定されているところが多いようです。加えてまた、漏水点の修理につきましても、たとえばこちら、文京区でしたら、水の救急隊のような、文京区の水道局からの指定を受けた水道工事業者によって、修理工事が行われることが規定されていて、それがもしも仮に、お客様などのような、行政からの指定を受けた水道工事業者以外の人が修理した場合には、水道料金の減免の条件から外れてしまうとされる場合が多いです。それとまた、水道料金の減免申請につきましても、私たちのような、文京区の水道局からの指定を受けている水道工事業者が、お客様に代行して通常は減免申請を行うことが多いです。ですので、私たちの方にお聞きいただければ、水道料金の減免申請に関しての、おおよその事はご説明出来ると思います。しかしながら、たとえばもしも漏水点の場所が壁の中だとしたら申請は可能か、とか、どのくらいの期間までだったら逆のぼって申請が出来るのか、あるいは、修理してから何か月以内なら申請可能か、などといった極めて詳細なことにつきましては、水の救急隊(水道修理プロ)文京区の担当者の私どもとはいえど、即答は困難かと存じます。ですので、もしも水道料金の減免申請にご興味をお持ちの方は、一度、文京区の水道局の方にご確認いただいたくことをお薦めします。ちなみに、私が体験したトイレの水が止まらないトラブルの案件をご紹介しますと、この件はここ文京区のお客様ではなかったのですが、「水道の使用量がここしばらく、以前よりもかなり多いので調べてみたほうがいいですよ」と、水道の検針員さんから言われたのがきっかけで、ご連絡いただいてのご訪問でした。ご訪問して早速、水道メーターのパイロットを確認したところ、確かにクルクルと回っています。そこでお客様に漏水の心あたりをお聞きしたところ、まったく心あたりはないとのことでしたが、あちらこちらと漏水点の探索を行いました。ちなみに、このように漏水点が不明なときに、私たちは聴診棒と呼ばれる特殊な棒状の器具を使って調べます。この聴診棒ですが、ステサスコウプなどとも呼ばれていますが、私たちが使うものとはタイプは違うものですが、自動車修理工場などで、エンジンやモーターなどの回転機器などを点検するときにも使用されています。修理工場などでは、棒の片方を耳に当てて、もう片方を点検箇所に当てて、その振動などで機器の音を聞き分けて、異常の有無を診断します。また、私たちが水道の漏水点を探すときは、下のイメージ図のように、片方を耳に当て、そしてもう片方を蛇口などの水道設備に当てて、じっとその音を聞いて調べます。ちなみに、最近はこの聴診棒もなかり改良されていて、お医者さんが使う聴診器と、聴診棒を合体させたような作りになっているものもあります。たしかにこのタイプだと両方の耳で調査できて、片方の耳で聞いて調査するタイプのものより、周囲の雑音を拾ったりすることもないので、調査に集中できていいと思いますね。

さて、この時もいつも通りに聴診棒での漏水点の探索調査を行いましたが、なかなか漏水点が特定できずにいました。そこで再度、水の流れを確認するため今度は、下水口で水の流れを点検して見てみたのですが、やはり少しずつですが、流れが確認できました。また、そこのお宅はかなり大きい建物で、そのうえ聴診棒で調べても、経験上、水道管などから水が漏水している感覚というか、手ごたえがありませんでしたので、あえてお客様に「いま見させていただいた場所のほかに、たとえば二階とかに蛇口とかの水道設備はありませんか」とお聞きしたところ、「そういえば、今はあまり使っていないんですけど、二階にトイレがもう一つあります」、という一言で、早速新たに見つかった二階のトイレを見せていただいたところ、案の定、原因が見つかり、トイレのボールタップを交換修理して、すべてが解決しました。そして修理作業が終わり、それからしばらくして、そのお客様から連絡が入りました。なんでも、トイレの修理をする前と、修理した後の水道料金を比べてみたら、一万円くらいの差があって、修理していただいて、本当によかった、助かりました。今後は注意しますね。」といったお礼のお電話でした。このように、トイレの水が止まらない水トラブルは、他の「詰まり」などのトラブルと違って、お客さまが普段の生活にそれほど困らない、どちらかというと、あまり目立たないトラブルです。ですが、今回の事例のように、もし修理しないでおくと、後で文京区のほうから高額の水道料金の請求が間違いなく来ることになります。ですので、トイレだからまあいいかなどと思ったりせずに、発見したら出来るだけ早く修理していただくことをお薦めいたします。

【おもな水まわりトラブル&原因箇所】

■給水部分(蛇口)のよくある水トラブルと原因・文京区

(1)水が止まらない
(2)水が出ない
(3)部品の隙間から水漏れしている
(4)がたついている・異音がする

蛇口トラブルはパーツの経年劣化によって固定部分が摩耗してしまうことが原因となっているケースが多くあります。


■排水部分の水トラブル、東京・文京区のよくあるトラブルと原因
(1)水の流れが悪い
(2)排水枡が溢れてしまった
(3)逆流を起こしている


排水管は水だけを捨てる管になりますので、ゴミを流さないようなパイプの構造をしています。そのため、水溶性以外のゴミはパイプの内部に残り、徐々に詰まってしまうのです。


【設備別の水トラブル】

■文京区 トイレのトラブルと対処法

トイレは日常的に使いますので、水トラブルが起こった時はすぐに修理しなければいけません。

■文京区・東京 キッチンのトラブル

日ごろから使用頻度の高いキッチン(台所)は使用頻度が高い分、部品の摩耗による劣化も起きやすい傾向にあります。

■文京区 お風呂場のトラブル

お風呂場は一度に大量のお湯を使用することから排水詰まりが起きやすい場所となります。また、お湯と一緒に発生する水蒸気によって水道設備がさび付いてしまい、部品交換の需要が多いのも特徴です。

■東京文京区・洗面所の水トラブル

洗面所のトラブルは排水管に物を落としてしまうことによって、詰まりや逆流が起きやすい場所です。洗面所に多くある綿棒や洗顔時に外したアクセサリーがS字パイプの間に詰まってしまいます。また、洗面所の排水管はトイレやお風呂場と異なり、細い管が使われているため、詰まりに対する耐性が低いのも特徴です。

文京区を管轄する水道事務所はこちらです、ご参考のために記載いたします。


【事業所名】 東京都水道局 文京営業所
【所在地】  〒113-0024 東京都文京区西片2丁目16−23



【事業所名】 東京都水道局本郷庁舎
【所在地】  〒113-0033 東京都文京区本郷2丁目7−1




水の救急隊は、文京区の全域にて水道・トイレなど、水まわりの故障トラブルや詰まりなどにスピード対応いたします!

文京区のおもな駅一覧

これら駅の近隣にお住いの皆様は、とくに迅速な対応が可能です。


東京メトロ・丸ノ内線
新大塚駅、茗荷谷駅、後楽園駅、本郷三丁目駅、御茶ノ水駅

東京メトロ・南北線
駒込駅、本駒込駅、東大前駅、後楽園駅

東京メトロ・有楽町線
護国寺駅、江戸川橋駅

東京メトロ・千代田線
千駄木駅、根津駅、湯島駅

都営地下鉄・I都営三田線
千石駅、白山駅、春日駅、水道橋駅

都営地下鉄・I都営大江戸線
上野御徒町駅、本郷三丁目駅、春日駅、飯田橋駅


【観光はもちろんのこと、もしもの時の、集合場所にも。文京区周辺の名所旧跡へGO。】



根津神社

東京都文京区根津1-28-9にあります、根津神社は、東京メトロ千代田線・千駄木駅から直線約620m、徒歩約14分、車で約3分。東京メトロ千代田線・根津駅から直線約540m、徒歩約12分、車で約2分。また、東京メトロ南北線・東大前駅から直線約390m、徒歩で約9分、車で約1分のところにあります。根津神社は、文京区根津にある神社です。根津神社は、東京10社の1社となっており、明治時代には准勅際社、府社に列格していました。創建年代は不詳ですが、古くより千駄木に創祀、文明年間には、太田道灌が社殿を奉したといいます。当地は、5代将軍綱吉の兄綱重の山手屋敷でしたが、家宣の産土神として、綱吉により宝永3年、千駄木にあった当社を移して造営され、社領500石の朱印状を拝領しました。当時造営された建造物は現存し、国指定重要文化財となっています。造営記念の祭礼は、正徳4年に、天下祭・宝永祭として盛んに行われたといいます。東京都神社名鑑による根津神社の由緒によると、根津神社は、景行天皇の御代、日本武尊が東夷征定の途次、武神須佐之男命の御神徳を仰ぎ創祀したと伝えられ、下って文明年間には、太田道灌が社殿を奉建しています。江戸時代には、将軍徳川綱吉が嗣子家宣の産土神として、宝永3年に現社殿を造営、千駄木の旧社地より遷宮、永代社領500石を寄せました。その祭礼は、俗に天下祭と称し、幕制により、その規模を定めて江戸全町を挙げて催され、特に正徳4年の祭礼は未曾有の盛儀で、江戸市民に語り継がれました。明治維新には、明治天皇御東幸にあたり勅祭社に准ぜられ、勅使を遣わされて国家安泰の祈願を修め給う等、古来の名社です。以上、東京都神社名鑑より。根津神社所蔵の文化財についてですが、根津神社は、太平洋戦争で被災せず、徳川綱吉が造営した時の建造物が現存しており、建造物は国指定重要文化財となっています。当地は、6代将軍徳川家宣が誕生した地だったことから、家宣の胞衣塚が残っており、文京区指定有形文化財に、根津神社が造営された際の天下祭りが、奉納された当時の神輿3基・付獅子2頭が文京区指定有形文化財になっています。徳川家宣胞衣塚は、6代将軍家宣の胞衣を埋めたところと伝えられ、10数箇の割り石が雑然と積み重ねてあります。この根津神社の境内は、もと5代将軍綱吉の兄、綱重の山手屋敷で、綱重の長子家宣は寛文2年4月5日ここで生まれました。胞衣とは、胎児を包んだ膜と胎盤をいいます。われわれの祖先が、胞衣を大切に扱ったことは各地の民間伝承にあります。例えば、熊野では大石の下に納めたと伝えられます。関東では、家の床下や入口の敷居の下に埋めたといわれ、また屋敷の方角をみて埋めるという所もありました。一方上流の階層では、胞衣塚を築くことが早くから行われました。愛知県の岡崎には、徳川家康の胞衣塚があります。この胞衣は誕生の敷地内に納められました。徳川家の他のものとくらべ、形式が素朴であるなど、庶民の民俗の理解の上で貴重なものです。本殿横には、明治14年に建てられた、胞衣塚碑があります。また、家宣の産湯の井戸と伝えられるものが、社務所の庭にあります。家宣が綱吉将軍の跡継ぎとなり江戸城に入ると、屋敷跡に家宣の産土神である根津神社を移し、華麗な社殿が綱吉によって建てられました。以上、文京区教育委員会掲示より、文京区教育委員会掲示より。神輿三基、付獅子二頭についてですが、根津神社は、5代将軍綱吉により、世継ぎの家宣の産土神として、宝永3年、千駄木にあった社を移し建てられました。造営記念の祭礼が、正徳4年に、いわゆる天下祭、宝永祭として盛んに行われました。この時、神輿三基が奉納されて御神幸に用いられました。神輿は、漆塗や金具などの後補がありますが、本体部は初めのもので、製作年代の明らかな江戸神輿として貴重なものです。獅子は、頭、尾および背布からなる2頭です。江戸根津大権現神前額面之縮図によれば、宝永祭の神輿行列を先導する獅子2頭が描かれています。神輿と同寺の製作と考えられ、天下祭りを偲ぶ重要な遺品です。神輿と獅子を1対として指定しました。以上、文京区教育委員会掲示より。東京大学農学部キャンパスのすぐ近くに位置し、歴史ある神社です。一年中景色が素晴らしいですが、特に4、5月のツツジは見応えがあります。時代劇のロケ地にもよく選ばれています。最近では、風よ嵐よの撮影がありました。都心にありますが、とても閑静な神社です。日本武尊が、1900年近く前に創祀したと伝える古社で、現在の社殿も1706年の創建です。境内に乙女稲荷神社のたくさんの鳥居があり、鳥居の下を歩いて楽しむことができます。入り口の大きな鳥居がとても印象的で、丁寧に手入れもされていて、歴史を感じることができます。出入り口が2箇所あって、新坂から入ると大きな鳥居があり、左側にはトイレがあります。暫く進むと右側には池があり、大きな門だけがポツンと建っています。後方に拝殿があります。敷地が広く観光客の他、地元の人も多いです。境内には千本鳥居があり、見応えがあります。また、春になると境内のつつじが咲き誇り、花の名所としても有名な神社でもあります。また、近くに観光スポットが多く点在しているため、たくさんの人が参拝にきます。徳川家康が眠る日光東照宮の様式を継承し、江戸時代に造られた拝殿、唐門、楼門などの建築物が多く現存していて、歴史を感じることができます。また、朱色を基調とした建築物が多く、きれいな形で残っていることに驚きます。特に、赤い鳥居がたくさん並んでいる景色は圧巻です。写真撮影にぴったりの場所です。それほど広くはないのでのんびりと散策することができます。東京10社の1つで、本殿や拝殿は、重要文化財に指定されていて、その他にもいくつかが指定されている、貴重な神社です。境内には樹齢数百年はあろうかと言う、巨木が何本もあったり、大きな池もあり、一歩境内に足を踏み入れると、世間の雑踏とは切り離された感じがします。


湯島天満宮

湯島天満宮も東京都の観光名所の一つです。湯島天満宮は、文京区湯島3-30-1にあります。湯島天満宮は、東京メトロ湯島駅から徒歩約2分のところにあります。湯島天満宮は、泉鏡花の婦系図で知られています。梅園があり観梅客も多く、通称湯島天神の名で、学問の神様として親しまれています。徳川家康公が江戸城に入るに及び、特に崇敬すること篤く、翌19年11月、豊島郡湯島郷に朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き、文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのです。 その後、学者や文人の参拝もたえることなく続き、林道春、松永尺五、堀杏庵、僧堯恵、新井白石などの名が見えます。将軍徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心として、いよいよ湯島天満宮を崇敬したのです。湯島天満宮は、文京区湯島にある神社です。湯島天満宮は、正平10年2月、郷民が菅公の御偉徳を慕って創建しました。文明10年、太田道灌により修造、天正19年には、徳川家康から朱印地5石を与えられました。江戸時代に入ってからは富くじでも有名になり、上野感應寺、目黒不動龍泉寺とともに、江戸の三富と称されていました。東都七福神の一つです。境内掲示による湯島天満宮の由緒によると、湯島神社は、湯島天満宮、湯島天神として全国津々浦々まで知られています。雄略天皇の勅命により、御宇2年1月創建と伝えられ、天之手力雄命を奉納したのがはじまりで、降って正平10年2月、郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しました。文明10年10月、太田道灌がこれを再建し、天正18年、徳川家康公が江戸城に入るにおよび特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月、豊島郡湯島郷の内5石の朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、泰平永き世が続き文教大いに賑わうようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのです。その後、林道春、松永尺五、堀杏庵、僧堯恵、新井白石など学者文人の参拝たえることなく続きました。徳川綱吉公が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心として、当天満宮を崇敬したのです。明治18年に改築された社殿も老朽化が進み、平成7年12月、後世に残る総檜木造りで造営されました。以上、湯島天満宮境内掲示より。東京都神社名鑑による湯島天満宮の由緒によると、湯島神社は、雄略天皇の勅命により、御宇2年1月創建と伝えられ、天之手力雄命を奉斎したのがはじまりで、降って正平10年2月、郷民が菅公の御偉徳を慕い、文道の大祖と崇め本社に勧請しあわせて奉祀し、文明10年10月、太田道灌これを再建し、天正18年、徳川家康公が江戸城に入るにおよび、特に当社を崇敬すること篤く、翌19年11月、豊島郡湯島郷の内5石の朱印地を寄進し、もって祭祀の料にあて、太平永き世が続き、文教大いに振うようにと菅公の遺風を仰ぎ奉ったのです。その後、学者、文人の参拝もたえることなく続き、林道春、松永尺五、堀杏庵、新井白石などの名がみえます。将軍徳川綱吉が湯島聖堂を昌平坂に移すにおよび、この地を久しく文教の中心として、いよいよ湯島天満宮を崇敬したのです。また、湯島の富くじは、江戸でも谷中の天王寺、廻ろ不動とともに、早くから幕府公認として栄え、江戸3富として知られました。明治になっては、泉鏡花の、婦系図の舞台として、演劇に映画に歌謡曲に「湯島の白梅」の名を高からしめました。以上、東京都神社名鑑より。文京区教育委員会掲示による湯島天満宮の由緒によると、湯島神社は菅原道真公を祀ったもので、湯島天満宮又は湯島天神の名で有名です。菅公の徳は、全国に浸潤し天神様と尊ばれ全国に祀られて、学問の神様として敬われています。伝えられるところでは、文和4年、湯島郷民の勧請にはじまり文明10年、太田道灌が修造したといわれています。青松が繁る神境に野梅が盛んに香り、風雅に富んだ所として古くから名を知られ、その後江戸幕府の朱印地になり、林道春、新井白石等の多くの学者に文神とし崇められました。境内の梅は一時枯れましたが、現在では地元民の篤志により、数百本の梅樹が植えられ、2月から3月に行われる梅まつりには、みごとな花と香りで参拝者、鑑賞者を楽しませています。また梅園の中には、満天下の子女の紅涙をしぼらせた、婦系図のゆかりの地として、里見弴外16名の文筆家ら旧知関係者によって昭和17年9月7日に泉鏡花の筆塚が造立されました。湯島天満宮は、湯島駅から歩いて5~6分で着きますが、小高い場所にあるので少し登ります。学力向上や撫で牛で調子の悪いところを治す現世利益があるほか、1667年にできた鳥居や江戸時代の迷子掲示板である奇縁氷人石など貴重な文化遺産もあります。落ち着いた雰囲気の神社です。春は梅祭り、秋は菊祭りなどイベントも多くあります。受験シーズンやお正月になるとたくさんの参拝者が押し寄せてきます。施設での滞在時間は長くても1時間で十分だと思います。もっと詳しく楽しむには別に資料館があります。興味深い施設に、ガス燈があります。文字どおりガスを燃料にした照明器具です。2021の東京パラリンピックの採火も行われました。湯島天神とも言われている神社は、学問の神様とも言われている菅原道真を祀っていることから、学業成就、合格祈願にご利益があります。徒歩圏内に上野公園や国立博物館、国内有数の美術館も数多くあるので、他の施設とも併せて楽しむことをお勧めします。また老舗の料理店も近くにあるので、よく下調べをして出かけると良いと思います。境内に咲く梅の木は見事で、梅の時期には梅まつりが開催されています。時期によっては、参拝待ちの行列ができるので注意が必要です。境内には、たくさんの合格の絵馬が並んでいます。春は梅や桜がきれいに咲き誇っていて散歩すると最高ですよ。


櫻木神社

東京都文京区の名所、櫻木神社社は、文京区本郷四丁目3番1号にあります。また、櫻木神社は、都営大江戸線・春日駅から直線約590m、徒歩約14分、車で約2分。都営三田線・春日駅から直線約590m、徒歩約14分、車で約2分。東京メトロ丸ノ内線・本郷三丁目駅から直線約120m、徒歩約2分。都営大江戸線・本郷三丁目駅から直線約70m、徒歩で約1分のところにあります。桜木神社は、文京区本郷3丁目交差点そばにある神社で桜木天神とも称します。文京区本郷桜木神社は、太田道灌が江戸城を築城の際、城内に北野天神を勧請、創建したといいます。2代将軍徳川秀忠の代に旧櫻の馬場の地へ遷座、元禄3年その地に昌平坂学問所が設立されることになったため当地へ遷座したといいます。東京都神社名鑑による桜木神社の由緒によると、櫻木神社は、文明年間、太田道灌江戸築城の際、菅公の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたもので、のち、湯島の台坂上なる旧桜の馬場の地を相して神祠を建立遷座して、その近傍の守護神と仰がれましたが、東山天皇の御宇、徳川将軍綱吉、同所に昌平校設立の挙あり、これによりて本郷の地に遷座し現在に至ります。以上、東京都神社名鑑より。本郷區史による桜木神社の由緒によると、櫻木神社は、眞砂町6番地に在り、菅原道眞を祭ります。明治35年、菅公一千年大祭の時境内に建てたる碑文には、太田道灌江戸城を築きし時祠を城北櫻の馬場に建て櫻木神社と稱しましたが、元禄中聖堂移建に際つて之を現地に遷した旨を記して居ます。明治5年11月村社に列す、祭禮は8月26日です。以上、本郷區史より。境内石碑による桜木神社の由緒によると、櫻木神社は、約500年前、後土御門天皇の御宇文明年間に太田道灌が、江戸築城の際、菅原道真公の神霊を京都北野の祠より同城内に勧請せられたものを、其後湯島高台なる旧櫻の馬場の地に神祠を建立して、その近隣の産土神として仰がし櫻木神社と名付けられたといはれます。其後、元禄3年徳川綱吉が、同所に御学問所昌平黌を設立するに当り、更に現在の地に遷座即ち今を去る実に275年前の事です。旧社殿は、東山天皇の御宇の創建ですが、64年を経た桃園天皇の、宝暦3年に、改築爾来連綿実に、昭和の大東亜戦争により烏有に帰し、仮社殿でしたが氏子相計り昭和34年9月新築落慶して今日に至ったものです。以上、境内石碑より。櫻木神社は、本郷三丁目駅からすぐの場所にある神社で、東京メトロ・丸ノ内線の本郷三丁目駅から歩いて2分位にある神社で、とても静かな神社です。都会のオアシス的な場所です。本郷通りと春日通りの交差点から北西にあります。近くに東京大学の本郷キャンパスがあるせいか、合格祈願の絵馬もかなり見受けられます。境内は広くはなくこじんまりとしています。社伝によれば、文明年間に、太田道灌が江戸城内に創建し、その後湯島に移され、元禄4年現在地に遷されたとのことです。都内の込み入った中で、国道沿いに立っている割に、たたずまいは鬱蒼とした雰囲気があって、境内にはなぜか烏骨鶏が飼われていたりしていい感じの神社です。緑があり、木陰もあり、涼しげな雰囲気で心が落ち着きます。合格祈願でよく知られた神社で、ピンク色のサクラのイラストが施された絵馬が有名です。


白山神社

東京都文京区の名所、白山神社は、文京区白山5-31-26にあります。白山神社は、東京メトロ南北線・東大前駅から直線約820m、徒歩約19分、車で約4分。東京メトロ南北線・本駒込駅から直線約360m、徒歩約8分、車で約1分。また、都営三田線・白山駅から直線約140m、徒歩で約3分のところにあります。白山神社は、文京区白山にある神社です。白山神社は、東京10社の1社となっており、明治時代には准勅際社、府社に列格していました。白山神社の創建年代は不詳ながら、天暦年間に現本郷一丁目附近に創建されたと伝えられています。元和2年、2代将軍秀忠の命により現在の小石川植物園の地へ遷座、慶安4年、白山御殿造立に伴い、明暦元年、当地に遷座したといいます。5代将軍家綱の生母桂昌院の崇敬篤く、元禄3年正月29日社領30石の御朱印状を拝領していました。地名白山は当社の在るところから、また小石川は、白山神社本社のある加賀国石川郡より名づけられているといいます。小石川區史による白山神社の由緒によると、白山神社は、祭神は伊弉諾尊、伊弉册尊、菊理姫命、本解男神、速玉男神です。其創建は、社傳に依れば、天暦2年に加賀の國の一の宮白山神社を移して勸請し奉つたもので、始めは本郷元町に在つたが、元和2年後の白山御殿の地に移り、明暦元年白山御殿の造營と共に今の地に移つたといはれます。江戸時代には、境内4000餘坪あり、将軍綱吉及び其生母桂昌院殿の信仰を受けて大いに榮え、朱印30石を賜はり、小石川の鎮守として参詣者多く、當時門前に参詣者相手の茶店、賣店等が立ち並び、非常な繁昌を来した事が、江戸名所圖會及び、御府内備考等に記されています。明治5年、郷社に列せられ、其境内は24年公園に編入されました。現状は、境内は丘陵に據り、櫻杉などが繁り、銀杏の老樹も34聳立して、往昔の杜鵑の名所の面影を傳へて居ます。社殿は最近新たに造營せられて其尊嚴を加へ、社務所も目下造營中です。末社には嚴島神社、松尾神社、稲荷社、三峰神社等があります。祭日は例年9月21日で、氏子町は、白山前町、指ヶ谷町、柳町、下富坂町、餌差町、表町、大門町、白山御殿町、本郷區丸山福山町、丸山新町、西片町、本郷六丁目、東・西竹町等です。なほ、境内には昔源義家が奥州遠征の時、遥かに石清水八幡宮に祈願をこめ、旗を梢にかゝげて、草賊を退治したと傳へる名木旗櫻があります。又社殿の背後の富士山には淺間神社が祭られています。此の山は春夏は緑葉に圍まれて登るに良く、秋冬の期は、樹間より境内及び瓦屋櫛比の街衢を見渡すに良いです。鳥居博士の説に從へば、此の山は古い丸塚を利用したものであるといいます。以上、東京都神社名鑑より。文京区史跡さんぽ実施報告書による白山神社の由緒によると、白山神社は、社伝によれば、天暦年間に現本郷1丁目に創開されたといわれています。元和年間、2代将軍秀忠のとき、現在の植物園内に移されました。しかし、5代将軍綱吉が、ここに白山御殿を造営されたので、現在地に再び移築されました。明暦元年のことです。この縁で、綱吉の生母桂昌院の厚い信仰を受け、小石川の鎮守として栄えました。祭神は、菊理姫命、伊弉諾命、伊弉册命の三柱です。境内に桜の老樹があります。永承6年、八幡太郎義家が奥州平定の途中、この社に寄り、この桜に旗をかかげ、戦勝を祈願したといわれています。そこで、この桜を旗桜といい、明治29年、石碑を建て旗桜記が記されました。境内には、また、白山神社総代、各町会有志による、孫文先生座石の碑があります。碑文の略記を記すと、次のとおりです。明治43年5月中旬、神社近くに住む盟友、宮崎滔天宅に寄遇していた孫文は滔天と共に、白山神社の境内の石に腰掛け、中国の将来と革命について語り合いました。そのとき、夜空に光芝を放つ、一条の流星をみました。このとき、祖国の革命を心に誓いました。そして、清朝を倒した辛亥革命の最高指導者となり、中国国民党の創設者になりました。孫文が流星を見て、清朝を打倒し、新中国建設を誓った場所を後世に残そうと、白山神社の清水宮司を中心に町会有志が、この記念碑を建立しました。孫文と滔天が見た、一条の光芝を放つ流星は、ハレー聾星ではないかと思われます。ハレー彗星が太陽に最も近づいたのは、明治43年4月20日でした。中国や日本では、むかし、この星を妖星と呼び、変事が起こるきざしと考えられていました。以上、文京区史跡さんぽ実施報告書より。白山神社は、白山駅から徒歩2分ほどのところにある神社です。天暦年間に、加賀一宮白山神社を現在の東京本郷の地に勧請されたと伝えられていて、境内は厳粛な雰囲気を漂わせています。東京10社の一つで、あじさいの名所としても有名です。緩やかな坂道を上がると大きな鳥居があり、右側に社務所と社殿がある境内で、梅の木があります。社殿と獅子の像は年季があります。社殿の右側には回廊のような場所があり、下を潜り外に出ることが出来ます。少し高い場所にあるので、風通しがよく、気持ちが良いです。日本には白山神社とよばれる神社が複数あるようですが、こちらの白山神社は文京区の白山にある神社になります。有名な神社のうちの一つということで、御朱印をもらいにくる人もいるようです。アジサイで有名な白山神社は、根津神社のツツジならび文京区のお花見スポットのひとつです。また、根津神社など周辺に下町散歩スポットが色々あるので地下鉄を使って休日にお出かけも楽しいです。この神社は都心にありながらひっそりとした雰囲気です。あじさいが綺麗なところなのでその時期は多くの人が訪れます。あじさい祭りが開催される期間はとてもにぎわいます。


中野氷川神社

中野区の名所、中野氷川神社は、東京都中野区東中野1-11-1にあります。中野氷川神社は、都営大江戸線・中野坂上駅から直線約640m、徒歩約15分、車で約3分。東京メトロ丸ノ内線・東京メトロ丸ノ内分岐線、中野坂上駅から直線約540m、徒歩約12分、車で約2分。都営大江戸線・東中野駅から直線約450m、徒歩約10分、車で約2分。また、JR中央線・東中野駅から直線約430m、徒歩で約10分、車で約2分のところにあります。中野氷川神社は、中野区東中野にある氷川神社です。中野氷川神社は、長元3年に武蔵一の宮である、埼玉県大宮氷川神社から勧請して創建したものと伝えられ、旧中野村の総鎮守であったといいます。新編武蔵風土記稿による中野氷川神社の由緒によると、1町2段8歩、村の中央よりは東南の方によりてあり、本社は1間に8尺、本地11面観音の立像長1尺7寸5分なるを安ず、前立に素盞嗚尊・稲田姫・大己貴命の木像三軀を安す。各長1尺7寸2分、拝殿3間半に3間、鳥居2基あり、1基は木にて、1基は石なり、左右に松檜並びたてり、鎮座の年代詳ならず、正五9月27日神酒を供す、村内宝仙寺の持。以上、新編武蔵風土記稿より。中野区教育委員会掲示による中野氷川神社の由緒によると、この神社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元3年に武蔵一の宮である埼玉県大宮市の氷川神社から勧請したものと伝えられています。室町時代の応永年間に社殿を改築した伝えもありますから、中野村の開発とともに鎮座も古いことがうかがわれます。祭神は須佐之男命、稲田比売尊、大己貴尊の三柱で、例祭は9月14、15日ですが、もとは26、27日の両日でした。江戸時代には総護摩行が行われ、湯立神楽をあげ、淀橋、上宿、下宿、西町、仲宿、打越、囲、原の氏子がそれぞれの地区の幟や提灯の美を競いました。豊年には、獅子舞、相撲、力石くらべなども行われて、近在をあげての盛大な行事になっていました。明治、大正期の巡行はいまも語り草になっています。拝殿にある中世の石の狛犬をはじめ、境内には中野の歴史を語る多くの遺品があります。以上、中野区教育委員会掲示より。東京都神社名鑑による中野氷川神社の由緒によると、当社は、旧中野村の総鎮守社で、創建は長元3年に源頼信が平忠常を征討のさい、武蔵一の宮の氷川神社の神霊を勧請したことによります。応永年間、宝仙寺中興の僧聖永が改築し、文明9年には太田道港が練馬、石神井両城に豊島兄弟を攻略するにさいして戦勝を祈願し、凱陣の後、社殿を造営して報賽しました。明治10年拝殿が同15年本殿を改築し、昭和3年表参道を開き、神橋を架設する等境内を整備しました。以上、東京都神社名鑑より。中野氷川神社は、交通量の多い山手通り沿いにありますが、静かでかなりの趣きがある神社です。広くはないのですが、さすが氷川神社という厳かな雰囲気です。厄除けのご利益があるそうで、地元の方がひっきりなしにお参りに来ている歴史ある神社です。中野氷川神社は、1030年に源頼宣が平忠常の乱を平定する際に、武蔵国一宮、大宮氷川神社の神霊を勧講したのが始まりです。別名沼袋神社と呼ばれております。1346年から1370年の間に、武蔵国一ノ宮であった氷川神社から分霊されました。中野近辺には、なぜか氷川神社と名の付く神社が多いです。こちらは数ある氷川神社の中でも中野と付くだけあって、中野を代表するような神社です。中野坂上駅と東中野駅の間の山手通り沿いにあって、この場所だけ神聖な雰囲気です。 ひとつひとつじっくり見ていくと、戦争があったという歴史を多く感じることができます。昭和16年に作られた狛犬。帝国在郷陸軍会の忠孝碑など。中野には戦争の痕跡が残っている場所が多いです。近くの成願寺や白玉稲荷神社にもその跡は残されています。意識して散策すると、忘れてはならない歴史を確認することができます。境内には背の高い木々も多く、中野区に居る事を忘れてしまうほど静かな境内です。とても広くて歴史ある神社です。厳かな雰囲気もあってゆったり散策しながら立ち寄れます。初詣の時期はかなりの人が集まります。家族連れやひとりでも参拝するのにおすすめの神社です。緑も多くて、ちょっとした森林浴気分になれます。都心の住宅地にしては本格的な神社です。静かなので、ゆっくり参拝することができます。


高徳寺

東京都中野区上高田1-2-9にあります高徳寺は、都営大江戸線・中井駅から直線約840m、徒歩約20分、車で約4分。東京メトロ東西線・落合駅から直線約740m、徒歩約17分、車で約3分。JR総武線・JR中央線・東中野駅から直線約520m、徒歩約12分、車で約2分。また、都営大江戸線・東中野駅から直線約390m、徒歩で約9分、車で約1分のところにあります。高徳寺は、建仁元年、信州粟原に正行寺として釈了智によって開山されました。その後数回移り渡り、明治41年にこの地に移りました。平成26年2月、中野区認定観光資源に認定されました。真宗大谷派寺院の高徳寺は、新居山法喜院と号します。高徳寺は、近江佐々木氏一族出身の了智法印が、信州栗原に建立した正行寺を源とします。その後、正行寺を上野国新田郡新井村へ移転、荒居山法喜院高徳寺としたといいます。元亀年間に戦乱を避けて12世了応法師が、下総の国相馬郡小目村へ高徳寺を移転、14世宗信法師が高徳寺を中興したものの、戦乱に遭い寺院を焼失、江戸下谷御小人町へ移転、その後17世了也権律師の代に8丁堀への移転を経て、浅草報恩寺境内へ移転しました。上野国新田郡新井村の土豪出身と伝えられる新井白石は、10代・30代の2度に亘り高徳寺に寄食していたといい、新井白石の墓所となっています。御府内寺社備考による高徳寺の縁起によると、新居山法喜院高徳寺、地所133坪、当寺起立之儀、最初高野山に居て真言秘密の法を修行し、承永元年親鸞聖人越後国国府江下向し玉ふ御跡をしたひ、国府に行て法意を聴聞して御弟子と成る。法名を了智と給ふ。其後信州栗原に趣て一宇を建立し正行寺と号す。亦年月を経て上州荒居に移て梵宇を建立して荒居山法喜院高徳寺と号す。一名明見山ともいふ。開祖了智法印。本国近江、俗性佐々木家之一族也。安貞2年12月10日寂。12世了応法師。元亀年間甲州兵乱の為に下総の国相馬郡小目村に寺跡を移す。中興14世宗信法師。慶長年中報恩寺の触下に属す。その頃田谷修理太夫の為に寺跡を焼失す。是に依て江戸下谷御小人町江寺跡を再建す。17世了也権律師。慶安年中江戸八丁堀に転住す。其後明暦3年の火災によりて浅草報恩寺境内へ寺跡を移す。22世了祐権律師。文化9申年11月当地所江報恩寺移転の節、同境内へ転住いたし候。本尊阿弥陀如来、木立像丈1尺8寸、頂仏師作。阿弥陀如来画像親鸞聖人真筆観音、丈壱寸3分、護摩の灰を以作る。右者弘法大師の作にして、当寺開山了知法印高野山に在りし時常にこれを安置す。依て伝来なす。高徳寺には、延宝3年から延宝7年までと、元禄4年から元禄6年までとの2度に亘り当寺に寄宿した、新井白石の墓があり、東京都指定文化財となっています。新井白石は、江戸中期の朱子学者。名は君美、通称勘解由、白石は号。木下順庵に朱子学を学び、その推挙により甲府の徳川綱豊の儒臣となり、宝永6年家宣が将軍になると幕臣として、間部詮房とともに家宣を補佐。正徳の冶を開き、教学と政治の一致につとめた。武家諸法度改訂、貨幣改鋳、船舶互市新令の施行、儀式典礼の整備などはそのおもな事蹟である。享保元年引退。学者として特にすぐれた合理性と実証を重んじ、朱子学的思考と実践の結合した合理主義者であり、日本古代史に合理的解釈を試み、外国事情にも意を用いた。主著、藩幹譜、読史余論、西洋紀聞、折たく柴の記など。以上、東京都教育委員会掲示より。高徳寺は、落合駅から早稲田通りを西に向かったお寺が集まるエリア。通りからすぐに境内。正面に簡素な本堂が建っています。真宗の寺院で、山号が新居山、院号は法喜院です。きれいに整った境内には新しいご本堂が有りました。江戸時代の朱子学者・新井白石のお墓があることでも知られています。元々は、近江佐々木氏一族出身の了智法印なる人物が信州栗原に建立した正行寺が始まりで、新井白石が高徳寺に寄食したこともあります。寺で行われる告別式などに使用される建物にも、新井白石記念ホールという名がついています。墓は親族の方と思われる墓と並んで墓地の中央あたりにあります。中野区というと、レトロな街並みが魅力的で日本的な和風建築が素晴らしい寺院、神社も多いですが、境妙寺もそんな一つです。高徳寺は、JR総武線東中野駅から北西に約20分強の場所にあります。隣接には寺が並んでいます。高徳寺は、真宗大谷派のお寺です。13世紀に信州で創建されてから関東を移転しています。その後今の中野に移築されています。この寺には新井白石が2度も寄食していることから今はこの寺に眠っています。静かな境内です。


宝仙寺

中野区の名所、宝仙寺は、東京都中野区中央2-33-3にあります。宝仙寺は、都営大江戸線・東中野駅から直線約940m、徒歩約22分、車で約4分。東京メトロ丸ノ内分岐線・中野新橋駅から直線約900m、徒歩約21分、車で約4分。東京メトロ丸ノ内線・東京メトロ丸ノ内分岐線、中野坂上駅から直線約320m、徒歩約7分、車で約1分。また、都営大江戸線・中野坂上駅から直線約310m、徒歩で約7分、車で約1分のところにあります。宝仙寺は、1000年近くの歴史があり、本尊の不動明王は奈良東大寺の開山で有名な良弁の作と伝えられています。また山門には、忿怒形相の阿吽の仁王像があります。平成26年2月、中野区認定観光資源に認定されました。真言宗豊山派寺院の宝仙寺は、明王山聖無動院と号します。宝仙寺は、寛治年間、源義家によって創建されたと伝えられ、江戸時代には数多くの末寺を擁した中本寺格の寺院でした。境内には、丸井元会長の青井忠治氏により建立寄贈された宝仙寺大師堂があり、赤塚不二夫さんなど著名人の大型葬に利用されています。御府内88ヶ所霊場12番札所、関東36不動15番不動です。宝仙寺は、寛治年間、大宮八幡神社の別当寺として、源義家が創建したと伝えられています。天正19年、寺領15石の御朱印を拝領、慶安元年には23石6斗へ加増されています。江戸時代には末寺32ヶ寺、門徒26ヶ寺を擁した中本寺格の寺院でした。境内掲示による、武州多摩郡中野明王山聖無動院宝仙寺縁起によると、宝仙寺は、平安後期の寛治年間、源義家によって創建されました。このとき義家は、奥州・後三年の役を平定して凱旋帰京の途中にあり、陣中に護持していた不動明王像を安置するための一寺を建立したのでした。その地は、父頼義がかつて祭祀した八幡社のある阿佐ヶ谷の地で、この造寺竣成の時、地主稲荷の神が出現して義家に一顆の珠を与え、この珠は希世之珍、宝中之仙である。是を以って鎮となさば、則ち武運長久、法燈永く明かならん。と言い終わるや、白狐となって去りました。これにより山号を明王山、寺号を宝仙寺と号したと伝えられています。以上、境内掲示より。新編武蔵風土記稿による宝仙寺の縁起によると、境内1萬5052坪。往還の内小名中宿下宿の境にあり。明王山聖不動院と号す。新義真言宗、無本寺にて天正19年御朱印15石を賜ひ、慶安元年8月17日8石6斗余を増して、都合23石6斗余の寺領となれり。傳へ云、昔堀河院の御宇寛治年中鎮守府将軍源義家奥州の夷賊を征伐し、御利運ありしかば凱陣の後、当寺を建立し給ふと云。宝仙寺所蔵の文化財の宝仙寺の石臼塚について、中野区と新宿区との間を流れる神田川には江戸時代から水車が設けられて、そば粉を挽くことに使われていました。そばの一大消費地となった江戸、東京に向けて玄そばが全国から中野に集められ、製粉の一大拠点となり、中野から東京中のそば店に供給されたため、中野そばとまで言われるようになりました。その後、機械化により使われなくなった石臼は、道端に放置され見向かれなくなっていました。それを見て当山、宝仙寺第50世住職富田敦純大僧正が、人の食のために貢献した石臼を大切に供養すべきであるとして、境内に「石臼塚」を立て供養しました。以上、中野区商店街連合会・中野法人会より。宝仙寺は、平安後期の寛治年間源義家によって創建された古い歴史のある寺で、中野坂上駅から5分くらいの場所にある少し大きなお寺です。昔は三重塔などもあって、賑やかな雰囲気でしたが、今は建て直した三重塔などがあり、静かなお寺です。入り口近くに、中野町役場跡の石碑があり、昔は、役場も兼ねていたといい、面白い歴史があるお寺です。大規模な社葬や、各界著名人の葬儀・告別式も多く執り行われることで知られるお寺で、御府内88所第12番、関東36不動第15番札所にもなっている霊場です。平安後期に源義家によって創建された、長い歴史を誇る古刹です。元々は阿佐ヶ谷の地に造られましたが、室町時代に現在の場所に移転されました。杉並区の大宮八幡宮の別当寺でもありました。江戸時代、この寺から沢山の優れた僧を出したそうで、幕府から厚い保護を受けてきました。中野区屈指の広大な敷地がそのことを物語っています。 立派な本堂だけでなく、三重塔も必見です。寛永寺、池上本門寺、芝増上寺、浅草寺、谷中天王寺と共に、江戸時代に建立された仏塔、江戸六塔の一つに指定されています。江戸六塔の内、現存する塔は4塔で3つが五重塔で、宝仙寺だけが三重塔です。宝仙寺の三重塔も東京大空襲で焼失しましたが、戦後、飛鳥様式で再建され、今に至っています。三重塔を除く、江戸の五重塔だけをピックアップした、江戸四塔というカテゴリーもあります。御本尊は不動明王像で鎌倉時代より秘仏となっています。山門以外は全て新しく見えるので古刹のイメージは薄いのですが、中野区歴史民俗資料館にも説明があり、事実だとわかります。境内に石碑があり、この石碑が境内の中の建物の中ではいちばん古めかしいです。境内は広くてさっぱりしています。余計なものがない感じです。車を停めるスペースもかなり広く安心です。中野坂上駅からも、近くアクセス抜群です。

出展:じゃらん・ホトカミ・猫の足あと・フォートラベル・トリップアドバイザー