小平市の水トラブルなら







「一現場・一担当制」 を採用しており、 同じ現場には、同じ担当者を派遣します

水の救急隊は、「一現場・一担当制」をとっております。そのため、もし再度の御依頼の際にも、大きな安心感を提供できます。

作業終了後も何かあったとき、すぐに 電話に出ます。決してお待たせしません

コールセンターは、つねにお待たせすることなく対応が可能です。

もちろんPL保険に加入しているので、万が一の事態にも保証

水道トラブル修理の際に、どのような不測の事態があっても、お客様のご自宅や設備を守ることが出来ます。

設置器具の無料保証も完備しています

新たに設置させていただいた器具・設備に関しましては、メーカーの定める保証に完全対応しております。

クーリングオフ制度にも準拠

万が一、御依頼と違う場合には、クーリングオフを適用することが可能です。





長年の安心と信頼で実績50万件

スピード対応に定評がございます!

24時間フリーダイヤル受付中です

小平市エリアなら、

水の救急隊が高品質な修理。



経験豊かなプロが大至急で駆け付け、あらゆる水まわりのトラブルを解決いたします!


キッチン・お風呂・トイレなど、

最高のスピードでトラブル対応!


水が出ない!止まらない!漏れてきた! 小平市



24時間365日年中無休で、営業土日祝日ももちろん、年末年始やお盆の時期のトラブルも対応が可能です。


あなたのお住まいの近隣にて待機している、技術力の高い水道局指定業者が、最短駆けつけ時間20分、最短修理時間45分で対応させていただき、その日の内に修理が終わります。


現金・クレジットカード・銀行振込をはじめ、多様な支払い方法に対応。さらに、出張費、見積り費、深夜早朝の割増費、キャンセル費は無料です。 小平でお困りの方は、ぜひ水の救急隊までお気軽にご連絡ください!



水の救急隊(水道修理プロ)小平市・担当者より

いつも、お世話になっています、水の救急隊・小平市の担当スタッフです。つねに水道修理プロたるもの、水資源に対しての留意を払っています。実はここ、小平市は石井神川の源流が存在しますが、過去はこの川以外では飲料水、生活用水を得ることはとても困難でした。江戸時代に玉川上水が開発されるまでは、なかなか人が住むことの難しい土地だったのです。水道インフラが確立するに伴い、急速な発展が続きました。いまでは、都心のベッドタウンとして東京都に無くてはならない場所に成長しています。津田塾大学があるなど、学問の町としても名のあるここ、小平にて、私ども水の救急隊・現場プロスタッフは、水まわりの器具、蛇口やキッチン、お風呂やトイレなど、どのような形状の水道関連設備に対しても、間違いのない修理施工をさせていただいております。トイレつまり、お風呂、パイプ水漏れなどの故障修理サービス需要が緊急で発生した時、われわれ水専門プロは、市民の皆様の生活を守ります。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 コールセンターが24時間対応しておりますので、水道トラブルの際はぜひ、ご利用ください。私ども水の救急隊、現場専門スタッフが水道・台所、お風呂やトイレなどの生活用水のお悩みを解決します。東京・小平の皆様に、今後も最高の水道環境を提供し続けます。ところで、これまでの小平市のみなさまの生活様式を一変させてしまった感のあるコロナ禍について、水の救急隊(水道修理プロ)小平市・担当者の私が個人的に頭を悩ませていることがあります。それは何かというと、コロナ禍以前に比べて水トラブルが増加したことです。水トラブルが増加した理由の一つとして、コロナ禍対策で蜜を避けるためなるべく外出しないことや、テレワークに仕事方法をシフトしたことなどによって、在宅で過ごす時間が増えたことがあります。そのため水道設備を利用する頻度が増え、それに伴って水トラブルも増えたのだと考えられます。そこで小平市のみなさまに特に気をつけていただきたいのが、「トイレの水がチョロチョロ流れる」というトラブルです。この「トイレの水が流れ続ける」という水トラブルですが、蛇口などの水道器具の水トラブルに比べて発見が困難なため、どちらかというと見逃されがちです。ところが、「トイレの水が流れ続ける」というトラブルは、水道料金を無駄に支払うことになりますし、限りある小平市の水資源の浪費にもなります。つまり、トイレ設備のトラブルの方が他の水道設備のトラブルよりも、お金についても、また自然環境についてもハイリスクだといえます。ですから、「トイレのトラブルを減らすことが小平市のみなさまの大切なライフラインである水資源の保護に繋がる」、という広い視野でお考えいただき、なるべく早く修理していただくことをお勧めします。それとまた、コロナウイルスが流行し始めた時期から、水トラブルの【修理工事費のトラブル】、特にトイレトラブルの【工事費に関するトラブル】が多発しています。この水トラブルの【工事費のトラブル】についてですが、水トラブルが発生して、運悪く水道局の指定を受けていない水道工事業者にトラブルの修理を依頼してしまった場合などに、【修理工事費トラブル】に発展するケースが多いようです。ちなみに、私ども水の救急隊のような、水道局から指定を受けた水道工事業者であれば、トラブルの状況を確認してから、お客様に具体的な水トラブルの修理方法と、工事費の見積金額を明示して、お客様のご了解をいただいてから修理作業を行うのが通常です。ところが、悪意ある水道工事業者(水道局の指定を受けていない)は、修理方法の説明や、工事費の見積金額を提示せずにいきなり修理作業を行い、やたらと高額な修理費を請求して、その場で支払を要求することが多いようです。また、【工事費に関するトラブル】が起きる時間帯としては昼よりも夜間の場合が多く、夜間にトラブルが発生した場合、それもアパートなどの共同住宅ですと、周りの住人の迷惑を考えてしまい、朝までそのまま放置しておく訳にもいかず、水道修理業者に言われるままに修理してしまう場合が多いようです。ちなみに、このような【修理費トラブル】に遭った人の中には、トイレの取り外し工事費が9万円、またトイレ修理費の総額が30万円などと、とんでもない金額を請求をされて、支払わされた人もいるそうです。ですので、仮に水トラブルが発生して修理依頼した場合に、「水トラブルの修理に来ました・・・」と言って修理の人が来たら、いくら深夜でせっぱ詰まった状況だとしても、工事前にその水道工事業者が行政の指定を受けている工事業者なのかどうかの確認を行う、また修理費の見積を工事の前に確実にもらうなどして、しっかりと業者の信頼性と安全性の確認を行ってから修理してもらうようにして下さい。そしてもし、それらの確認を行わずに修理してしまい、仮に30万円などといった高額な修理費を請求された場合は、たとえ支払えるお金があったとしてもその場での支払いは行わずに、日を改めて修理を行った水道工事会社に電話して修理費の値下げ交渉を行うようにして下さい。その場で請求された修理費を支払ってしまうと、後で返金してもらうのはかなり困難なようです。またこれに加えて、このような水トラブルの【修理工事費トラブル】とは別の、新型コロナウイルス絡みの新手の【水道管詐欺】が増加しています。ですので、これはもしかして悪質商法や詐欺かな、と疑われる場合は、警察の相談専用電話【#9110】に電話して下さい。全国どこからでも電話をかけた地域の警察本部などの相談窓口につながるはずです。



水の救急隊が東京・小平で喜ばれている理由


■予測できない「水のトラブル」に緊急対応いたします

われわれの日常生活において、水の無い暮らしは考えられません。

そのように大切な水の、重大なトラブルは急に発生することがあります。快適な生活を守るために、迅速に解決しなければなりません。
水の救急隊では、24時間年中無休のコールセンターが稼働しており、日中や夜間など時間帯に関係なく、あなたのお家の水トラブルに緊急対応いたします。

■小平ではすべての作業対応場所を確保

いきなりの水トラブルにお困りの、あらゆるお客様にサービスをご提供するために、水の救急隊は東京・小平市の全エリアにて作業を提供いたします。
家庭でのトイレ、キッチン、お風呂などの水漏れや詰まり、その他配管の故障などはもちろんのこと、店舗や会社の事業所など商業施設でも対応が可能です。

■お客様ごとに、丁寧なご提案

水の救急隊は、水回り関係の修理サービスにおいて、可能な限り、お客様のご希望にそった内容をご提案させていただきます。
いっぽう、緊急トラブル対応だけでなく、消耗品や部品交換のみのご依頼も承っておりますので、どのような些細なご希望・ご要望でも、お気軽にお申し付けください。

■作業内容・作業料金は事前に説明します

水の救急隊は作業後に追加料金が発生することはありません。
水回りの修理を行う前に必ず作業内容のご説明と見積書の提示を行っております。
作業完了後は、見積書に記載された料金のみいただいておりますのでご安心ください。

※追加作業をご希望される場合は料金が発生することもあります。
※対応エリア・現場状況により、事前にお客様にご確認したうえで調査・見積もりに費用をいただく場合がございます。



◇まずは必ず止水をしましょう!


水が止まらないとか、水漏れが止まらないなどの症状が出た際には、止水栓を閉めてから原因箇所と修理方法を探りましょう。

・止水栓は基本的に、各水道設備についています。

・また、水道メーター近くに元栓で止水することができます。

いったん水を止めて、落ち着いてからご相談ください。




サービス対応エリアは小平市内すべてです

それぞれにおいて、迅速な対応が可能です。

さらに詳細な地名を記載いたします。

天神町、津田町、小川町、美園町、学園東町、上水南町、上水本町、小川西町、御幸町、栄町、花小金井南町、仲町、大沼町、回田町、花小金井、上水新町、たかの台、中島町、学園西町、鈴木町、小川東町、喜平町


これらすべての場所で、水道局指定業者である東京小平の担当プロが、真心をもって、丁寧に作業させていただきます!



水の救急隊(水道修理プロ)小平市・担当者より Part2

どうも、再度の登場となります水の救急隊・東京都小平市の担当スタッフです。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。せっかくですので、さらに、地域の水道に関して、知識を提供させてください。この項では小平市のみなさまへの水回りのことや、水トラブルなどのことについて、私、小平市・担当スタッフから前項ではお伝えしきれなかった内容につきまして記してあります。これを読んでいただき、少しなりとも小平市のみなさまの水トラブルの際の一助となれば、望外の喜びとするところです。なにぶん、一担当者が思いついたまま、ペンの走るままにまかせて書いてございますので、読んでいて、内容にまとまりがなく、また長ったらしいなどと感じられるかも分かりませんが、どうぞよろしくご容赦いただきたいと存じます。

水トラブルの原因はある程度なら自分で調べられます。

最近、なんだか水道料金が急に高くなった、また、晴れた日でも地面が湿っている、などといったことはありませんか。 それは、もしかすると水漏れが原因なのかもしれません。そんなとき、ある程度はご自分でも、どこに水トラブルの原因があるのかの調査は可能です。基本的には、漏水か所が水道メーターよりも、お客様の水道設備ならば、支払いの義務が生じてしまいます。また、それとは逆に、自治体側の水道設備、つまり本管から水道メーターまでの個所であれば、小平市のほうで修繕することになりますので、当然、お客様に支払いの義務はありません。そこで実際に、水トラブル原因がお客様の水道設備なのか、それとも小平市の設備なのかをご確認いただく必要があります。まず前準備として、全部の蛇口が止まっているか確認します。つぎに水道メーターの場所を探します。一戸建住宅などは、玄関先場などに埋められている場合が多いです。また、水道メーターは水道局の指定で、以前は鉄製のふたが多かったのですが、最近のものは樹脂製で出来ているものが多く、またふたの色は青か白などになっています。では、一体何を見るかというと、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットがクルクル回っているかどうかを確認します。もし、パイロットが回っているということは、水を使用している状態だという意味です。つまり、蛇口を止めたのにパイロットが回っているということは、どこかから水が漏れているということを意味します。そして、パイロットが回ることで水道料金は加算されていくことになります。その結果として、もしパイロットが回っていたら、お客様側で漏水していると思われますので、出来るだけ早急に修理が必要となります。それとは反対に、もしパイロットが回っていなければ、お客様側での漏水はしていませんので、もし、水道メーターの近くが濡れているようでしたら、水道局のほうにご連絡願いただきたいと思います。このように水道メーターのパイロットの動作を確認することによって、ある程度でしたら水漏れ個所を特定することが出来ます。また、パイロットは、水の流量によって回転する速度が違います。たとえば、水道管の破断などで、水がダダ漏れの状態であれば、パイロットは物凄い速さで右回転しますし、少しだけ流しているときなどは、それなりにゆっくりと回転します。ですので普段からパイロットの動作状況をご確認いただくことで、ご自宅の水道の使用状況を把握することが可能です。

■もし、パイロットが回り続けていたらお気軽にご相談ください

ここまでが、水道メーターのパイロットを使っての水漏れの確認方法です。一般的には、パイロットの動作の確認などによって発見された水トラブルの場合は、蛇口の水漏れなどの水トラブルに比べると、水漏れが目視で確認できないことが多いので、緊急度とお困り度が低いように感じられて、あまり気にしなくていい水トラブルなのだと誤解されてしまう傾向にあり、どうしても見過ごされがちです。また、このような、水漏れが目で見えない水トラブルは、一度見過ごされてしまうと、ずっとそのまま放置されてしまうことが多いようです。ところが、このような水トラブルのほうが、蛇口の水漏れなどの発見しやすい水トラブルよりも、いろいろな面でハイリスクだといえます。たとえば、水道料金についてですと、少量でも水が漏れ続ける状態で修理を怠った場合、びっくりするくらい多額の水道料金を請求されることになります。また、漏水している場所が建物の壁の中だったりすると、シロアリやカビが発生する原因になったりもします。もしそうなると、水トラブルの修理をする時に、私たちのような水道修理業者以外に、工務店さんなどの修理依頼も必要となります。またそれに加えて、シロアリやカビなどの発生が原因で、建物の不動産としての価値が下落することにもなりかねません。ですので、もしパイロットが回り続けていたら、私たち、水の救急隊にお気軽にご相談ください。水の救急隊は、高い技術力と豊富な経験で、どんな水トラブルにも対応して、小平市の皆様のライフラインを守ります。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 365日、コールセンターが24時間対応しておりますので、水トラブルの際はぜひ、ご利用ください。

漏水分の水道料金については、小平市のほうに返金請求できる可能性があります。

基本的には、ご家庭の水道設備などは、お客さまの財産ですので、お客さまご自身で管理していただくものとなっています。ですので、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットが回っている場合は、水道メーターで計量した水量に漏水した分が含まれていても、その水量に対する水道料金等については、原則としてお客さまに支払いの義務が生じます。ところが、条件によっては減額してもらえる場合があります。また、よくある条件として、水漏れ個所が、発見が難しい場所にある、使用方法自体には問題がない、また水漏れの修理が終わっている、などといったような条件に当てはまると、小平市のほうに水道料金の漏水分について返金請求できる可能性があります。ちなみに、よくある条件というのは、自治体が決めているルールによって異なっていますので、注意が必要です。また、返金される料金についてですが、基本的には水漏れしていた分を全額を返金してもらえるということではなく、水漏れしていない時期の、2、3ヶ月間の水道使用量を参考にして、水量の50%~70%程度が減額されるケースが多いようです。また、発見が難しい場所にあることが条件、となっていることが多いようですので、蛇口、風呂、キッチン、トイレといった、日常生活で容易に発見出来る水漏れなどに対しては減額請求を受付けてもらえない場合が多いようです。それとですが、水漏れ修理が終わっているという条件につきましても、DIYで直すのはNGで、私たちのような、小平市から認定を受けた地域の指定工事店が修理する必要がある場合があります。加えて、自治体によって申請方法が違うようですので、まずは東京都小平市の水道局へどのような条件であれば減額請求ができるのか確認しておくと良いと思います。

家の外壁部には重量物を置かない方が賢明です。

家の外壁部に重い物を置かないことが、水のトラブルに何の関係があるの。と思うかたは多いはずですが、本当は関係オオアリなんです。実は、家の外壁部に重量物を置いたがために、そこに埋まっていた水道管の継ぎ手が外れて、そこから水がダダ漏れになった例が多く発生しているんです。普通、小平市などの行政で設置する水道管は道路の、1.2mくらいの深さ、このような埋設深度のことを、水道業者さんなんかは、土被り(ドカブリ)などと呼んでいますが、とにかく車両などがその上を通っても、水道管が破損したりしない深さにきちんと埋まっています。ところが、一般家庭の場合はそうではなくて、よくて地下30cmくらいの深さにしか埋まっていないんです。ちなみに、下の写真の例は小平市内で撮影されたものではありませんが、土被りは、せいぜい20cmくらいではないかと思われます。もし、そこに何百キロもある物を置いてしまうと、当然水道管の継ぎ手などはたまったものではありません。ある意味、外れて当たり前ともとれるわけで、水道管が家屋に引き込まれているところには、極力、重量物を置かないほうが賢明です。また、水道管の場合はガス管などと違って、家屋に引き込まれているところが分かりずらいことがまたやっかいとなります。もし仮に、これが原因で水モレしてしまうと、ダダ漏れの状態になりますので、小平市から請求される水道料金も、2か月分まとめて請求が来ますので、莫大な金額になります。これはあくまで、小平市で発生した事例ではありませんが、その事例では、そのお宅の人はそれまで全く水漏れしてる事実に気が付かずにいたそうなのですが、ある日水道の検針員さんに「今回はものすごく水道の流量が多いですよ」と指摘されて、調べてみたら2か月の水道料金が何と16万円で、愕然としたそうです。仕方なく、急ぎ業者さんに漏水箇所を直してもらって、水道料金のほうは行政と交渉して、申請書を出してなんとか3万円まで減免してもらったそうです。ちなみに、この事例では、庭のエクステリア工事で余ったブロックを何気なく家の外壁のところに山積みして置いたそうです。ですので今後、もし可能であれば水道工事をやってくれた水道屋さんを見つけて聞くなどして、水道管がどこに埋まっているか確認しておいた方がいいかもしれませんね。

水道局を名乗る人が来たらご用心。

これまでに、本管から水道メーターまでは東京都小平市の設備です、と何度も書いてきましたが、あえてまた書かせいただきてます。それはなぜかというと、ある日突然、水道局の人だと言って、「先ほど交換したメータの代金をいただきに来ました。」と代金を請求されて、お金を騙し取られた、といった事が、ここ小平市内で直接に聞いた話ではありませんが実際にあるからです。普通に考えた場合、本管から水道メーターまでは小平市の範疇だからメーターを交換しても工事代金は取られないはずだと思うはずなのですが、オレオレ詐欺と同様にいざその場になると、相手の言葉を信用してしまうようです。相手の人から「たしかに第一止水栓までは小平市の設備です、でも小平市ではお客様の敷地に設備は設置しないはずです。ですので、お宅の水道メーターが敷地内にあるということは、メーターはお客様の持ち物なんです」などと言われると、なるほどそーなんだと、コロリと騙されてしまうようです。基本的に、水道局では水道メータは、計量法の規定で8年に1回交換してくれて、水道メータの交換にお金がかかることはないとのことです。それと、何か特別なことがないかぎり、水道局の人が直接お客様宅を訪ねることは普通ないそうですので、もし、水道局を名乗る人が来たら、お宅の内には入れずに、その場で身分証明書を見せてもらう、または水道局に問い合わせてみるなどしてください。また、これは詐欺かな、と疑われる場合には、警察の相談専用電話【 #9110 】に電話して下さい。小平市地域の警察本部などの相談窓口につながると思います。とにかく、水道局を名乗る人が来たらくれぐれもご用心ください。

トイレの水が止まらないトラブルについて。

トイレの水のトラブルといえば、トイレットペーパーやそれ以外のものが詰まってしまう、「詰まり」を一番の原因として連想すると思います。ところが、意外なことにトイレで多い水のトラブルに「水が止まらない」という現象があります。この項では、トイレの水が止まらないと、どのようなことになるのかについて、説明いたします。さて、私たちが普段なに気なく使用している水洗トイレですが、思ったよりも複雑な構造で動作しています。また、このトイレの水が止まらない故障の原因となる場所のほとんどがトイレタンクの内部にあります。ですので、キッチンやお風呂の蛇口からの水が止まらないなどの、誰でも一目で分かるような水のトラブルなどとは違って、意外に発見されにくい故障だともいえます。ですが、わざわざトイレのタンクの中を覗いて、トイレがどんな様子で水を流す仕組みになっているのか、などと観察することは私たちのような仕事関係の人間以外、あまりないと思いますので、ここで少し、トイレの水が流れるシステムについて解説いたします。まず始めに、トイレのタンクの内部を写した下の解説写真をご覧ください、写真の右側に見えます白い棒は、アームと呼ばれ、水を流すときに回すトイレレバーと繋がっています。また、トイレレバーを手前に回すと、アームが手前側に回転して、アームに付いているクサリが、映りが不鮮明ですが、写真の下に見えます黒くて丸い部品を引き上げます。この部品はゴムフロートと呼ばれていて、トイレタンクの中にある水が便器に流れないように水を止める部品です。また、このゴムフロートが上に持ち上げられることにより、ゴムフロートと排水口の間に隙間ができて、タンクの中の水が便器に流れるようになっています。そして、トイレタンクの中に貯めてあった水が流れ終わるとゴムフロートが下がって、排水口にフタがされます。そうしてまた次の水を貯める、というのが一連の流れになっています。ちなみに、写真の左下に映っている棒状のものは、オーバーフロー管といって便器に繋がっています。このオーバーフロー管は、タンクの中の水がタンクから溢れ出ないようにオーバーフロー管の上部から便器へ排水するための役割をしています。ちなみに、写真のオーバーフロー管の上のほうに黒い横線が見えます。これは、タンクの中の標準水位を確認するためのマークですが、もし、このマークがないオーバーフロー管の場合は、タンク内部の水位は、オーバーフロー管の先端部よりも2~3センチ下が適切だと言われています。ちなみにですが、オーバーフロー管自体の故障の例はあまりありませんが、このオーバーフロー管が破損したりして故障すると、タンク内の水が便器に排水されてしまうため、修理が必要となります。

さてここで、トイレの水が止まらないトラブルの原因を見ていきたいと思いますが、何個かの原因が考えられますので、順番に解説いたします。ではまず、さきほどのゴムフロートですが、このゴムフロートが古くなると、歪んだり穴が開いたりして、排水口にピッタリと密着しなくなって、しっかりとフタができなくなります。もし、このような状態になってしまうと、いつもチョロチョロとした水が流れ続けて、水が止まらない状態が続いてしまいます。ですので、ゴムフロートの劣化が原因による水トラブルの場合は、ゴムフロートを新しいものに交換する必要があります。また、アームとゴムフロートを連動させるクサリが絡まっても、いつもゴムフロートが上がっている状態になって排水を続けますので、トラブルの原因となります。これに加えまして、ゴムフロートと排水口の間に何か異物が挟まってしまうと、排水口にしっかりとフタができず、排水し続けてしまいますのでこちらも水が止まらない水トラブルの原因になります。次に、下の写真の右側に映っている白い球状のものは「浮き球」と呼ばれるもので、文字通り、「浮きこ」の役割をしていて、写真でもお分かりいただけると思いますが、ピストンバルブやボールタップと呼ばれる、水道からタンク内への給水をコントロールする役目の部品と、指示棒を介して繋がっています。また、これらの部品はお互いに連携して、ひとつの役割を果します。そして、この浮き玉の位置によって、ピストンバルブが開いたり締まったりして、それと同時にボールタップが連動します。ですので、浮き球が古くなり破れて、中に水が入ってしまうと、水位の変化をうまく伝えられなくなって、水が止まらなくなります。また、ボールタップが故障すると、これによってもトイレの水が止まらない状態になるため、ボールタップ自体を交換するなどの修理が必要です。

トイレの水が止まらないトラブルについて、もう少し掘り下げてみます。

これまで、普段なかなか目にすることの少ないトイレのメカニズムについて解説しましたが、想像していた以上に故障に繋がる部品が多いように感じたかと思います。さて、このトイレの水が止まらないトラブルですが、水トラブルの場所がトイレということで、いつもチョロチョロとした水が流れ続けていても、どちらかというと見過ごされがちで、あまり気にかけられないため、修理されずそのまま水が流れ続ける状態になっている。また、もし気がついたとしても、デパートやスーパーなどのトイレのように、消臭の目的で、いつも水が流れるタイプのハイテクトイレと勘違いされて、水が流れ続けているのに、故障していることに気ずかれずに、修理されずにそのまま使われていることも多いようです。では水が止まらないトラブルが修理されずにそのまま放置されると、どのようなことになるのかというと、水道メーターのパイロットがクルクル回っている、いわゆる、水道料金がずっと加算されていくことになります。ちなみに、漏水した分の水道料金の減免につきましては、本サイトにて既に一度解説してありますが、大変重要なことですので、再度記載しますが、漏水した分の水道料金はこちら、小平市でしたら、小平市のほうから二か月に一度、水道料金の請求が来ると思います。そして、小平市が定めた水道料金の減免条件に適合すれば、漏水した分の水道料金は、小平市のほうに返金請求出来ることになっています。ですが、多くの自治体の定めるところでは、第一止水栓などの自治体の管理する水道設備よりも下部に漏水点があった場合には、その漏水点が地中部分だと、料金の減免条件に適合していても、漏水点が地上部分だと適合外だと規定されているところが多いようです。それとまた、漏水点の修理につきましても、たとえばこちら、小平市でしたら、水の救急隊のような、小平市の水道局からの指定を受けた水道工事業者によって、修理工事が行われると規定されていて、それが仮に、お客様などの行政からの指定を受けた水道工事業者以外の人が修理した場合には、水道料金の減免の条件から外れてしまうとされる場合が多いです。加えて、水道料金の減免申請につきましても、私たちのような、小平市水道局からの指定を受けている水道工事業者が、お客様に代行して通常は減免申請を行っています。ですので、私たちの方にお聞きいただければ、水道料金の減免申請に関しての、おおよその事はご説明出来ると思います。しかしながら、もしも漏水点の場所が壁の中だとしたら申請は可能か、とか、どのくらいの期間までだったら逆のぼって申請が出来るのか、あるいは、修理してから何か月以内なら申請可能か、などといった極めて詳細なことにつきましては、水の救急隊(水道修理プロ)小平市の担当者の私どもとはいえど、即答は困難かと存じます。ですので、もしも水道料金の減免申請にご興味をお持ちの方は、一度、小平市の水道局の方にお問合せいただいたくことをお薦めします。ちなみに、私が体験したトイレの水が止まらない水トラブルの案件をご紹介しますと、この件はここ小平市のお客様ではなかったのですが、「水道の使用量がここしばらく、以前よりもかなり多いので調べてみたほうがいいですよ」と、水道の検針員さんから言われたのがきっかけで、ご連絡いただいてのご訪問でした。ご訪問して早速、水道メーターのパイロットを確認したところ、確かにクルクルと回っています。そこでお客様に漏水の心あたりをお聞きしたところ、まったく心あたりはないとのことでしたが、あちらこちらと漏水点の探索を行いました。ちなみに、このように漏水点が不明なときに、私たちは聴診棒と呼ばれる特殊な棒状の器具を使って調べます。この聴診棒ですが、ステサスコウプなどとも呼ばれていますが、私たちが使うものとはタイプは違うものですが、自動車修理工場などで、エンジンやモーターなどの回転機器などを点検するときにも使用されています。修理工場などでは、棒の片方を耳に当てて、もう片方を点検箇所に当てて、その振動などで機器の音を聞き分けて、異常の有無を診断します。また、私たちが水道の漏水点を探すときは、下のイメージ図のように、片方を耳に当て、そしてもう片方を蛇口などの水道設備に当てて、じっとその音を聞いて調べます。ちなみに、最近はこの聴診棒もなかり改良されていて、お医者さんが使う聴診器と、聴診棒を合体させたような作りになっているものもあります。たしかにこのタイプだと両方の耳で調査できて、片方の耳で聞いて調査するタイプのものより、周囲の雑音を拾ったりすることもないので、調査に集中できていいと思いますね。

さて、この時もいつも通りに聴診棒で漏水点での探索調査を行いましたが、なかなか漏水点を特定出来ずにいました。そこで再度、水の流れを確認するため今度は、下水口で流れを見てみたのですが、やはり少しずつですが、水の流れが確認できました。また、そこのお宅はかなり大きい建物で、そのうえ聴診棒で調べても、経験上、水道管などから水が漏水している感覚というか、手ごたえがありませんでしたので、あえてお客様に「いま見させていただいた場所のほかに、二階とかに蛇口などの水道設備はありませんか」とお聞きしたところ、「そういえば、今はあまり使っていないんですけど、二階にトイレがもう一つあります」、という一言で、早速新たに見つかった二階のトイレを見せていただいたところ、案の定、原因が見つかり、トイレのボールタップを交換修理して、すべてが解決しました。そして修理作業が終わり、それからしばらくして、例のお客様から連絡が入りました。なんでも、トイレの修理をする前と、修理した後の水道料金を比べてみたら、一万円くらいの差があって、修理していただいて、本当によかった、助かりました。今後は注意しますね。」といったお礼のお電話でした。このように、トイレの水が止まらない水トラブルは、他の「詰まり」などのトラブルと違って、お客さまが生活にそれほど困らない、どちらかというと、あまり目立たないトラブルです。ですが、今回の事例のように、もし修理しないでおくと、後で小平市のほうから高額の水道料金の請求が来ることになります。ですので、トイレだから、まあいいかなどと思ったりせずに、発見したら出来るだけ早く修理していただくことをお薦めいたします。

【おもな水まわりトラブル&原因箇所】

■給水部分(蛇口)のよくある水トラブルと原因・小平市

(1)水が止まらない
(2)水が出ない
(3)部品の隙間から水漏れしている
(4)がたついている・異音がする

蛇口トラブルはパーツの経年劣化によって固定部分が摩耗してしまうことが原因となっているケースが多くあります。


■排水部分の水トラブル、東京・小平市のよくあるトラブルと原因
(1)水の流れが悪い
(2)排水枡が溢れてしまった
(3)逆流を起こしている


排水管は水だけを捨てる管になりますので、ゴミを流さないようなパイプの構造をしています。そのため、水溶性以外のゴミはパイプの内部に残り、徐々に詰まってしまうのです。


【設備別のトラブル】

■小平市 トイレの水トラブルと対処法

トイレは日常的に使いますので、トラブルが起こった時はすぐに修理しなければいけません。

■小平市・東京 キッチンの水トラブル

日ごろから使用頻度の高いキッチン(台所)は使用頻度が高い分、部品の摩耗による劣化も起きやすい傾向にあります。

■小平市 お風呂場のトラブル

お風呂場は一度に大量のお湯を使用することから排水詰まりが起きやすい場所となります。また、お湯と一緒に発生する水蒸気によって水道設備がさび付いてしまい、部品交換の需要が多いのも特徴です。

■東京都・小平で洗面所の水トラブル

洗面所のトラブルは排水管に物を落としてしまうことによって、詰まりや逆流が起きやすい場所です。洗面所に多くある綿棒や洗顔時に外したアクセサリーがS字パイプの間に詰まってしまいます。また、洗面所の排水管はトイレやお風呂場と異なり、細い管が使われているため、詰まりに対する耐性が低いのも特徴です。

小平市を管轄する水道事務所はこちらです、ご参考のために記載いたします。


【事業所名】 東京都水道局小平サービスステーション
【所在地】   〒187-0002 東京都小平市花小金井1丁目6−20




水の救急隊は、東京都小平市の全域にて水道・トイレなど、水まわりの故障トラブルや詰まりなどにスピード対応いたします!

小平市のおもな駅一覧

これら駅の近隣にお住いの皆様は、とくに迅速な対応が可能です。


西武鉄道・新宿線
花小金井駅、小平駅

西武鉄道・多摩湖線
一橋学園駅、青梅街道駅

西武鉄道・国分寺線
鷹の台駅、小川駅

西武鉄道・拝島線
小平駅、小川駅

JR武蔵野線
新小平駅


【観光はもちろんのこと、もしもの時の、集合場所にも。小平市周辺の名所旧跡へGO。】



日枝神社

東京都小平市の名所、日枝神社は、小平市小川町1-303にあります。日枝神社は、西武国分寺線・西武拝島線、小川駅から直線約1.82km、徒歩約43分、車で約9分。西武国分寺線・鷹の台駅から直線約1.71km、徒歩約41分、車で約8分。また、西武拝島線・東大和市駅から直線約990m、徒歩で約23分、車で約4分のところにあります。小川日枝神社は、小平市小川町にある神社です。小川日枝神社は、神官山口求馬が東京赤坂日枝神社の分霊を勧請して万治元年に創建、宝暦5年当地へ遷座したといいます。小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による小川日枝神社の由緒によると、日枝神社は、江戸麹町の日枝神社の分祀として、山王宮の神主山口大和守求馬が小川村の開発者、小川九郎兵衛と協力して、万治元年、現在の地より100メートルほど西に日吉山王社としてまつったものです。神明宮とともに、山王さまの呼名で、一村の鎮守として村人の崇敬の社でした。宝暦元年の台風により神殿が大破したので、同5年に現在の場所に再度再建しました。以来村中でまつる神社なので、村民一同が申し合わせて、万延元年から昭和の初期まで、毎年4月8日に、神楽などの神事奉納が行われていました。明治元年9月に、日吉山王宮を日枝神社と改称しました。現在の社殿は、昭和27年11月に建立されたものです。以上、小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より。日枝神社は、東大和市駅から徒歩で15分くらいで着く神社です。落ち着いていてとてもいい空気感の神社です。日枝神社は、江戸三大祭の一つで、山王祭が行われる大きい神社で、東京10社の一つ、主祭神は大山咋神です。元々は江戸城の鎮守として江戸城内の紅葉山にあり、その後江戸城外に移動しました。火災により社殿が焼失し、4代将軍家綱の時に、現在の江戸城から見て裏鬼門に位置する地に遷座します。昭和20年の東京大空襲で再び社殿が焼失しますが、現在は再建されています。日枝神社と言えば山王鳥居です。表参道と裏参道の山王鳥居がありますが、外堀通りと言う大通りに面する場所にある、裏参道口の山王鳥居の巨大さは凄いです。 扁額も凄いですが、とにかく都会の中の大通り沿いにあっても目立つ大きな鳥居です。また、日枝神社は、縁結び、恋愛成就、仕事運、出世運の上昇、商売繁盛などのご利益があるとされてます。あと日枝神社は、神猿でも有名です。ここでは狛犬の代わりに神猿像が社殿の両側にあります。大混雑の社殿付近から一度外に出ると、境内末社の山王稲荷神社、猿田彦神社などがあります。日枝神社は、東京赤坂日枝神社の分祠として、地元の方々により大切にされています。敷地内はとても広く、まるで公園のようです。ビル群のなかにあるので、大都会の中で違う世界に入り込んだような気持ちになれます。空気も違う感じです。お参りをした後に階下を見るとなんともいえない気持ちになります。高台にありますが、エスカレーター完備で、体の不自由な方にでも、簡単に行けます。


小平神明宮

小平神明宮も小平市の観光名所の一つです。小平神明宮は、東京都小平市小川町1丁目2573にあります。小平神明宮は、西武国分寺線・鷹の台駅から直線約1.52km、徒歩約36分、車で約7分。西武国分寺線・西武拝島線、小川駅から直線約1.42km、徒歩約34分、車で約7分。また、西武拝島線・東大和市駅から直線約1.33km、徒歩で約31分、車で約6分のところにあります。小平神明宮は、小平市小川町にあります。小平神明宮は、小川村の開拓願が出された明暦2年に神明宮の勧請を発願、5年後の寛文元年に社殿を造営、小川村の総氏神としたといいます。天和元年、当地へ遷座、明治6年に村社に列格、明治17年郷社に列格、明治42年天神社を合祀したといいます。北多摩神社誌による小平神明宮の由緒によると、この村の開発名主小川九郎兵衛が、明暦2年開拓を志し、同時に神明宮境内5000坪を社地として総農民とともに創祀を奉願し翌3年より開拓に着手しました。入村農民も増加しその事業も進んだ5年後、寛文元辛丑年9月、西多摩郡殿ヶ谷村の延喜式内社、阿豆佐味天神社神主宮崎主馬と協力して、岸村新名ヶ谷の山上に鎮座してあった産土神を現在の北375m、伊豆殿堀の南高台に社殿を建立してこの村の守護神として勧請斎祀しました。御鎮座より20年後の天和元辛酉年9月に現在地に遷座されました。今の本殿は、江戸時代の建築で唯一神明造、拝殿は文政年間の造営。明治6年12月に村社に定められ、明治17年2月17日郷社に列格、明治42年4月2日天神社を合祀、相殿三柱はその祭神です。明治35年9月御鎮座300年記念事業として神楽殿式場を建設、昭和38年11月、神明幼稚園を設置、昭和49年9月、第60回御遷宮を記念して当社社殿改築に対し、神宮より外玉南門の御用材の譲与を受けました。以上、北多摩神社誌より。境内掲示による小平神明宮の由緒によると、明暦2年、小川村の開拓願と共に神明宮の勧請を発願。5年後の寛文元年、崎主馬、名主・総農民の協力を得て社殿を造営、小川村の総氏神としました。今日12社15座の神々を祀ります。御主神は大日孁貴尊と申し上げ伊勢神宮の内宮と同一神で、広く古来より「神明さま」と親しく呼ばれております。以上、境内掲示より。小平神明宮は、読み方は「こだいらしんめいぐう」です。小平では「神明さん」と呼ばれて親しまれている神社です。駅から離れていますが、車は10台位停められそうです。駐輪場もあります。時間が合えば、神社前の通りを東西に走っている西武バスか都営バスを使うのが便利です。青梅街道を東大和方面に行くと進行方向右手に参道が見えます。数十メートル進むと幼稚園があり、その奥に本殿が現れます。とても厳かな感じがして、すがすがしくお参りできます。小平神明宮は、江戸時代、この地域が治水に苦しみながらも開拓されていった頃に勘勧された神社です。主祭神は天照皇大神を祀っています。参道のケヤキも市指定の保護樹木に指定されていて大きくて立派です。参道脇と、拝殿、その東西に社が一つづつあります。大きめの社は計4社なので、一時間あれば参拝出来ます。御朱印は社務所でいただけます。入り口の戦没者碑の横に、爆弾が置かれてありびっくりします。(ロープで囲ってあって触れません)。街道脇の鳥居から細長い参道を経ると、木々に覆われた本殿ががっしりと鎮座しています。周りに比べてより静かな落ち着いたところです。深い緑に囲まれた境内には、立派なお神輿を納めた倉庫や奉納された絵馬などがあり、由緒ある神社であることを感じます。


武蔵野神社

東京都小平市の名所、武蔵野神社は、小平市花小金井5-461にあります。また、武蔵野神社は、西武多摩湖線・一橋学園駅から直線約2.49km、徒歩約59分、車で約12分。西武新宿線・西武拝島線・小平駅から直線約1.61km、徒歩約38分、車で約8分。また、西武新宿線・花小金井駅から直線約950m、徒歩で約22分、車で約4分のところにあります。武蔵野神社は、小平市花小金井にある神社です。武蔵野神社は、北野中新田の開発が一段落した享保9年に、上谷保村から毘沙門天を村の鎮守として遷宮したといいます。明治維新の際、末社の猿田彦大神を村の鎮守として祭祀、武蔵野神社と改号、明治41年諏訪神社を合祀したといいます。新編武蔵風土記稿による武蔵野神社の由緒によると、武蔵野神社は、村の中央青梅街道の北にあり。上屋3間に6間南向、内に5尺4方の祠を置。拝殿は造りかけなり。神体立像にて長1尺2寸許、前に鳥居をたつ。例祭9月3日、村内円成院持。以上、新編武蔵風土記稿より。北多摩神社誌による武蔵野神社の由緒によると、武蔵野神社は、享保7年、谷保村の野中大堅と同族の矢沢藤八らは、武蔵野新田開発願を提出して、全開墾地を12等分して、その1つを社地と寺地とすることを決め、享保9年9月3日、谷保村から毘沙門天を遷座し、村の鎮守として円成院が管理していました。明治維新の際、分離独立して末社に祀ってあった猿田彦大神を村の鎮守として祭祀し、社号を武蔵野神社と唱えました。明治41年、諏訪神社を合祀し、昭和26年9月23日、郷土の護国神を配祀します。以上、北多摩神社誌より。小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示による武蔵野神社の由緒によると、武蔵野神社の起源は、野中新田開発のときにさかのぼる。上谷保村の円成院住職大堅と矢沢藤八らは、新田開発に当たり全開墾地を12等分し、その1つを社地と寺地にすることに決めました。そして、新田開発の基礎ができた享保9年9月3日、上谷保村から毘沙門天を村の鎮守として野中新田に遷宮したのです。以来、円成院が管理していましたが、明治維新の際に分離独立し、末社として祭ってあった猿田彦大神を村鎮守に祭祀して、社号を「武蔵野神社」としました。昭和37年9月から11月にわたり、社殿の屋根葺き替えその他の大改修が行われています。以上、小平市教育委員会・小平郷土研究会掲示より。武蔵野神社は、花小金井駅から徒歩15分。青梅街道沿いに鎮座しています。1724年創建。拝殿左には氏子が製作・奉納した主祭神である、猿田彦大神の像が立っています。拝殿の中には「諏訪神社」と「御霊神社」の扁額が掛けられているので、この2社も合祀されているのだと考えられます。広くて立派な神社です。1枚の岩に彫った七福神と猿田彦大神像がめずらしく、小平市内では熊野宮、小平神明宮と並んで由緒ある神社だと思います。


熊野宮

東京都小平市仲町361にあります熊野宮は、小平駅から徒歩12分。「熊野宮前」バス停から2分くらいのところにあります。熊野宮は、武蔵国多摩郡殿ケ谷村の阿豆佐味天神社の摂社として、同郡の岸村に鎮座したものです。市指定の史跡「武蔵野の一本榎跡」があり、側に樹齢90年ほどの榎の孫木が植えられています。小平熊野宮は、小平市仲町にあります。小平熊野宮は、阿豆佐味天神社の摂社を当地一本榎の地に遷座して宝永元年に創建、明治6年村社に列格、明治42年猿田彦神を合祀したといいます。新編武蔵風土記稿による小平熊野宮の由緒によると、熊野社、除地、一段餘、小名一本榎にあり、社1間に2間、拝殿3間に2間乾向、前に木の鳥居を立、當村の鎮守にて例祭9月19日、神主宮崎若狭、社の後に榎の大樹一株あり、この村開發の以前は茫々たる原野なれば、近村の民等秣かりに出たるも、この木を標となして往来をなせしよし、さればこの邊の小名を一本榎と云へり、いつしかこの木もかれて、後亦榎を植継たれば今は小木なりと云。以上、新編武蔵風土記稿より。北多摩神社誌による小平熊野宮の由緒によると、熊野宮は、宝永元年9月の創立で、西多摩郡殿ヶ谷村郷社阿豆佐味天神社の攝社として、岸村字岸組の地に鎮座してありましたが、宮崎主馬氏当村小川新田を開拓するに当り、鎮守の社と定め、一本榎のもとへ遷祀したものです。主馬氏の詠める、繁り合い昼なおくらき一本の榎の葉末見るもとうとし しかしこの榎樹は寛保甲申と云う年に至って、枯木となり、由って是を祭祀して一本榎神社と称しました。現存する処の榎樹はその孫木です。また相殿の座す、猿田彦神は享保の頃近郷境界に紛擾したことがあり、当時、主馬氏この紛擾を和し、永く境界保全のため庭内社として、享保15年当村の境301番地に奉斎してありましたが、明治40年2月28日合祀したものです。明治6年、村社に列せられました。以上、北多摩神社誌より。境内掲示による小平熊野宮の由緒によると、武蔵野乃一本榎熊野宮、当宮は、武蔵国多摩郡殿ヶ谷村鎮座の延喜式内社・阿豆佐味天神社の摂社として、同郡岸村字岸組に産土神と奉斎されていた社を、小川村の開拓に着手した小川九郎兵衛と、阿豆佐味天神社の神主で当宮社家の始祖である宮崎主馬が、寛文年間に小川村名主の屋敷内に遷祀し、その後小川新田の開拓を行うのに先立って、その守護神として宮崎主馬が宝永元年(一七〇四)に榎の大樹のもとに祠を建立し遷座したのが縁起です。以来この地域の鎮守の社として崇敬を集め、平成16年に御鎮座三百年を迎えました。以上、境内掲示より。熊野宮は、青梅街道沿いにあるこじんまりした神社です。境内には、拝殿の正面に夫婦ケヤキという2本のケヤキの大木があります。青梅街道より中に入ると熊野宮神社はあります。青梅街道の信号の所より大きな鳥居かあり、信号機にも表示されているので、すぐに分かります。武蔵野の荒地だった頃、鎌倉街道と青梅街道がこの辺りを通っていましたが、宿場から遠く、榎の側で旅人が休んだ所が神社になったそうです。宮司も常駐して御朱印も書いていただけます。熊野宮は、元は式内社・阿豆佐味天神社の摂社で、岸村に鎮座していました。岸村の小川九郎兵衛が小川村を開発した際、小川村の名主屋敷に遷祀され、宝永元年その子孫の小川弥市が小川新田を開発するに先立ち、その守護神として、武蔵野の一本榎と呼ばれていた榎の大木の下に遷座・奉斎されたと伝えられています。地元の方々は、こちらで七五三をする事が多いです。


小川寺

小川寺も東京都小平市の観光名所の一つです。小川寺は、小平市小川町1丁目733にあります。また、小川寺は、西武国分寺線・西武拝島線・小川駅から直線約1.49km、徒歩約35分、車で約7分。西武拝島線・東大和市駅から直線約1.38km、徒歩約33分、車で約6分。また、西武国分寺線・鷹の台駅から直線約1.37km、徒歩で約32分、車で約6分のところにあります。小川寺は、医王山と称し、境内に本堂、鐘楼などを配します。開拓の中心となった小川九郎兵衛の墓があります。臨済宗円覚寺派寺院の小川寺は、醫王山と号します。小川寺は、小川九郎兵衛が開基となり、碩林を開山として創建したといいます。新編武蔵風土記稿による小川寺の縁起によると、小川寺、三町三畝、醫王山と號す、臨済派、江戸市ヶ谷月桂寺の末、開山碩林貞享三年正月示寂、開基はこの村の里正小川九郎兵衛、明暦年中の起立なりしゆへに、小川をもて寺號となせり、客殿13間に7間東向、本尊薬師を置り、表門を入て左の方に鐘楼あれども、新鐘を掛たれば銘にのせず。以上、新編武蔵風土記稿より。小川寺は、西武拝島線東大和駅から青梅街道に向かっていくと、大きな山門があります。立派なのですが、老朽化により再建されたものだそうです。小川村の開墾とともに建立されたお寺さんです。ここの墓地には、その開墾のリーダーで、地名ともなっている小川九郎兵衛さんのお墓があります。本堂近くから墓地に入ってすぐのところにあります。山門を入って、その先の修行門との間の左右に六地蔵がありますが、右側の方は古く、嘉永5年のものです。修行門を通ると右手に本堂があります。お参りが終わって本堂の左手に廻ると、裏庭に入れます。鬼百合がたくさん咲いていますが、一画にたくさんの石像があります。逃げ水の里・三十三観音とのことです。青梅街道沿いにありますので交通量も多いですが、境内はとてもしーんとしていて静かです。普段あまり参拝者がいないのでゆっくり参拝できます。山門が、このあたりのお寺の中ではかなり立派で大きく、見ごたえ充分です。美しい庭園を持つ境内には、春には、様々な春を知らせる花が咲いていて、きれいに整えられた庭木が癒やしを与えてくれます。本堂はずっしりと立派なつくりですが、見事なのはやはり山門です。青梅街道の通り沿いからも見え、思わず立ち止まってしまう方も多いと思います。この付近の土地を開拓するにあたり、開山されたお寺なのだそうですが、僧ではなく、村の開拓者が建てたお寺というのはとても珍しいと思います。


大國魂神社

東京都府中市の名所、大國魂神社は、府中市宮町3-1にあります。大國魂神社は、京王競馬場線・府中競馬正門前駅から直線約530m、徒歩約12分、車で約2分。京王線・府中駅から直線約460m、徒歩約11分、車で約2分。また、JR武蔵野線・JR南武線・府中本町駅から直線約320m、徒歩で約7分、車で約1分のところにあります。大國魂神社は、約1900年の歴史をもつと伝えられている古社です。武蔵国の護り神として大國魂大神を祀った社です。8基の神輿と日本一の大太鼓が繰り出す例大祭は、「くらやみ祭」とも呼ばれ、毎年多くの人でにぎわいます。大国魂神社は府中市宮町にある神社です。大国魂神社は、景行天皇41年5月5日、大神の託宣によって創立、大化の改新後には国司が国内諸社の奉幣巡拝等の便により国内の諸神を配祀したので「武蔵惣社」と称し、又両側に国内著明の神社6社を奉祀、6所明神、6所宮と称したといいます。江戸時代には社領500石の御朱印状を拝領、明治維新に伴い準勅祭社となり、明治7年県社に、明治18年に官幣小社に列格していました。大国魂神社・府中市観光協会掲示による大国魂神社の由緒によると、武蔵惣社大国魂神社、当神社は、大国魂神を武蔵の国魂と仰いで、鎮祭し祀った神社である。第12代景行天皇41年5月5日、大神の託宣によって創立せられ、武蔵国造が代々奉仕して祭務を司った。其の後孝徳天皇の御代に至り、大化の改新により武蔵野国府がこの地に置かれて、当社を国衙の斎場として、国司が祭祀を奉仕して国内の祭政を司った。国司が国内諸社の奉幣巡拝等の便により国内の諸神を配祀したので、武蔵惣社と称し、又両側に国内著明の神社六社を奉祀したので、六所明神、六所宮とも称された。鎌倉幕府以後徳川幕府に至るまで、代々幕府の崇敬厚く、再三社殿を造営し、徳川幕府より社領500石を寄進せられた。明治18年より昭和21年、迄官幣小社に列せられ、其の後宗教法人と成る。以上、大国魂神社・府中市観光協会掲示より。新編武蔵風土記稿による大国魂神社の由緒によると、六所社社地、3町8段2畝10歩、甲州街道の南にあり、石の大鳥居を建つ、往還に臨めり、総社六所観やといへる額を掲ぐ、筆者細井廣澤なり、それより又78歩にして石鳥居あり、慶長年中宮の修造のよしを彫たる文字見えたり、今断折したれど分明なり、当社祭る所6神素盞嗚命、大己貴尊、布留太神、共に1殿、是を中殿とす、瓊瓊杵尊、伊弉册尊、大宮女命共に1殿、是を西殿とす、外に瀬織津比咩、天下春命、稲倉魂太神共に1殿、是を東殿とす、3殿合せて1社とす、是を本社と云、7間半に3間余、幣殿3間余に3間、拝殿8間余に3間半、其中に就て、左右を分ちて唱へをなす、左を般若席といひ、右を神楽席といふ、4方に瑞離を繽らせり、社傳に景行帝の御宇大己貴尊、小川郷小野里に降臨ありしを、里人私に祠を立て祀れり、成務天皇の朝に及て、兄多毛比尊国造を賜て此地に来り、国府を開かれし時、大己貴尊に素盞嗚尊等の五神を配して、始て宮社を建て祭れり、これを6所宮と称せりと、又社傳に総命けて大麻止乃豆天乃神といへりと云て、式内の神にあつるものあるは覚束なき説なり、今採用せず、東殿の3神は樹扉に印記して、一乃宮小野客来三所瀬織津比咩天下春命稲倉魂神とあり、一乃宮は即ち多西の一之宮村祭神天下春命なりと云ふ、小野は本宿村小野神社祭神瀬織津比咩なり、今なを2社各村に其祠宇あり、何の故ありて何れの世神坐を当社に移して、合殿に祭しや其来由を詳にせず、社傳粉々たりといへども顛末造かならざれば、亦敢て据用しがたし、おもふに当社は後世鎌倉将軍家の崇敬盛なるに従て、神威も日月に愈栄へ、彼2社は従て衰微に及びし故、総社の因を以てここに併せ遷し、別に1殿を添て合せて9神1社となせしものなるべし、故に樹扉に客来のよしを勅して、当社の舊主に別てるならん、客来の内稲倉魂いづれより遷座なりしといふこと詳かならず、或は云もと小野神社配祀の神なりとも、又自ら1社にして遷座の舊祠を失ひしものと、未其定説をきかず、当社後に本地佛を建て、釈迦聖観音毘沙門を中殿3神の本地とす、西殿は弥勒地蔵不動、東殿は薬師文殊11面観音なり、抑当社の古へを訪ぬるに、康平五年源将軍頼義、奥州安倍の貞任を追伐のため、東国へ下りし時、6月19日当社へ一宿して戦功を祈り、翌日彼地をさして發向す、果して軍勝利ありし故、凱旋の後社木干樹を植られしとぞ、今鳥居内両邊の大木是なりといへり、今に年々6月20日、天下太平の神事あるも、又其因みとかや治承の昔源頼朝兵を起し、分倍河原に於て、関東の軍勢をめし集めしきさみも、当社に参詣ありて神馬上詣矢を捧げしよし傳へたり、寿永元年8月11日、御臺所産に臨み、祈祷のため伊豆箱根を初め、近国の宮社に幣使を立られし時も、葛西三郎清重当社に至れり、社傳に文治2年宮祠造営を加へられしよしをいへり、按に「東鑑」文治2年6月29日の條に、二品神社佛寺興行の事、日来の恩顧、且は京都に申され、東海道に於ては守護人等に仰せ、其国の総社并に国分寺破壊及尼寺顛倒の事を注せらる、是全く修造を加へられしがためなりと見えたれば、是年当社も修造ありしこと社傳のごとくなるべし、又建久3年5月8日、法皇49日の佛事を修せられ、100僧供あり、其僧衆に6所宮2口と見ゆ、さればこの祠の社僧預りしことなるべし、其後寛喜4年2月拝殿破壊に因て修理の議あり、武藤左衛門尉資頼奉行すと云々、此等に据れば其頃将軍家の崇敬自らしるべし、上杉家関東に威を振ひし頃に至ても、代々武州の守護にてありし故にや、伊豆の国国清寺に当社を勧請せりといふ、ただし永禄4年上杉景虎当社へ参詣せしことものに出たり、是は崇敬の故にはあらずときこゆ、此時小田原を責んとの計策相違して、鎌倉を引拂ひ、上州へ帰る時、なをもいきをひをしめさんとて、この社参ありしなり、このきさみ北條家人中條出羽守等景虎が小荷駄奉行柿崎某を追くづし、荷物を悉く奪ひければ、景虎府中に逗留して民家を追捕し、兵糧をととのへて上州へと帰なん、御開国に及んでも当社を尊信せさせたまふ事浅からず、先規に任せて神領を附せらる、慶長15年、宮者及楼門鳥居諸末社以下倉庫等に至るまで、造営を加へらる、この時大久保石見守長安奉行せり、かの石見守奉納の銅燈籠今に存せり、元和3年東照宮の尊骸、日光山へ遷御の時、この地に1日御逗留あり、因て社地に神靈を崇祀したてまつる、翌4年御宮并に3重塔鼓楼等新宮を命ぜられ、且4月17日の祭奠を許容せらる、しかるに正保3年11月本町より出火して、社殿残らず燼となる。以上、新編武蔵風土記稿より。大國魂神社は、府中駅を南口に出て、伊勢丹とフォーリスを抜けたら真正面にあります。府中市の中心にあり、約1900年の歴史を持つ神社です。大鳥居から続く参道を歩いていると最初に見えてくる美しいヒノキ造りの「随神門」があり、木造でこれほど立派な門は珍しいそうです。境内は広くて多くの木々に囲まれており、自然のパワーを感じることもできます。府中駅を降りて徒歩で5分くらいの場所にあります。都内の神社ですがかなり立派な場所です。雰囲気も素晴らしいです。武蔵の国の時の国府なだけあり、色々歴史的建造物があり、見ごたえがあります。夏の暑い日は、木に囲まれ日陰なので、涼しく程よい広さで、ゆっくりと散歩するのに良い広さで気持ちが良いいです。また、この神社は武蔵の国の総社として、1宮から6宮までが祀られています。大鳥居を過ぎ広い参道を進んでいくと、手水舎があり、その先に提灯がいっぱいの随身門があります。中門の先に立派な拝殿と本殿があります。府中市の名称は、御神域が、武蔵国の国府跡に当たることに由来しているとのことです。境内には摂社、末社、欅のご神木が多数あります。源頼朝による、妻政子の安産祈願や、源頼義・義家親子が奥州征伐戦勝祈願に立ち寄ったことなども伝えられています。宿泊した近くのホテルで、チェックアウトした後に散策するのに良い場所です。大きな古木も生えていて、荘厳な、雰囲気が漂う神社だと感じます。5月のGWに開催される伝統行事の時に訪れるのがオススメです。その期間には、屋台がたくさん出ていて賑やかです。


高安寺

東京都府中市片町2-4-1にあります、高安寺は、京王線・府中駅から直線約790m、徒歩約18分、車で約3分。JR武蔵野線・JR南武線・府中本町駅から直線約620m、徒歩約14分、車で約3分。また、京王線・JR南武線、分倍河原駅から直線約300m、徒歩で約7分、車で約1分のところにあります。高安寺は、室町幕府の将軍足利尊氏が、元々この地にあった市川山見性寺を再興し、龍門山高安護国禅寺と号したのがはじまりとされる古刹です。高安寺には源義経と武蔵坊弁慶がこの地に居住した折り、大般若経を書き写すために、境内にある井戸の水で墨をすったという伝説があり、今も「弁慶硯の井」と呼ばれる古井戸跡が残っています。本堂、山門、鐘楼、観音堂は東京都選定歴史的建造物に指定されています。曹洞宗寺院の高安寺は、龍門山等持院と号します。高安寺は、田原藤太秀郷の館跡と言われる当地に、市川山見性寺と称して創建したといいます。鎌倉幕府滅亡後の暦応年間、足利尊氏が全国に建立した安国寺の一つとして、当寺を臨済宗龍門山高安護国禅寺として再建、大徹心悟禅師が開山したといいます。戦国時代に疲弊したものの、慶長年間に青梅の海禅寺第7世、関州徳光禅師が曹洞宗寺院に改めて中興、江戸期には寺領15石の御朱印状を受領していたといいます。高安寺は、境内の諸堂宇、観音堂を始めとして数多くの文化財を所蔵、また弁慶硯の井戸や秀郷稲荷など、歴史を偲ばせる旧跡を残しています。多摩川33ヶ所観音霊場33番です。境内掲示による高安寺の縁起によると、当山は往古田原藤太秀郷公の館跡といわれ、その後市川山見性寺が建立されたと伝えられている。しかし後に足利尊氏公将軍となるやこの寺を改めて、安国利生の祈願所として、龍門山高安護国禅寺を再建した。これは尊氏が全国に建立した安国寺の一つで、武蔵国のそれが当山である。当時は鎌倉建長寺末の臨済宗で、開山は大徹心悟禅師であった。時に暦應年間と伝えられる。その昔は大伽藍で塔頭10院末寺も75院あり、寺領も広く東は代田村、西は貝坂、南は向山、北は山口に及んだという。新編武蔵風土記稿による高安寺の縁起によると高安寺は、片町にあり、龍門山等持院と号す、洞門の禅宗、当郡二又尾村海禅寺の末、御朱印15石の寺領を附せらる、末寺4院を統、本尊釈迦木の坐像、長2尺7寸余本堂に安す、開山大徹心悟貞治3年4月14日寂す、中興開州徳光慶長18年8月27日寂す、寺伝に境内は往古田原藤太秀郷の館迹なり、故に今に秀郷稲荷と称する小社あるはその故なりと、是天慶3年秀郷武蔵守となりて下りし時のことにや、その事巳に前條にいへり、又源義経弁慶もしばしばここに住居せしとて、今に弁慶の井と称する古井あり、谷保村の安楽寺に蔵する所の、義経弁慶当書寫せし大般若経も、元来当院の什物なりしといふ、これ等のこといぶかしきこと多しといへども、姑く伝説のままを存す、又寺伝に将軍尊氏市川山見性寺といへる寺院を改て、龍門山高安護国禅寺と号し心悟禅師当寺を開山とし、其時は済門の禅宗建長寺末なりとぞ、按に寺寶の文書に古へは大伽藍にて塔頭10院、末山も75院ありて、結界も広大にして東は代田村、西は貝坂、南は向山、北は山口に及び、延甕凡4里に亘れりといへり、其後兵乱の間しばしば将軍家の陣所となれり、永徳の初将軍氏満、小山義政を退治んおため、出陣の時当山に陣座せしむ、応永6年周防の大内助義弘京都にむかひ、逆心を起せし時、左兵衛督満兼府中に打出、当院動座、それより上州足利庄へ進行あり、応永の末将軍持氏小栗泰司として、下野国結城に事ある時、暫らく府中に陣座ありしが、同31年当山焼失所なきによりて鎌倉へ帰陣、又正長元年8月安房守憲実を討んとて、持氏将軍鎌倉を打立て当院に陣座あり、永享10年憲実を退治のため、持氏この地に進發せしに、たまたま持氏を退治として、上杉中務持房を大将として、関東へ下され、府中分倍に着陣、翌11年正月持氏終に当院に於て自害す、又享徳4年将軍成氏上州の敵退治のため、鎌倉を立府中へ發向、当山に陣を取分倍の軍あり、この時大将右馬助入道憲顕深手を負て当寺に於て自害せり、かく暦年の兵戦を経て、後には衰へ行て古へ大刹のすがたも失へり、慶長中に及て海禅寺第7世徳光禅師再興の功あり、ここに於て済派を改て洞門となし、海禅寺を以て本山とす、今なを境内凡一萬4000坪あり、4方に小渠を穿て堤防を続らせり。以上、新編武蔵風土記稿より。また、弁慶硯の井戸は、壇ノ浦の合戦で平家を滅亡させた後、源頼朝の怒りにより鎌倉入りを許されなかった源義経、弁慶らが、当地で赦免祈願のため大般若経を写経した地だといい、谷保村の安楽寺が所蔵する大般若経も当寺が所有していたものだったといいます。高安寺は、府中駅と分倍河原駅の丁度、中間あたりに お寺があります。京王電鉄の府中駅や分倍河原駅から歩いて10分ほどの場所にあり、境内は非常に静かなお寺でした。参拝客は意外と多く、心が落ち着ける良いお寺だと思います。歴史ある立派なお寺です。散歩の途中に立ち寄ってお参りするのも良いかと思います。本堂と鐘楼は江戸時代、山門は明治時代の建物だそうです。山門には、仁王様とお地蔵様、怖い奪衣婆の像があり興味深いです。また、山門上部の飛天の彫刻は、楽器を演奏したり花を持っていたり優雅です。弁慶の伝説が残る井戸は、墓地の奥、神社のわきにあります。お寺には参拝者用の駐車場があります。初層は、前後左右にも抜けられる様に四分割されていて、正面には阿形、吽形の仁王像が、背面には彩色豊かな地蔵尊と奪衣婆が安置されています。上層の彫刻も見事で必見です。藤原秀衡の館跡、義経と弁慶も逗留し後に足利尊氏が全国66ヶ所に置いた、安国寺の一つとして改めたという歴史あるお寺です。非常に由緒正しい寺院です。分倍河原駅からも徒歩圏内なので、周辺の乗換の際、時間があるときにちょっと寄るのもおすすめです。

出展:じゃらん・ホトカミ・猫の足あと・フォートラベル・トリップアドバイザー