品川区の水トラブルなら





「一現場・一担当制」 を採用しており、 同じ現場には、同じ担当者を派遣します

水の救急隊は、「一現場・一担当制」をとっております。そのため、もし再度の御依頼の際にも、大きな安心感を提供できます。

作業終了後も何かあったとき、すぐに 電話に出ます。決してお待たせしません

コールセンターは、つねにお待たせすることなく対応が可能です。

もちろんPL保険に加入しているので、万が一の事態にも保証

水道トラブル修理の際に、どのような不測の事態があっても、お客様のご自宅や設備を守ることが出来ます。

設置器具の無料保証も完備しています

新たに設置させていただいた器具・設備に関しましては、メーカーの定める保証に完全対応しております。

クーリングオフ制度にも準拠

万が一、御依頼と違う場合には、クーリングオフを適用することが可能です。





24時間フリーダイヤル受付中です

品川区エリアなら、

水の救急隊が高品質な修理。



経験豊かなプロが大至急で駆け付け、あらゆる水まわりのトラブルを解決いたします!


キッチン・お風呂・トイレなど、

最高のスピードでトラブル対応!


水が出ない!止まらない!漏れてきた! 品川区



24時間365日年中無休で、営業土日祝日ももちろん、年末年始やお盆の時期のトラブルも対応が可能です。


あなたのお住まいの近隣にて待機している、技術力の高い水道局指定業者が、最短駆けつけ時間20分、最短修理時間45分で対応させていただき、その日の内に修理が終わります。


現金・クレジットカード・銀行振込をはじめ、多様な支払い方法に対応。さらに、出張費、見積り費、深夜早朝の割増費、キャンセル費は無料です。 品川区でお困りの方は、ぜひ水の救急隊までお気軽にご連絡ください!



水の救急隊(水道修理プロ)品川区・担当者より

つねひごろ、とても、お世話になっております水の救急隊・ 品川区の担当です。 いつも水回り関連の修理・レスキューにて品川の各地を訪問しておりますが、お客様より様々な情報をお聞きすることが多く、その中でも強いのが日本初の品川縣ビールという工場があったということ。なんでも、しながわ探検隊の番組でそれを発見したとのことであり、区の知名度向上に貢献しているというすごさ。また、いつも品川を走って、各国大使館が多いということを改めて確認します。さて、私ども水の救急隊では、皆様の日常に必要な水回り、とくにキッチン・トイレ・お風呂などの修理や緊急水トラブル解決を専門にしています。パイプの詰まりや、水漏れがおもな対象です。品川区は、それこそ、ものすごい数のマンションがありますから、毎日多くの水道修理、とくにキッチンやトイレ・お風呂などの詰まりや漏れにて救急対応させていただいております。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 コールセンターが24時間対応しておりますので、水道トラブルの際はぜひ、ご利用ください。ところで、これまでの品川区のみなさまの生活様式を一変させてしまった感のあるコロナ禍について、水の救急隊(水道修理プロ)品川区・担当者の私が個人的に頭を悩ませていることがあります。それは何かというと、コロナ禍以前に比べて水トラブルが増加したことです。水トラブルが増加した理由の一つとして、コロナ禍対策で蜜を避けるためなるべく外出しないことや、テレワークに仕事方法をシフトしたことなどによって、在宅で過ごす時間が増えたことがあります。そのため水道設備を利用する頻度が増え、それに伴って水トラブルも増えたのだと考えられます。そこで品川区のみなさまに特に気をつけていただきたいのが、「トイレの水がチョロチョロ流れる」という水トラブルです。この「トイレの水が流れ続ける」という水トラブルですが、蛇口などの水道器具のトラブルに比べて発見が困難なため、どちらかというと見逃されがちです。ところが、「トイレの水が流れ続ける」というトラブルは、水道料金を無駄に支払うことになりますし、限りある品川区の水資源の浪費にもなります。つまり、トイレ設備のトラブルの方が他の水道設備のトラブルよりも、お金についても、また自然環境についてもハイリスクだといえます。ですから、「トイレのトラブルを減らすことが品川区のみなさまの大切なライフラインである水資源の保護に繋がる」、という広い視野でお考えいただき、なるべく早く修理していただくことをお勧めします。それとまた、コロナウイルスが流行し始めた時期から、水トラブルの【修理工事費のトラブル】、特にトイレトラブルの【工事費に関するトラブル】が多発しています。この水トラブルの【工事費のトラブル】についてですが、トラブルが発生して、運悪く水道局の指定を受けていない水道工事業者にトラブルの修理を依頼してしまった場合などに、【修理工事費トラブル】に発展するケースが多いようです。ちなみに、私ども水の救急隊のような、水道局から指定を受けた水道工事業者であれば、トラブルの状況を確認してから、お客様に具体的な水トラブルの修理方法と、工事費の見積金額を明示して、お客様のご了解をいただいてから修理作業を行うのが通常です。ところが、悪意ある水道工事業者(水道局の指定を受けていない)は、修理方法の説明や、工事費の見積金額を提示せずにいきなり修理作業を行い、やたらと高額な修理費を請求して、その場で支払を要求することが多いようです。また、【工事費に関するトラブル】が起きる時間帯としては昼よりも夜間の場合が多く、夜間に水トラブルが発生した場合、それもアパートなどの共同住宅ですと、周りの住人の迷惑を考えてしまい、朝までそのまま放置しておく訳にもいかず、水道修理業者に言われるままに修理してしまう場合が多いようです。ちなみに、このような【修理費トラブル】に遭った人の中には、トイレの取り外し工事費が9万円、またトイレ修理費の総額が30万円などと、とんでもない金額を請求をされて、支払わされた人もいるそうです。ですので、仮に水トラブルが発生して修理依頼した場合に、「水トラブルの修理に来ました・・・」と言って修理の人が来たら、いくら深夜でせっぱ詰まった状況だとしても、工事前にその水道工事業者が行政の指定を受けている工事業者なのかどうかの確認を行う、また修理費の見積を工事の前に確実にもらうなどして、しっかりと業者の信頼性と安全性の確認を行ってから修理してもらうようにして下さい。そしてもし、それらの確認を行わずに修理してしまい、仮に30万円などといった高額な修理費を請求された場合は、たとえ支払えるお金があったとしてもその場での支払いは行わずに、日を改めて修理を行った水道工事会社に電話して修理費の値下げ交渉を行うようにして下さい。その場で請求された修理費を支払ってしまうと、後で返金してもらうのはかなり困難なようです。またこれに加えて、このような水トラブルの【修理工事費トラブル】とは別の、新型コロナウイルス絡みの新手の【水道管詐欺】が増加しています。ですので、これはもしかして悪質商法や詐欺かな、と疑われる場合は、警察の相談専用電話【#9110】に電話して下さい。全国どこからでも電話をかけた地域の警察本部などの相談窓口につながるはずです。



水の救急隊が品川区で喜ばれている理由


■予測できない「水のトラブル」に緊急対応いたします

われわれの日常生活において、水の無い暮らしは考えられません。

そのように大切な水の、重大なトラブルは急に発生することがあります。快適な生活を守るために、迅速に解決しなければなりません。
水の救急隊では、24時間年中無休のコールセンターが稼働しており、日中や夜間など時間帯に関係なく、あなたのお家の水トラブルに緊急対応いたします。

■品川区ではすべての作業対応場所を確保

いきなりの水トラブルにお困りの、あらゆるお客様にサービスをご提供するために、水の救急隊は品川区の全エリアにて作業を提供いたします。
家庭でのトイレ、キッチン、お風呂などの水漏れや詰まり、その他配管の故障などはもちろんのこと、店舗や会社の事業所など商業施設でも対応が可能です。

■お客様ごとに、丁寧なご提案

水の救急隊は、水回り関係の修理サービスにおいて、可能な限り、お客様のご希望にそった内容をご提案させていただきます。
いっぽう、緊急水トラブル対応だけでなく、消耗品や部品交換のみのご依頼も承っておりますので、どのような些細なご希望・ご要望でも、お気軽にお申し付けください。

■作業内容・作業料金は事前に説明します

水の救急隊は作業後に追加料金が発生することはありません。
水回りの修理を行う前に必ず作業内容のご説明と見積書の提示を行っております。
作業完了後は、見積書に記載された料金のみいただいておりますのでご安心ください。

※追加作業をご希望される場合は料金が発生することもあります。
※対応エリア・現場状況により、事前にお客様にご確認したうえで調査・見積もりに費用をいただく場合がございます。



◇まずは必ず止水をしましょう!


水が止まらないとか、水漏れが止まらないなどの症状が出た際には、止水栓を閉めてから原因箇所と修理方法を探りましょう。

・止水栓は基本的に、各水道設備についています。

・また、水道メーター近くに元栓で止水することができます。

いったん水を止めて、落ち着いてからご相談ください。




サービス対応エリアは品川区内すべてです

それぞれにおいて、迅速な対応が可能です。

さらに詳細な地名を記載いたします。

戸越、南品川、豊町、小山台、中延、大井、大崎、広町、二葉、東八潮、東五反田、西大井、西中延、東大井、勝島、上大崎、西品川、荏原、平塚、小山、東中延、東品川、旗の台、八潮、西五反田、南大井


これらすべての場所で、水道局指定業者である品川区の担当プロが、真心をもって、丁寧に作業させていただきます!



水の救急隊(水道修理プロ)品川区・担当者より Part2

どうも、再度の登場となります水の救急隊・東京都品川区の担当スタッフです。ここまでお読みくださり、ありがとうございます。せっかくですので、さらに、地域の水道に関して、知識を提供させてください。この項では品川区のみなさまへの水回りのことや、水トラブルなどのことについて、私、品川区・担当スタッフから前項ではお伝えしきれなかった内容につきまして記してあります。これを読んでいただき、少しなりとも品川区のみなさまの水トラブルの際の一助となれば、望外の喜びとするところです。なにぶん、一担当者が思いついたまま、ペンの走るままにまかせて書いてございますので、読んでいて、内容にまとまりがなく、また長ったらしいなどと感じられるかも分かりませんが、どうぞよろしくご容赦いただきたいと存じます。

水トラブルの原因はある程度なら自分で調べられます。

最近、なんだか水道料金が急に高くなった、また、晴れた日でも地面が湿っている、などといったことはありませんか。 それは、もしかすると水漏れが原因なのかもしれません。そんなとき、ある程度はご自分でも、どこに水トラブルの原因があるのかの調査は可能です。基本的には、漏水か所が水道メーターよりも、お客様の水道設備ならば、支払いの義務が生じてしまいます。また、それとは逆に、自治体側の水道設備、つまり本管から水道メーターまでの個所であれば、品川区のほうで修繕することになりますので、当然、お客様に支払いの義務はありません。そこで実際に、水トラブル原因がお客様の水道設備なのか、それとも品川区の設備なのかをご確認いただく必要があります。まず前準備として、全部の蛇口が止まっているか確認します。つぎに水道メーターの場所を探します。一戸建住宅などは、玄関先場などに埋められている場合が多いです。また、水道メーターは水道局の指定で、以前は鉄製のふたが多かったのですが、最近のものは樹脂製で出来ているものが多く、またふたの色は青か白などになっています。では、一 体何を見るかというと、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットがクルクル回っているかどうかを確認します。もし、パイロットが回っているということは、水を使用している状態だという意味です。つまり、蛇口を止めたのにパイロットが回っているということは、どこかから水が漏れているということを意味します。そして、パイロットが回ることで水道料金は加算されていくことになります。その結果として、もしパイロットが回っていたら、お客様側で漏水していると思われますので、出来るだけ早急に修理が必要となります。それとは反対に、もしパイロットが回っていなければ、お客様側での漏水はしていませんので、もし、水道メーターの近くが濡れているようでしたら、水道局のほうにご連絡願いただきたいと思います。このように水道メーターのパイロットの動作を確認することによって、ある程度でしたら水漏れ個所を特定することが出来ます。また、パイロットは、水の流量によって回転する速度が違います。たとえば、水道管の破断などで、水がダダ漏れの状態であれば、パイロットは物凄い速さで右回転しますし、少しだけ流しているときなどは、それなりにゆっくりと回転します。ですので普段からパイロットの動作状況をご確認いただくことで、ご自宅の水道の使用状況を把握することが可能です。

■もし、パイロットが回り続けていたらお気軽にご相談ください

ここまでが、水道メーターのパイロットを使っての水漏れの確認方法です。一般的には、パイロットの動作の確認などによって発見された水トラブルの場合は、蛇口の水漏れなどの水トラブルに比べると、水漏れが目視で確認できないことが多いので、緊急度とお困り度が低いように感じられて、あまり気にしなくていい水トラブルなのだと誤解されてしまう傾向にあり、どうしても見過ごされがちです。また、このような、水漏れが目で見えない水トラブルは、一度見過ごされてしまうと、ずっとそのまま放置されてしまうことが多いようです。ところが、このような水トラブルのほうが、蛇口の水漏れなどの発見しやすい水トラブルよりも、いろいろな面でハイリスクだといえます。たとえば、水道料金についてですと、少量でも水が漏れ続ける状態で修理を怠った場合、びっくりするくらい多額の水道料金を請求されることになります。また、漏水している場所が建物の壁の中だったりすると、シロアリやカビが発生する原因になったりもします。もしそうなると、水トラブルの修理をする時に、私たちのような水道修理業者以外に、工務店さんなどの修理依頼も必要となります。またそれに加えて、シロアリやカビなどの発生が原因で、建物の不動産としての価値が下落することにもなりかねません。ですので、もしパイロットが回り続けていたら、私たち、水の救急隊にお気軽にご相談ください。水の救急隊は、高い技術力と豊富な経験で、どんな水トラブルにも対応して、品川区の皆様のライフラインを守ります。フリーダイヤルにお電話いただくことで、エリア内でしたら通常30分以内で駆け付けることが出来ます。 365日、コールセンターが24時間対応しておりますので、水トラブルの際はぜひ、ご利用ください。

漏水分の水道料金については、品川区のほうに返金請求できる可能性があります。

基本的には、ご家庭の水道設備などは、お客さまの財産ですので、お客さまご自身で管理していただくものとなっています。ですので、全部の蛇口を止めた状態で、水道メーターのパイロットが回っている場合は、水道メーターで計量した水量に漏水した分が含まれていても、その水量に対する水道料金等については、原則としてお客さまに支払いの義務が生じます。ところが、条件によっては減額してもらえる場合があります。また、よくある条件として、水漏れ個所が、発見が難しい場所にある、使用方法自体には問題がない、また水漏れの修理が終わっている、などといったような条件に当てはまると、品川区のほうに水道料金の漏水分について返金請求できる可能性があります。ちなみに、よくある条件というのは、自治体が決めているルールによって異なっていますので、注意が必要です。また、返金される料金についてですが、基本的には水漏れしていた分を全額を返金してもらえるということではなく、水漏れしていない時期の、2、3ヶ月間の水道使用量を参考にして、水量の50%~70%程度が減額されるケースが多いようです。また、発見が難しい場所にあることが条件、となっていることが多いようですので、蛇口、風呂、キッチン、トイレといった、日常生活で容易に発見出来る水漏れなどに対しては減額請求を受付けてもらえない場合が多いようです。それとですが、水漏れ修理が終わっているという条件につきましても、DIYで直すのはNGで、私たちのような、品川区から認定を受けた地域の指定工事店が修理する必要がある場合があります。加えて、自治体によって申請方法が違うようですので、まずは東京都品川区の水道局へどのような条件であれば減額請求ができるのか確認しておくと良いと思います。

家の外壁部には重量物を置かない方が賢明です。

家の外壁部に重い物を置かないことが、水のトラブルに何の関係があるの。と思うかたは多いはずですが、本当は関係オオアリなんです。実は、家の外壁部に重量物を置いたがために、そこに埋まっていた水道管の継ぎ手が外れて、そこから水がダダ漏れになった例が多く発生しているんです。普通、品川区などの行政で設置する水道管は道路の、1.2mくらいの深さ、このような埋設深度のことを、水道業者さんなんかは、土被り(ドカブリ)などと呼んでいますが、とにかく車両などがその上を通っても、水道管が破損したりしない深さにきちんと埋まっています。ところが、一般家庭の場合はそうではなくて、よくて地下30cmくらいの深さにしか埋まっていないんです。ちなみに、下の写真の例は品川区内で撮影されたものではありませんが、土被りは、せいぜい20cmくらいではないかと思われます。もし、そこに何百キロもある物を置いてしまうと、当然水道管の継ぎ手などはたまったものではありません。ある意味、外れて当たり前ともとれるわけで、水道管が家屋に引き込まれているところには、極力、重量物を置かないほうが賢明です。また、水道管の場合はガス管などと違って、家屋に引き込まれているところが分かりずらいことがまたやっかいとなります。もし仮に、これが原因で水モレしてしまうと、ダダ漏れの状態になりますので、品川区から請求される水道料金も、2か月分まとめて請求が来ますので、莫大な金額になります。これはあくまで、品川区で発生した事例ではありませんが、その事例では、そのお宅の人はそれまで全く水漏れしてる事実に気が付かずにいたそうなのですが、ある日水道の検針員さんに「今回はものすごく水道の流量が多いですよ」と指摘されて、調べてみたら2か月の水道料金が何と16万円で、愕然としたそうです。仕方なく、急ぎ業者さ んに漏水箇所を直してもらって、水道料金のほうは行政と交渉して、申請書を出してなんとか3万円まで減免してもらったそうです。ちなみに、この事例では、庭のエクステリア工事で余ったブロックを何気なく家の外壁のところに山積みして置いたそうです。ですので今後、もし可能であれば水道工事をやってくれた水道屋さんを見つけて聞くなどして、水道管がどこに埋まっているか確認しておいた方がいいかもしれませんね。

水道局を名乗る人が来たらご用心。

これまでに、本管から水道メーターまでは東京都品川区の設備です、と何度も書いてきましたが、あえてまた書かせいただきてます。それはなぜかというと、ある日突然、水道局の人だと言って、「先ほど交換したメータの代金をいただきに来ました。」と代金を請求されて、お金を騙し取られた、といった事が、ここ品川区内で直接に聞いた話ではありませんが実際にあるからです。普通に考えた場合、本管から水道メーターまでは品川区の範疇だからメーターを交換しても工事代金は取られないはずだと思うはずなのですが、オレオレ詐欺と同様にいざその場になると、相手の言葉を信用してしまうようです。相手の人から「たしかに第一止水栓までは品川区の設備です、でも品川区ではお客様の敷地に設備は設置しないはずです。ですので、お宅の水道メーターが敷地内にあるということは、メーターはお客様の持ち物なんです」などと言われると、なるほどそーなんだと、コロリと騙されてしまうようです。基本的に、水道局では水道メータは、計量法の規定で8年に1回交換してくれて、水道メータの交換にお金がかかることはないとのことです。それと、何か特別なことがないかぎり、水道局の人が直接お客様宅を訪ねることは普通ないそうですので、もし、水道局を名乗る人が来たら、お宅の内には入れずに、その場で身分証明書を見せてもらう、または水道局に問い合わせてみるなどしてください。また、これは詐欺かな、と疑われる場合には、警察の相談専用電話【 #9110 】に電話して下さい。品川区地域の警察本部などの相談窓口につながると思います。とにかく、水道局を名乗る人が来たらくれぐれもご用心ください。

トイレの水が止まらないトラブルについて。

トイレの水のトラブルといえば、トイレットペーパーやそれ以外のものが詰まってしまう、「詰まり」を一番の原因として連想すると思います。ところが、意外なことにトイレで多い水のトラブルに「水が止まらない」という現象があります。この項では、トイレの水が止まらないと、どのようなことになるのかについて、説明いたします。さて、私たちが普段なに気なく使用している水洗トイレですが、思ったよりも複雑な構造で動作しています。また、このトイレの水が止まらない故障の原因となる場所のほとんどがトイレタンクの内部にあります。ですので、キッチンやお風呂の蛇口からの水が止まらないなどの、誰でも一目で分かるような水のトラブルなどとは違って、意外に発見されにくい故障だともいえます。ですが、わざわざトイレのタンクの中を覗いて、トイレがどんな様子で水を流す仕組みになっているのか、などと観察することは私たちのような仕事関係の人間以外、あまりないと思いますので、ここで少し、トイレの水が流れるシステムについて解説いたします。まず始めに、トイレのタンクの内部を写した下の解説写真をご覧ください、写真の右側に見えます白い棒は、アームと呼ばれ、水を流すときに回すトイレレバーと繋がっています。また、トイレレバーを手前に回すと、アームが手前側に回転して、アームに付いているクサリが、映りが不鮮明ですが、写真の下に見えます黒くて丸い部品を引き上げます。この部品はゴムフロートと呼ばれていて、トイレタンクの中にある水が便器に流れないように水を止める部品です。また、このゴムフロートが上に持ち上げられることにより、ゴムフロートと排水口の間に隙間ができて、タンクの中の水が便器に流れるようになっています。そして、トイレタンクの中に貯めてあった水が流れ終わるとゴムフロートが下がって、排水口にフタがされます。そうしてまた次の水を貯める、というのが一連の流れになっています。ちなみに、写真の左下に映っている棒状のものは、オーバーフロー管といって便器に繋がっています。このオーバーフロー管は、タンクの中の水がタンクから溢れ出ないようにオーバーフロー管の上部から便器へ排水するための役割をしています。ちなみに、写真のオーバーフロー管の上のほうに黒い横線が見えます。これは、タンクの中の標準水位を確認するためのマークですが、もし、このマークがないオーバーフロー管の場合は、タンク内部の水位は、オーバーフロー管の先端部よりも2~3センチ下が適切だと言われています。

さてここで、トイレの水が止まらない水トラブルの原因を見ていきたいと思いますが、何個かの原因が考えられますので、順番に解説いたします。ではまず、さきほどのゴムフロートですが、このゴムフロートが古くなると、歪んだり穴が開いたりして、排水口にピッタリと密着しなくなって、しっかりとフタができなくなります。もし、このような状態になってしまうと、いつもチョロチョロとした水が流れ続けて、水が止まらない状態が続いてしまいます。ですので、ゴムフロートの劣化が原因による水トラブルの場合は、ゴムフロートを新しいものに交換する必要があります。また、アームとゴムフロートを連動させるクサリが絡まっても、いつもゴムフロートが上がっている状態になって排水を続けますので、水トラブルの原因となります。これに加えまして、ゴムフロートと排水口の間に何か異物が挟まってしまうと、排水口にしっかりとフタができず、排水し続けてしまいますのでこちらも水が止まらないトラブルの原因になります。次に、下の写真の右側に映っている白い球状のものは「浮き球」と呼ばれるもので、文字通り、「浮きこ」の役割をしていて、写真でもお分かりいただけると思いますが、ピストンバルブやボールタップと呼ばれる、水道からタンク内への給水をコントロールする役目の部品と、指示棒を介して繋がっています。また、これらの部品はお互いに連携して、ひとつの役割を果します。そして、この浮き玉の位置によって、ピストンバルブが開いたり締まったりして、それと同時にボールタップが連動します。ですので、浮き球が古くなり破れて、中に水が入ってしまうと、水位の変化をうまく伝えられなくなって、水が止まらなくなります。また、ボールタップが故障すると、これによってもトイレの水が止まらない状態になるため、ボールタップ自体を交換するなどの修理が必要です。

トイレの水が止まらないトラブルについて、もう少し掘り下げてみます。

これまで、普段なかなか目にすることの少ないトイレのメカニズムについて解説しましたが、想像していた以上に故障に繋がる部品が多いように感じたかと思います。さて、このトイレの水が止まらないトラブルですが、水トラブルの場所がトイレということで、いつもチョロチョロとした水が流れ続けていても、どちらかというと見過ごされがちで、あまり気にかけられないため、修理されずそのまま水が流れ続ける状態になっている。また、もし気がついたとしても、デパートやスーパーなどのトイレのように、消臭の目的で、いつも水が流れるタイプのハイテクトイレと勘違いされて、水が流れ続けているのに、故障していることに気ずかれずに、修理されずにそのまま使われていることも多いようです。では水が止まらない水トラブルが修理されずにそのまま放置されると、どのようなことになるのかというと、水道メーターのパイロットがクルクル回っている、いわゆる、水道料金がずっと加算されていくことになります。ちなみに、漏水した分の水道料金の減免につきましては、本サイトにて既に一度解説してありますが、大変重要なことですので、再度記載しますが、漏水した分の水道料金はこちら、品川区でしたら、品川区のほうから二か月に一度、水道料金の請求が来ると思います。そして、品川区が定めた水道料金の減免条件に適合すれば、漏水した分の水道料金は、品川区のほうに返金請求出来ることになっています。ですが、多くの自治体の定めるところでは、第一止水栓(水道メーター)などの自治体の管理する水道設備よりも下部に漏水点があった場合には、その漏水点が地中部分だと、料金の減免条件に適合していても、漏水点が地上部分だと適合外だと規定されているところが多いようです。またそれと、漏水点の修理に関しましても、たとえばこちらで品川区あれば水の救急隊のような、品川区の水道局の指定を受けた水道工事業者が修理工事を行うことと規定されていて、もしもそれ以外の人が修理した場合には、水道料金減免の条件から外れてしまうとされる場合が多いです。また、水道料金の減免申請に関しても、私たちのような、品川区水道局からの指定を受けた水道工事業者が、お客様に代行して通常は減免申請を行っています。ですので、私たちにお聞きいただければ、水道料金の減免申請についての、おおよその事はご説明できます。しかしながら、たとえば漏水点が壁の中だと申請可能か、また、どのくらいの期間だったら逆のぼって申請が可能か、加えて、修理してから何日以内なら申請が可能か、などといった詳細なことにつきましては、水の救急隊(水道修理プロ)品川区の担当者の私といえども、即答するのは困難かと存じます。ですので、水道料金の減免申請にご興味をお持ちの方は、一度、品川区の方にご確認いただいたくことをお薦めします。ちなみに、私が体験したトイレの水が止まらないトラブルの案件をご紹介しますと、この件はここ品川区のお客様ではなかったのですが、「水道の使用量がここしばらく、以前よりもかなり多いので調べてみたほうがいいですよ」と、水道の検針員さんから言われたのがきっかけで、ご連絡いただいてのご訪問でした。ご訪問して早速、水道メーターのパイロットを確認したところ、確かにクルクルと回っています。そこでお客様に漏水の心あたりをお聞きしたところ、まったく心あたりはないとのことでしたが、あちらこちらと漏水点の探索を行いました。ちなみに、このように漏水点が不明なときに、私たちは聴診棒と呼ばれる特殊な棒状の器具を使って調べます。この聴診棒ですが、ステサスコウプなどとも呼ばれていますが、私たちが使うものとはタイプは違うものですが、自動車修理工場などで、エンジンやモーターなどの回転機器などを点検するときにも使用されています。修理工場などでは、棒の片方を耳に当てて、もう片方を点検箇所に当てて、その振動などで機器の音を聞き分けて、異常の有無を診断します。また、私たちが水道の漏水点を探すときは、下のイメージ図のように、片方を耳に当て、そしてもう片方を蛇口などの水道設備に当てて、じっとその音を聞いて調べます。ちなみに、最近はこの聴診棒もなかり改良されていて、お医者さんが使う聴診器と、聴診棒を合体させたような作りになっているものもあります。たしかにこのタイプだと両方の耳で調査できて、片方の耳で聞いて調査するタイプのものより、周囲の雑音を拾ったりすることもないので、調査に集中できていいと思いますね。

さて、この時もいつも通りに聴診棒で漏水点での探索調査を行いましたが、なかなか漏水点を特定出来ずにいました。そこで再度、水の流れを確認するため今度は、下水口で流れを見てみたのですが、やはり少しずつですが、水の流れが確認できました。また、そこのお宅はかなり大きい建物で、そのうえ聴診棒で調べても、経験上、水道管などから水が漏水している感覚というか、手ごたえがありませんでしたので、あえてお客様に「いま見させていただいた場所のほかに、二階とかに蛇口などの水道設備はありませんか」とお聞きしたところ、「そういえば、今はあまり使っていないんですけど、二階にトイレがもう一つあります」、という一言で、早速新たに見つかった二階のトイレを見せていただいたところ、案の定、原因が見つかり、トイレのボールタップを交換修理して、すべてが解決しました。そして修理作業が終わり、それからしばらくして、例のお客様から連絡が入りました。なんでも、トイレの修理をする前と、修理した後の水道料金を比べてみたら、一万円くらいの差があって、修理していただいて、本当によかった、助かりました。今後は注意しますね。」といったお礼のお電話でした。このように、トイレの水が止まらない水トラブルは、他の「詰まり」などのトラブルと違って、お客さまが生活にそれほど困らない、どちらかというと、あまり目立たない水トラブルです。ですが、今回の事例のように、もし修理しないでおくと、後で品川区のほうから高額の水道料金の請求が来ることになります。ですので、トイレだから、まあいいかなどと思ったりせずに、発見したら出来るだけ早く修理していただくことをお薦めいたします。

【おもな水まわりトラブル&原因箇所】

■給水部分(蛇口)のよくあるトラブルと原因・品川区

(1)水が止まらない
(2)水が出ない
(3)部品の隙間から水漏れしている
(4)がたついている・異音がする

蛇口水トラブルはパーツの経年劣化によって固定部分が摩耗してしまうことが原因となっているケースが多くあります。


■排水部分のトラブル・品川区のよくある水トラブルと原因
(1)水の流れが悪い
(2)排水枡が溢れてしまった
(3)逆流を起こしている


排水管は水だけを捨てる管になりますので、ゴミを流さないようなパイプの構造をしています。そのため、水溶性以外のゴミはパイプの内部に残り、徐々に詰まってしまうのです。


【設備別の水トラブル】

■品川区 トイレのトラブルと対処法

トイレは日常的に使いますので、トラブルが起こった時はすぐに修理しなければいけません。

■品川区 キッチンの水トラブル

日ごろから使用頻度の高いキッチン(台所)は使用頻度が高い分、部品の摩耗による劣化も起きやすい傾向にあります。

■品川区 お風呂場のトラブル

お風呂場は一度に大量のお湯を使用することから排水詰まりが起きやすい場所となります。また、お湯と一緒に発生する水蒸気によって水道設備がさび付いてしまい、部品交換の需要が多いのも特徴です。

■品川区 洗面所の水トラブル

洗面所の水トラブルは排水管に物を落としてしまうことによって、詰まりや逆流が起きやすい場所です。洗面所に多くある綿棒や洗顔時に外したアクセサリーがS字パイプの間に詰まってしまいます。また、洗面所の排水管はトイレやお風呂場と異なり、細い管が使われているため、詰まりに対する耐性が低いのも特徴です。

品川区を管轄する水道事務所はこちらです、ご参考のために記載いたします。


【事業所名】 東京都水道局 品川営業所
【所在地】 〒142-0054 東京都品川区西中延1丁目9−10




水の救急隊は、品川区の全域にて水道・トイレなど、水まわりの故障トラブルや詰まりなどにスピード対応いたします!

品川区のおもな駅一覧

これら駅の近隣にお住いの皆様は、とくに迅速な対応が可能です。


山手線
大崎駅、五反田駅、目黒駅

京浜東北線
大井町駅、大森駅

埼京線
大崎駅

横須賀線
西大井駅

湘南新宿ライン
大崎駅、西大井駅

東急・目黒線
目黒駅、不動前駅、武蔵小山駅、西小山駅

東急・大井町線
大井町駅、下神明駅、戸越公園駅、中延駅、荏原町駅、旗の台駅

東急・池上線
五反田駅、大崎広小路駅、戸越銀座駅、荏原中延駅、旗の台駅

東京臨海高速鉄道・りんかい線
天王洲アイル駅、品川シーサイド駅、大井町駅、大崎駅

東京モノレール・羽田空港線
天王洲アイル駅、大井競馬場前駅

京浜急行電鉄・本線
北品川駅、新馬場駅、青物横丁駅、鮫洲駅、立会川駅、大森海岸駅

東京メトロ・南北線
目黒駅

都営地下鉄・I都営三田線
目黒駅

都営地下鉄・I都営浅草線
五反田駅、戸越駅、中延駅


【観光はもちろんのこと、もしもの時の、集合場所にも。品川区周辺の名所旧跡へGO。】



品川神社

東京都品川区の名所、 品川神社は、品川区北品川3-7-15にあります。 品川神社は、JR湘南新宿ライン・東京りんかい線・相鉄・JR直通線・JR山手線・JR埼京線・大崎駅から直線約1.02km、徒歩約24分、車で約5分。京浜急行本線・北品川駅から直線約450m、徒歩約10分、車で約2分。また、京浜急行本線・新馬場駅から直線約180m、徒歩で約4分、車で約0分のところにあります。品川神社は、北品川宿の鎮守です。6月の品川神社例大祭は「北の天王祭」と呼ばれ53段の階段を神輿が上り下りします。境内には宝物殿や神楽殿、板垣退助の墓や富士塚などがあります。東海七福神の大黒天に指定されています。品川神社は、品川区北品川にある神社です。品川神社は、文治3年に源頼朝が安房国州崎明神を勧請し、創建されました。天正18年8月1日、徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜りました。明治時代には准勅祭社の一社に、現在東京10社の1社に指定されています。また、本殿には、東海七福神の大黒天が祀られています。「品川区の文化財」による品川神社の由緒によると、 品川神社は、社伝によれば、後鳥羽天皇の文治3年に源頼朝が安房国州崎明神を勧請しました。元応当国の守護二階堂出羽入道道蘊が、当社の神威を感じて本社を新たに造立しました。応永年中当郷の住人鈴木正清入道幸純が当社を深く崇敬して、永享4年社殿の造営を行いました。長禄年中、太田道灌が江戸城に入り、文明10年6月に、自ら牛頭天王を勧請して神事を怠慢なくつづけました。後北条氏も崇敬し、数度にわたり修理を加えられました。天正18年8月1日徳川家康が江戸城に入り、翌19年11月品川大明神へ5石の朱印社領地を賜りました。後に南貴船社と朱印争いをおこし、2石5斗ずつに分けたのです。寛永14年に東海寺建立のとき、当社地の内南の方が御用地となり、代替地1813坪を門前地として賜りました。其の時、東海寺の鬼門にあたる為、同寺鎮守となり、以来本社以下神主宅まで幕府によって修造され幕末に至りました。現在元禄7年焼失の時、造営奉行戸田能登守忠直が、社伝等悉く造営しました。社前に建てた制札が残されています。以上、「品川区の文化財」より。東京都神社名鑑による品川神社の由緒によると、 当社は、鎌倉時代の文治3年に、源頼朝が品川港の海上交通安全を祈り、安房国州崎明神を勧請し、崇敬されました。後醍醐天皇の御世に当国の守護職二階堂出羽入道道蘊が、五穀豊鏡、産業発展を祈り、宇賀之売命を勧請し、社地を吉端岡と名付けました。文明10年6月、太田道灌が、風水害、疫病退散を祈り牛頭天王を勧請しました。天正19年に徳川家康より玉石の朱印地を賜わります。明治元年11月准勅祭神社に定められます。昭和7年「新東京八名勝」選定にて第3位に、昭和58年「新東京百景」選定には第5位に人選します。以上、東京都神社名鑑より。品川神社は、京急線新馬場駅の目の前にある神社です。参拝の際は階段と坂道がありますが、どちらも結構な傾斜なので少々疲れます。境内から東の方向に京急本線の高架が見え、時おり電車が行き来するのが見えます。境内には稲荷神社、御嶽神社、板垣退助の墓所があります。板垣退助の墓所は、品川神社の本堂と稲荷神社の間の道を歩いて本堂を回り込むとあります。墓所の石碑には「板垣死すとも、自由は死なず」と記載されています。参道の階段が、映画「シン・ゴジラ」のロケ地の一つになっています。また、富士登山を気軽にすることもできます。登山した後の景色は新馬場の街を望めて見事です。本当の富士登山は難しいですし、富士山は日本人の心のよりどころです。塚にはそういった思いが込められているのではないかと思います。急な階段の途中には、周辺を一望出来る塚があります。拝殿右側の稲荷神社から更に右側に降りて行くと、3柱神様が祀られていて、お金や印鑑などのお浄めをする聖水があります。コチラにもお賽銭を納めてお浄めし、一部を神社前の商店街で使うのがオススメです。一粒萬倍の泉があり、金運アップのご利益があります。この泉で洗ったお金は使うのが吉なのだそうです。


荏原神社

荏原神社も品川区の観光名所の一つです。荏原神社は、東京都品川区北品川2-30-28にあります。また、荏原神社は、東京りんかい線・天王洲アイル駅から直線約780m、徒歩約18分、車で約3分。京浜急行本線・北品川駅から直線約710m、徒歩約17分、車で約3分。また、京浜急行本線・新馬場駅から直線約200m、徒歩で約4分のところにあります。荏原神社では、6月上旬に、勇壮な神輿の海中渡御を含む荏原神社例大祭が行われます。古来より雨を司る龍神として崇められた祈雨、止雨の神です。また、和泉式部の夫婦仲を取り成すなど、夫婦和合のご利益もあります。荏原神社は、品川区北品川にある神社です。荏原神社は、和銅2年9月9日、奈良丹生川上神社より高麗神を勧請し、枝郷三ッ木の地に創建したといいます。長元2年に神明宮、宝治元年に牛頭天王を勧請し、古くから品川の龍神さまとして親しまれ、貴船社、貴船大明神、品川大明神と呼ばれ、江戸時代には2石5斗の御朱印状を受領、明治時代には准勅祭社の一社に指定されていました。「品川区の文化財」による荏原神社の由緒によると、荏原神社は、南品川の鎮守です。社伝によれば、和銅2年9月9日、藤原伊勢人が、武蔵国荏原郡荏原川のほとりに勧請して当所の鎮守としました。一説には、天長年間のこととも云、此神は大和国丹生神社と御同体で祈雨止雨の守護神です。当社の旧地は枝郷三ッ木の地であるとも伝えており、現在旧地に貴船神社があります。康平5年6月19日、源頼義、義家両朝臣が、勅命により陸奥の安倍貞任、宗任を征伐の為、下向の節、武蔵国府総社六所宮に祈願し、又当社にも参詣し、社頭の海浜に身を浄め、一心に祈願奉幣して出陣しました。勝利を治めて無事帰途の際に六所宮ならびに当社に御礼を奉幣されました。此吉例によって、以来総社の大祭である5月5日の前、4月30日に神主社家一同が神馬をひきいて当社に来たり、社頭の浜に各自が身を浄め、塩水を汲み取って持ち帰り、5月5日までの間毎日潔斉し5日の祭典を奉祀するのを管領とする様になりました。天正18年徳川家康関東に下向の節当社に立寄り、由緒故実等を尋ねられました。当時の神主鈴木正根が参上し、由緒等を差出した処、古社であることによって左文字の太刀一振りを納められました。ついで翌19年11月神主正根が召出され、家康より5石の朱印状を賜りました。以来代々この将軍より判状を受けてきたのですが、途中北の稲荷社との間で争論が起こり、結果としては、二分して2石5斗ずつに分割されるようになったのです。以上「品川区の文化財」より。東京都神社名鑑による荏原神社の由緒によると、荏原神社は、創建は元明天皇の和銅2年9月9日藤原伊勢人の勧請により、武蔵国荏原郡品川郷に鎮座しました。貴布禰大明神と号し、品川総鎮守でしたが、後、現在地に遷りました。御祭神高麗神は、龍神にして雨水をつかさどり、祈雨止雨福徳円満の御神徳と仰がれています。後冷泉天皇の康平5年、源頼義、義家が安部貞任、宗任を征伐する時に、当神社に参詣し品川の海中に身を浄め祈願して戦勝凱旋の折奉幣されました。天正18年、徳川家康公、関東下向の折、当社に寄られ神官鈴木和泉守に由緒を尋ねられ、左文字1振を奉納され、翌年神領五石を寄進されました。慶長19年、秀忠公、大阪出陣の折も勝利を祈願され、左文字1腰、鞍1口を奉納しました。明治元年10月12日、明治天皇御遷都の際、当神社が内待所奉考所となり、翌2年3月27日、明治天皇御再幸の節も内待所奉安所、御行宮にあてられました。明治5年皇太后宮東京に御入輦の際も、明治天皇の御休殿にあてられました。当神社は、創建より貴布禰大明神と称しましたが、明治4年、南品川神社と改称し、同8年荏原神社と改めます。以上、東京都神社名鑑より。荏原神社は、目黒川と旧東海道が交差している場所にある神社です。荏原神社へのアクセス方法は、京浜急行電鉄の新馬場駅の改札を出たら、目の前の国道15号を川崎方向に歩きます。山手通りの横断歩道を渡り目黒川を渡ればすぐに左に曲がります。川沿いに進むと橋があるから再度目黒川を渡ると荏原神社です。改札から450メートル約5分くらいです。新馬場駅から徒歩5分くらいの場所にあります。横には目黒川が流れていて、そこにかかる朱色の橋が目印です。鳥居をくぐるとすぐ左に恵比寿様がにこやかに迎えてくれます。ふくよかなお顔とお姿に心が和みます。参拝させていただくと、拝殿がとても歴史のある重厚な感じです。施されている彫り物は素晴らしいです。また、屋根の上から龍神様が顔を出していて、ふとそれに気づいたときはちょっとビックリします。6月上旬に例大祭があるようですが、都内唯一の御神面を神輿につけての海中渡御が行われるとのことです。709年創建の由緒ある神社で、恵比須様の先に続く龍神を祀る社殿には風格を感じます。


品川寺

東京都品川区の名所、品川寺は、品川区南品川3-5-17にあります。また、品川寺は、東京りんかい線・品川シーサイド駅から直線約560m、徒歩約13分、車で約2分。京浜急行本線・鮫洲駅から直線約530m、徒歩約12分。また、京浜急行本線・青物横丁駅から直線約60m、徒歩で約1分のところにあります。真言宗醍醐派の品川寺は、海照山普門院と号し、真言宗醍醐派の別格本山です。品川寺の創建年代は不詳ながら、当初金華山大円寺と称し、本尊は弘法大師が東国巡行に際して押領使品川某へ譲った水月観音で、応永年間の上杉禅秀の乱に際し、品川一族が討死した際にも草堂に匿し置かれ、太田道灌も深く感応し、太田道灌の持仏を本尊とした観音堂を建立したと伝えられます。永禄12年武田信玄が品川を占拠した際、残らず焼き払われ、水月観音も持ち去られたものの、奇異な事が起こり続けたころから当地へ戻されたと伝えられます。阿闍梨法印弘尊が堂宇を再建し承応元年に中興開山、海照山普門院と号するようになりました。太田攝津守資直は個人的に寺領100石を貞享3年に寄附しています。江戸33観音霊場31番霊場、東海33観音霊場21番札所、東海7福神の毘沙門天となっている他、山門前には江戸六地蔵の一つが安置されています。「品川区の文化財」による品川寺の縁起によると、品川寺は、初めは金華山大円寺と称し、後改めて海照山普門院と号します。中興開山弘尊が承応元年に再興しました。貞享3年7月太田摂津守資直はひそかに寺領100石を寄附しました。本尊の正観音は太田道灌の持仏で、長禄年品川の館から江戸城に移った頃、武運の長久と城中及江戸鎮護の為、この本尊を堂内に安置して伽藍を建立しました。水月観音は竜宮出現の像と伝えています。弘法大師が東国遊行の時、この地の押領使品川某に附属され、その家に代々仕えて品川左京亮の時に至っています。後応永年中上杉禅秀の乱の時一族皆討死します。その時本尊を草堂にかくしていた為世に伝えていると云います。妙国寺所蔵永享10年某氏憲泰の寄附状に、寺の南に観音堂のあることを載せているのはこの堂であるとも云います。その後関東は大いに乱れ、多くの自社の兵火に焼失し、永禄9年小田原の北条氏政今川家に加勢して武田信玄と戦う時に、信玄の北からの急撃により、江戸・品川の民家寺社を焼き払いました。当寺も兵火の為ことごとく焼失し、竹森、蔭村という二人の武士によって本尊はうばわれましたが、甲州に帰ってまもなく発狂し、本尊を元の地へ遷す様霊夢があって、一人の乞食の聖に頼み旧地にかえしましたが、堂宇も焼け亡んでいる為、その礎石の上にわら小屋を作り安置しました。その後、弘尊法印が堂宇を建立して海照山普門院と唱える様になりました。以上、「品川区の文化財」より。新編武蔵風土記稿による品川寺の縁起によると、品川寺は、拝領地4800坪餘、妙國寺の南隣にあり、初は金華山大圓寺後改て海照山普門院と號す、新義眞言宗醍醐三寶院の末、中興開山弘存承應元年再興し、寛文11年正月11日寂す、貞享3年7月太田攝津守資直私に寺領百石を寄附す、本尊正觀音は深秘し、側に水月觀音像を安ず、縁起云、聖觀音は弘法大師の作、太田道灌持佛の本尊なり、長禄年中品川の館より江戸城に移しし頃、武運の悠久城中及江府鎮護の爲、彼本尊を此堂に安して伽藍を建立すと云、又水月觀音は、龍宮出現の像にて尤も靈驗あり、或説に水月觀音は弘法大師の持佛閻浮檀金もて造る所、海中出現之像なり、大師廻國の時郡の押領使品川某に附屬し、其家世々傳へて品川左京に至る、應永年中上杉禅秀亂の時品川の一族皆討死す、當時本尊を草堂に匿置たるをもて世に傳ふと云、又一説に太田道灌品川を領せし頃、この水月觀音の像を得て深く信し、一宇の堂を草創して安置せりと、今按ずるに妙國寺所蔵永享10年、氏憲が寄附状に、寺の南に觀音ありし由を載、地域を以て考ふるに此堂なること明けし、縁起又云、亂世兵火の爲に伽藍悉く焼亡し本尊は甲州に奪ひ去て或村里に安ぜしに、一見童口はしりて我は是武州品川金華山の觀音なり、暫くも此所に留置ことなかれ、早く品川に歸し送るべしと、村民恐怖して歸し奉らんと欲れど、亂世なれば諸國たやすく通る事を得ず、先隣里に送りければ、其所の者亦發狂すること前の如し、武田信玄聞て奇異の思をなし、恭敬禮拝して品川に送り返せしとなり、然れども伽藍回禄の後住僧もあらざりければ、土人纔に藁葺の堂を立安置せりと、小田原記等の書この事を載て云、永禄12年9月上旬、小田原の北條氏康甲州の武田信玄と戰ひし時、信玄武州に討て出、江戸品川を追捕し、その處に立る大圓寺の本尊水月觀音堂を初め、神社佛閣のこらず焼拂、住僧法印をもことごとく害せり、其時ふしぎに此本尊は免て武田家にわられり、彼家人竹森花村の2人此像をとりて甲州に行しに、俄かに大熱狂亂して云、我は武蔵國品川の大圓寺のものなり、速に元の地へ返へしと罵れり、然れどもかの地は敵國なれば返すべき便もなかりしに、其頃1人の乞食甲州にさまよひ来れり、本國を問ば武蔵なりと云、かの者にしかしかの事を云含めで元の地に返さしめしかば、かの乞食もりかへりて昔の堂の礎の上にわを屋を作りて安置しけりと云々、其後阿闍梨法印弘尊と云人あり、僧羽州上の山某寺の住僧にして、若年より觀音を信仰す、或時夢に老人来て當寺の住時となる、當時此觀音の舊記の説台聴に達しければ、承應元年5月境内拝領の地となる、よつて堂宇を再興して本意を遂壽命140歳を得たり、今中興開山とす、俗に壽命觀音と號するも弘尊か故なり、又此觀音堂建立のこと太田備中守資宗入道道顯先祖の由緒を思ひ、財を捨て賛成せしとなり、又金花山を改めて海照山と號することは、昔海上颱風起て數百艘の船危かりしに、船中の貴賤みな此觀音に祈誓して萬死の難を遁れしゆへ、海照山と名づけしと云、本堂は5間に4間東に向へり、稲荷社。本堂の南にあり、境内の鎮守なり、本社2間に1間、拝殿2間に9尺なり、天神辨天稲荷合社。本堂の北にあり小祠、鐘樓。稲荷社の東にあり、鐘徑3尺許、東照宮台徳院殿大猷院殿の御謚號を款文に出し、下のめくりに6觀音の像あり、刻して云明暦3丁酉年9月18日、海照山品川寺普門院中興開山傳燈師大阿闍梨法印權大僧都弘尊大和尚位納之兼筆矣と、其下に6觀音像は京七條大佛師康斎撰せしよし勒せり、その像いかにも精密にして尋常冶工の及所にあらず、其廻に普門品を細刻す、光明石。本堂の前にあり、高6尺許天然石なり、庚申供養に立つ光明を放りしことあり、人これを奇としてかく名づくといへりと、地蔵銅像。門外にあり、露座長9尺江戸6地蔵の1地蔵坊正元の立る所なり、門前町屋。東海道の両側にあり、東側は間口51間半、西側50間4尺、又横町に30間4尺、歩數合で1,525坪餘、元禄11年寺社奉行坂本内記正次に願ひて町屋を立、延享3年より町方の支配に屬す、以上、新編武蔵風土記稿より。品川寺は、旧東海道にあり、京急青物横丁駅近くのお寺です。平安時代、806年から810年の間に創建されました。品川では最も古いお寺になります。ご本尊様は水月観音です。江戸六地蔵の一つの地蔵菩薩は3m程もあり、とても優しい顔をしてずっと子供達を守ってくれています。大イチョウは、樹齢600年といわれています。最初に目に入るのは門の前に堂々とした佇まいの大仏様です。本堂は歴史が長い事をあまり感じさせないような色鮮やかな色合いで、お寺の方がしっかりと管理、修復されているんだろうなと思います。住職さんや受付の方がとても朗らかな感じです。御朱印は300円です。鐘の絵、銅の馬などが見事です。境内にカフェがあり、雑貨も販売されています。どちらかといえば、とても古い寺院だと思います。旧東海道沿いにこのような寺院を見かけます。


天祖諏訪神社

東京都品川区南大井1-4-1にあります天祖諏訪神社は、浜川町と元芝の鎮守の御社です。氏神様と仰ぎ親しまれる天祖神社、諏訪神社は、古くは神明宮、諏訪社と称していて、かつては東京湾に面し立会川をはさんで並び祀られていました。昭和四十年に合祀。漁師町の気風が今に残り、地元はとても活気にあふれています。天祖諏訪神社は、京浜急行本線・鮫洲駅から直線約910m、徒歩約21分、車で約4分。東京モノレール羽田線・大井競馬場前駅から直線約770m、徒歩約18分、車で約3分。また、京浜急行本線・立会川駅から直線約150m、徒歩で約3分のところにあります。天祖諏訪神社は、品川区南大井にある神社です。天祖諏訪神社の創建年代等は不詳ながら、大井村開闢とともに創建されたと伝えられます。江戸期には神明社として、旧浜川町の鎮守でした。明治8年村社に列格、昭和40年に天祖神社と諏訪神社が合併したといいます。東海七福神の福禄寿となっている他、安産祈願、厄除祈願など諸祈願します。境内掲示による天祖諏訪神社の由緒によると、天祖諏訪の両社は江戸時代から此の地の鎮守とし神威昭々郷土の発展と共に今日に至りました。昭和36年1月、氏子各位の要望により天祖神社諏訪神社御改築奉賛会が設立せられ新社殿を建立し昭和40年11月1日両社を合祀いたしました。以上、境内掲示より。「大井町史」による天祖諏訪神社の由緒によると、天祖神社は、南濱川1,842番地に在り、祭神は天照大御神豊受大神を祀り、明治8年7月村社に定められ、濱川町と元芝との鎮守です。里人は之を神明社とも呼んで居ます。寛政11年8月代官への當社の書上に末社に稲荷、天満天神、疱瘡神社、辨財天社あり且村中より御供料として田畑寄付の書付のあることを記しています。其の寄附は正徳3年頃のことであつて、引續き其の土地は、村共有地として管理して来ましたが、明治32年村會の議決に依り、神社の名義に移したものです。尚境内2連理の椿があつて有名な古蹟でした。又松、槻などの老樹茂り、盛夏猶涼風を含です。祭禮は毎年9月16日でしたが、今は8月1日に行はれてます。除地527坪、現今は東11間、西19間、南25間、北打廻し37間で、石垣を社地の周圍に築き、3方に數階の石段があります。當社は明治30年4月勅令第96號並同年628日、内務省令第19號に依り、神饌幣帛料を供進さるることとなりました。以上、「大井町史」より。「東京都神社名鑑」による天祖諏訪神社の由緒によると、天祖諏訪神社は、鎮座の原由は不詳。古伝によれば村の開闢以来の社と伝えられ、古くは神明宮と称し、浜川町と元芝との鎮守として村人たちの崇敬篤い社でした。寛政11年8月代官への当社の書上に、末社に稲荷神社、天満天神、疱瘡神社、弁財天社あり、かつ村中より正徳3年ころ御供料として田畑寄付の書付のあることを記しています。寛政2年再建され、元治2年再興、慶応3年氏子の寄付により再建、現在に至っています。以上、「東京都神社名鑑」より。「東京都神社名鑑」による境内社厳島神社の由緒によると、天祖諏訪神社は、創立の原由は不詳であるが、天祖神社創立当時よりの摂社であり、弁財天と称して村人たちに崇敬篤い社でした。古くは御祭神に縁りの社殿をとりまく池の眺めが得難いものであり、一時その面影を失なったので、旧時に倍するものとして建立御奉斎をしました。境内には松の大樹があり、地中の島上にはこの社の神詞があります。以上、「東京都神社名鑑」より。天祖諏訪神社は、京浜急行・立会川駅のすぐ近くにある、東海七福神「福禄寿」のまつられる神社です。最寄駅は京急の立会川駅で、徒歩で3分ほどです。立会川にかかる橋を渡ってすぐのところに神社の鳥居があります。境内には厳島神社の鳥居と祠もあります。主祭神は天照大御神、豊受大神、建御名方刀美神、小碓命、建御名方命、天祖神社と諏訪神社が合祀されたものとのことです。摂社に厳島神社等があり、境内が整備された美麗な神社です。嵐の番組で、勝ち守りが有名になった神社です。立派な社殿で、社殿左手の建物に福禄寿が祀られています。頭をなでると金運が開けるということです。住宅街、学校、しながわ区民公園にも近いのどかな浜川の鎮守様です。境内には、池に浮かぶ厳島神社という小さな社もあり、ミニチュアサイズの小さな橋を渡って参拝するのが面白いです。神社周辺の商店街にも、歴史あるそば屋や砲台跡の史跡などがあり、ちょっとした散策にお勧めのエリアです。


一心寺

一心寺も品川区の観光名所の一つです。一心寺は、東京都品川区北品川2-4-18にあります。一心寺は、成田山の分身である不動明王が本尊で、延命と商売繁盛を授けてくれます。東海七福神のひとつで、寿老人が祀られています。真言宗智山派寺院の一心寺は、豊盛山延命院と号します。一心寺は、大老井伊直弼の治世に、山村一心が成田山不動明王を安政2年に模刻、信奉者が増加し、文久元年、洲崎辨天境内に堂宇を建立、明治2年神仏分離により北品川宿へ移設、明治18年当地に堂宇を建立したといいます。弘道僧正の代に寺号を許可され豊盛山延命院一心寺と号し、昭和61年には東海道七福神の寿老人に指定されています。「品川町史」による一心寺の縁起によると、一心寺は、安政2年、日本開国之機運高まり国運の境目に接面し時、大老職にある井伊直弼公が縁起により江戸台場の沿革東海道第一の品川宿にて鎮護日本、開国条約、宿場町民の繁栄、安泰の願えとの霊験を悟り開山され、時の町民代表一同に倣って建立されたと伝えられております。当山は昭和の御代になり中興の祖とも云うべき僧正弘道大和尚に依り、豊盛山延命院一心寺と云う寺號を拝受し成田山分身の不動明王を本尊とし延命、商売の護りとして今日に続いております。昭和61年より、東海七福神の寿老人の指定寺院に認定されしことは誠に意義深く、また、本堂の造りは京都本願寺の宮大工伊藤氏に依るものと称されており、 内陣には両大師、中国渡来之2仏、無指定の飛鳥仏と称する仏像、光雲作観音像、寿老人等が祀られております。以上、境内掲示より。「品川町史」による一心寺の縁起によると、不動堂の所在、北品川宿12番地。山號、成田山。本山、小石川區常泉院受持。本尊、不動明王。由緒、安政二年山村一心、成田山新勝寺本尊不動明王を模刻し信念せしが、次第に同行の信者増加せるを以て、文久元年洲崎なる辨天の境内へ堂宇を建立安置せしも、明治2年神佛分離の際、12月23日北品川宿89番地、養願寺境内へ轉設し、17年11月26日類焼せるを以て、18年5月現在の位置に堂宇を建設して移轉す。本堂、間口貮間・奥行3間半、庫裡、12坪。境内82坪4合1勺。以上、「品川町史」より。一心寺は、北品川商店街にある寺院のひとつです。京浜急行線の新馬場下車が便利です。真言宗智山派、正式名称は豊盛山延命院一心寺と言います。ご本尊は成田山の分身である不動明王で、大老井伊直弼が開山したと伝えられています。小さな寺院ですが見ごたえはあります。寺務所等は無いです。御朱印をもらう時は、本堂の前にインターホンがあるのでそちらを押して住職さんを呼びます。灯がともされているので明るい雰囲気です。街道散歩のおりに、参拝をしてご利益を得られるとは嬉しい限りです。門を入るとすぐ本堂です。七福神参拝客の為に本堂正面の最前部に小さな寿老人を祀っています。一心寺は、拝観料無料の比較的小さなお寺です。延命や商売繁盛の神として有名だそうです。成田山と提灯に書いてあります。東海七福神の寿老人であったり、江戸三十三観音霊場の巡礼場所であったりと、いろいろと有名なお寺です。


虚空蔵尊養願寺

品川区の名所、虚空蔵尊養願寺は、東京都品川区北品川2-3-12にあります。虚空蔵尊養願寺は、東京モノレール羽田線・天王洲アイル駅から直線約850m、徒歩約20分、車で約4分。東京りんかい線・天王洲アイル駅から直線約770m、徒歩約18分、車で約3分。京浜急行本線・北品川駅から直線約470m、徒歩約11分、車で約2分。また、京浜急行本線・新馬場駅から直線約200m、徒歩で4分のところにあります。天台宗寺院の養願寺は、明鏡山善行院と号します。養願寺は、正安元年に創建、什慶が寛文年中に中興開山したといいます。東海七福神の布袋尊です。新編武蔵風土記稿による養願寺の縁起によると、養願寺、除地2段8畝に2段12歩、寺傳と齟齬す、3町目にあり、天台宗南品川常行寺末、明鏡山善行院と號す、正安元年の草創なり、中興開山什慶寛文年中再興す、本尊阿弥陀の立像を置、信州善光寺如来の模像なりと云、明暦元年境内2段傳馬役屋敷となり、代地を御殿山の下にて下し賜はれりと。虚空蔵堂。門を入て正面にあり、2間半に4間の塗籠なり、虚空蔵あり慈覚大師の作なり、應永年中より此地に安置すといふ。淡島社。門を入て左にあり、1間に9尺の塗籠なり。稲荷社。同邊にあり方1間。門前町屋。間口南側9間半、北側9間、歩数184、是も町奉行の支配也。以上、新編武蔵風土記稿より。阿弥陀如来立像は、木像の観音、勢至像を脇侍とし、本尊の脇に安置されています。身に納衣を通肩にまとい、右手を屈して5指を伸ばし、掌を正面に向けています。左手は垂下して第2指と第3指を伸ばし、徳の指を捻じた刀印を結ぶ。頭部体躰を一鋳に吹いています。この像は、長野市にある善光寺の本尊の模作の一つであるが、鎌倉時代の製作と推定され、大変貴重なものです。木像不動三尊像は、中尊が不動明王像、脇侍が制乇迦童子像、矜羯羅童子像の三躯です。銘文から、甲州の出身で武州豊島郡金杉村世尊寺に住む法印大僧都玄雄が、2世安楽のため、万治元年に発願造立した像であることが判ります。仏師は、春達であると推定されます。三尊像とも彩色が施されていましたが、彩色は後世のものと思われます。以上、品川区教育委員会。虚空蔵尊養願寺は、本尊は虚空蔵菩薩です。脇侍に阿弥陀三尊が安置され、中尊は金銅の善光寺式阿弥陀で、脇侍は木像という形式です。ちなみに、不動明王三尊の脇侍は、セイタカ童子像、矜羯羅童子像が正統な形式です。虚空蔵尊養願寺へのアクセス方法は、京浜急行電鉄の新馬場駅の改札を出て国道15号を北品川方向に歩きます。最初の信号を右に商店街の方に進み、ベローチェが左に見えたら次の路地を左にまがり道なりにくねくね進むとあります。改札から300メートル約4分くらいです。商店街から一本路地に入っているので見落とすかもしれないので注意が必要です。商店街沿いにある、一心寺が目印になります。一心寺の前にある路地を進むと養願寺が見えます。かつては、東海道を行き交う人で栄えたお寺のようですが、現在はひっそりとしています。


海晏寺

東京都品川区南品川5-16-22にあります海晏寺は、東京りんかい線・品川シーサイド駅から直線約660m、徒歩約15分、車で約3分。京浜急行本線・鮫洲駅から直線約310m、徒歩約7分、車で約1分。また、京浜急行本線・青物横丁駅から直線約190m、徒歩で約4分のところにあります。曹洞宗系単立の海晏寺は、補陀落山と号します。海晏寺は、建長3年頃鮫洲に浮上がった大鮫の死体から正観音木像が出てきたことから、その正観音木像を安置するための堂宇として、建長寺開山大覚禅師を迎え創建されました。戦国時代に荒廃しましたが、徳川家康の命により再建、文禄2年本多佐渡守正信を迎えて、臨済宗建長寺派から曹洞宗寺院として中興開山し、現在に至っています。東海33観音霊場30番、東京33観音霊場初番札所です。「品川区の文化財」による海晏寺の縁起によると、建長3年の頃品川の海上に大鮫の死体が浮上がったのを、漁夫が取上げてその腹を割いたところ、中から正観音の木像を取出しました。人々は不思議に思い門前を鮫洲と唱える様になったと伝えています。当時鎌倉執権北条時頼はこのことをきいて、珍しいことがあるものと一宇を建立し正観音像を安置しました。南北40町余、東西10町余の寺域を与え、土木の工事が成って建長寺開山大覚禅師をむかえ開山として寺領100貫の地を寄附し、別に80貫文の地を与えて寺中に4院2庵及び堂宇2ヶ所等を建てました。又弘安の頃相模守平時宗はあらたに堂を作り、所持の阿弥陀像を安置し、供養料20貫文の地を寄附します。其後関東は荒廃し、堂宇も又兵火によって焼失し什宝ことごとくを失うのです。其後再造の事もありましたがわずかに10分の1にすぎませんでした。天正18年徳川氏入国の頃僧慶存を三河から召連れ、衰廃した寺を再興し、文禄2年本多佐渡守正信に命じて住持に定められました。この時に、曹洞宗系単立に改宗して中興開山となりました。当寺の境内には昔から楓樹が多く、元禄頃から紅葉の名所となり、時季になると文人墨客が集まり境内に宴をはって遊山の酒に帰るのを忘れる程であったと云います。当時の俗謡に、「あれ見やしゃんせ海晏寺、真間や高尾や竜田でも、及びないぞえ紅葉狩り」と云うのが流行したと云われます。以上、「品川区の文化財」より。白井鳥酔墓について。白井鳥酔は、上総国埴生郡地引村に生まれました。名は信興といい、喜右衛門と称していました。生家はかなりの資産家でしたが家を譲って江戸に出て長谷部柳居に従って俳諧を学びました。はじめ牧羊と号し、のち露柱と号しました。さらに松露庵2世を嗣ぎ、南浦松原庵および大磯の鴨立庵に住みました。鳥酔は天明俳諧の中興の先駆をなした蕉門の巨匠として名を世人に知られました。著書には「稲ふね」があります。明和6年4月4日に没しました。以上、東京都教育委員会掲示より。海晏寺は、かいあんじと読みます。青物横丁駅と鮫洲駅の中間にあります。一般は見学できませんが岩倉具視さんのお墓もあるようです。海晏寺へのアクセス方法は、京浜急行電鉄の青物横丁駅の改札口を左に出ます。最初の国道の横断歩道がある信号機を渡り左に歩道を大森方向に進むと右側にあります。改札から250メートル約3分くらいです。第一京浜国道沿いの寺院です。名前に「海」が付くように、かつては品川の海岸近くに在ったのでしょう。お寺後方の程高い丘の上に公の墓が有ります。国道沿いにありながらも静かです。前庭がひらけており美しいお寺です。

出展:じゃらん・ホトカミ・猫の足あと